第49話

「いや、ホントにあるのかも」

「……マジですか? 空洞が、この地面のずっと下に?」

 セタはつい、一歩だけ砂漠の穴から離れた。「でも、それじゃあこの砂漠の穴って……」

「文字通り、蟻地獄だね。下の空洞に繋がる」

「でも、下に大きな穴がぽっかり開いてるなら、砂がもっと流れ落ちていく気もしますけど」

「うん。落ちてるよ。ゆっくりだけど、いまも、砂時計みたいな感じで少しずつ」

「え……え?」

 セタはよく目を凝らした。砂にわずかな動きがあると気付いたのは、その時だった。彼は、さらに一歩分、穴から離れる。

「昨日、ナックたちのキャラバンがここを通りすがったタイミングで、ちょうど空洞に亀裂が入ったのかも。下層の砂が崩落して、上層の地形がその余波で歪んだ――それに巻き込まれた」

「でも、イマジオンの伝承は竜が砂波を……いや」

 セタはそこまで言って、思い返す。伝承の誤った情報、思い込みが刷り込まれている事例は、過去にもあった。「……そうか。イマジオンの伝承って、実は竜のマナが地表の砂を操ってるんじゃなくて――」

「この地層の下に元々あった空洞に亀裂が入ると、そこに向かって地表の砂が流れ落ちる。その現象を指してたんだと思う」

「そのうえ、もともとこの辺りは普通の大地でしたね。砂みたいにサラサラした地面じゃなかったから、下に空洞があっても、昔は誰も気づかなかった……」

「だね。ラアヴァの到来が地層の構造を変えたせいで、この砂波と流砂の問題が顕在化した。でも実際は、地下の空洞が本当の原因だった。通常の流砂と異なるメカニズムで唐突に発生するから竜の仕業だって、そんな伝承が残ったって感じかな」

 そうであれば、ナックたちの体に竜のマナが残っていなかったことにも説明がつく。つまり、あくまで特殊な自然現象の一種であって、流砂には竜のマナが関与していなかったのだ。

「なんだ……じゃあ、イマジオンっていう竜も本当はいないってことですか? デルアリアの時の事例に近い感じですね」

「確かに。実際、イマジオンは現象を伝える伝承は聞くけれど、竜の見た目のことを語ったものは無いのです」

 以前の事例において“姿かたちを伝える文言がない伝承は誤解が多い”という教訓を得ていたセタは大きく頷いた。

「そうとなれば、早いところ引き上げましょう。下に空洞があるってことなら、長居するのは危ないかも」

 手のひらで作ったひさしで陽光を遮りつつ、セタはルカヱルに提案した。

「そうだね。仕切り直して、別の竜の伝承を辿ろうか? 今度は、氷原地帯のほうの――」頷いたルカヱルが、箒を出すために自分の袖下に手を伸ばした時。

 不自然な砂塵が舞い上がった。

 風に吹かれて地表から流れるのではなく、圧縮された空気に押し出されて噴出したかのように。

「……えっ――」

 一瞬だけ、感電のような地鳴がしたかと思うと、セタの視界の高さが一気に下がった。ぞっとした感覚が、セタの首から背中に走る。地面の上にいるのに、まるで、高いところから落下したかのような浮遊感だった。

 地面が崩落した。

 地面の高さが変わったのだ。

 そんな状況に気付くのに、ほんのわずかな時間を要した。その一瞬の間に、セタの半身は砂の下に呑まれていた。首元まで、砂と空気の境界が迫り、斜面になった地形を埋めるように砂が雪崩れ込む。そして今も、今も、今も、落ちている。

 流砂とは違う。

 砂の、というのが近しい。

 ルカヱルの言った砂時計の例えは正しかった。砂は流れているというより、落ちているのだ。

「セタ!!」

「―――!!」

 セタは言葉を発しようとしたが、口元まで砂に沈んだ今、声も出ない。ゴーグルをしていたが、つい目も瞑った。

 すかさず穴に飛び込んだルカヱルが、彼の手を掴む。しかし、彼女も迫りくる“砂波”に押されて、セタと共に砂へと沈んでいき、落ちていく。

「……!!」

 ルカヱルは掴んだ手を離さなかった。しかし、この体勢では箒に乗れない。ぽっかりと開いた穴を埋めるように止め処なく流れ込む砂波は、魔女をも地中へと飲み込んだ。

(ルカヱル様……!? だめだ、見えない、何も!)

 セタは、自分の右手が掴まれている感触と、自由落下にも等しい速さで落ちていく自身の周りを流れる空気と砂の音しか察知できていなかった。

 暗闇の中で右手が引かれる感覚――やがて、自分の頭を覆うように魔女は腕を回した。ルカヱルに抱きかかえられたとき、彼女の体が砂除けとなって、セタは呼吸ができるようになった。

「はっ……はっ――!!」

「セタ、掴まってて!! 絶対離さないで!!」

 砂の流れは怒涛の勢いを保ったまま――そしてわずか数秒後、空気が一気に変わった。狭い筒のなかを流れていたような息苦しさが消えて、開けた空間に出たように。

「――うっ!!」

 セタとルカヱルは、そのまま下に積み上がった砂山の上に落下した。砂塵を舞い上げながら、砂山の斜面を転がり、滑り落ちていき、ようやく止まったころにセタは息を深く吐いた。

 砂が緩衝材となったおかげで、致命傷とまでは行かなかったが、落下の衝撃が強くセタはしばらく動けなかった。

「……セタ、大丈夫?」

「え、ええ……なんとか……」

 セタは顔を上げる。しかし、何も見えない。ここには一切の光が届いていないのだ。

(まさか、本当に空洞が……)

「ちょ、ちょっと待っててね。明かりを出すから」

 ルカヱルは暗闇のなかで、ごそごそと音を立てて何かを準備する。やがて、ランタンの光が灯ると、視界が一気に広がった。

 明かりに照らされたルカヱルの顔は、影のせいか、少し不安げに見えた。

「ケガはない?」

「ええ、何とか……ルカヱル様のおかげです。まともに落ちてたら、タダじゃ済まなかったと思います」

「うん。でも、今も状況はちょっとまずいかな」

 ルカヱルは上を見上げる。ランタンに照らされた洞窟の天井は遥か高く、今も少しずつ砂が落ちて、ランタンの光を反射していた。

「あの穴から地上に戻るのは――ちょっと厳しいかも。私一人だけなら無理やり突破できなくはないけど」

「そんな……」

「でも、空気の流れを感じるよ。この洞窟、どこかに通じてるみたい」

 それを聞くと、セタはふう、と安堵の息を吐いた。なんにせよ窮地に変わりないものの、今はルカヱルと一緒にいる。洞窟がどこかに通じているのであれば絶対に出られる、という確信があった。無論、他のトラブルが何もなければ、という前提もあったが。

「うう、セタ、ごめん……またこんなことに……。早く飛んで逃げてればよかった」

「いえ、謝ることはないです。とりあえず俺たち、無事で良かった。出られる算段もありそうですし、切り替えましょう」

 ゴウ――と、唸るような音が洞窟に響き渡る。まるで、怪物の喉の中にいるかのようだった。

「なんか……探検家になったような気分です。こんな時に言うのもなんですけど、思いのほか、面白くなってました」

 ランタンで照らされた空洞の果てを見つめる。視界の効かない暗闇を見ていると、昔のことを思い出した。昼に街を観察し、夜に街を歩き、壁に正確な風景画グラフィティを残す。記憶を頼りに作業を進める。そんな、文字通り暗い記憶がよぎった。

「セタ……私から、絶対離れないでね。お願い」

「もちろん。俺一人じゃ、洞窟から出られませんし、ルカヱル様から離れるなんてことは」

「じゃ、じゃなくって……」ルカヱルはバツが悪そうに語尾を濁し、セタの服の裾を掴んだ。ランタンで照らされた彼女の表情は硬く、目に至っては、なんだかグルグルとしているような気配すらあった。

「ルカヱル様? どうかしましたか……?」

「ごめん、いま私、セタしか見えてなくて……。上下左右、全部鉱石に囲まれるから、マナだらけで、あの、方向感覚がね……」

「……あっ」

 魔女は草木や鉱石のマナのせいで、視界が歪む。地上のように空が開けていたり、草木の微弱なマナであればまだ視界の歪みも軽度で済む。しかし洞窟の中においては、全方向が鉱石に囲まれている。

 よって、今のルカヱルの視界にかろうじて映るものは、マナを持たないセタだけだった。

 ――セタは少々、認識を改めた。

 ルカヱルが一緒なら洞窟から「絶対出られる」と思っていたが、「多分出られる」くらいの認識に。

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