第48話

 蟻地獄の縁に降り立つと、新雪のような感触に足が沈んだ。

「うわっ、なにこれ柔らか」

「不思議な感触ですね。ここがナックさんの言ってた流砂の地点なんでしょうか?」

 セタは足を滑らせないように距離を取りつつ、漏斗の様に抉れた砂漠の穴を覗き込む。

「イマジオン、この下にいるんでしょうか?」

「分かんない。っていうのもね、この辺の砂は普通の鉱石のマナしかない感じだし」

「じゃあこれ、自然にできた地形なんですか?」

 そう言いつつも、納得できないセタ。自身が観察している地形は、明らかに周囲一帯の状況と異なるのだ。風が吹くと、汗が冷えて心地が良い――と同時に、砂が舞い上がり、顔を顰める。

「ルカヱル様……前に貸してもらったゴーグルありませんか? もしよければ、また貸していただけると」

「ああ、そうだね。ちょっと待ってて」

 ルカヱルが袖の下からドロップ缶を取り出し、からんからん、と鳴らす。ゴーグルがルカヱルの指に引っかかるように姿を現し、それをそのままセタに投げた。

「あっと……ありがとうございます」セタはゴーグルを付けつつ、舞い上がる砂塵が波のようになって遠くへ運ばれていくのを見ていた。

 そして気付く。

「……ルカヱル様、この穴って、もしかして昨日はもっと深かったんでしょうか?」

「察しが良いね。多分、そうです」

 両膝をついて、穴の底――さらにその向こうを見つめるように凝視するルカヱル。「竜とは関係のない自然の摂理として、穴に砂が流れ込んで埋まるのは当然だからね。イマジオンの伝承に伝わる“砂波”は、実際には竜が直接起こした現象ではなく、流砂に向かって流れ込む砂の流れなのかも」

「つまり――ナックさんたちにマナの気配が残ってなかったのは、本当にに抗ってイマジオンから逃げたから、ってことですか?」

「ええ。“砂波”は副次的な現象だった。だから、あのキャラバンにはマナが残ってなかった。逆に言えば……、イマジオンの作ったこの蟻地獄のような地形は、地表にマナが漏れ出さないくらい、深い所に由来するのかも?」

「深い所――なんか、海みたいですね」

「海……」

 ぽつりと呟いたかと思えば、溌剌と話していた魔女が急に黙ったため、セタは砂漠の穴から、彼女へと視線を移した。ルカヱルは立ち上がり、袖の下をまさぐっていた。何かの道具を取り出す合図なのだが、唐突だったのでセタは驚く。

「ルカヱル様、どうしたんですか?」

「少し、砂の深さを測ってみようと思って」

「深さを? でも、どうやって……測量器具を持ってるんですか」

「ここで誂える」

 そんなことできるのか?と思っていたセタをよそ眼に、ルカヱルは道具を次々と取り出して、砂の上に置いていく。商人が店を広げる様子に似ていた。

「これと、これと……よし」

 ルカヱルは、昔の金貨を試験官に入れて、適当な布を巻いて蓋をした。“よし”という発言から察するに、もう完成らしい。珍妙な取り合わせを見て、セタは首を傾げた。

「金貨で何を?」

「別に、金貨である必要はないんだけどね。私のマナをこの金貨に“引っ掛けて”おいて、砂の中に沈めていく。硬い所に当たるまで」

「うん、魔女しかできませんね、その測量法は」

 地図に関わった者として測量技術は何個か学んでいたが、当然、金貨と試験官とマナで測る方法は聞いたことが無い。「ルカヱル様のマナを金貨に“引っ掛ける”、っていうのはどういう意味なんですか?」

「私の使える魔法の一つでね。金属みたいにマナの密度が高いものだったら、距離が離れてても引き寄せたり、逆に弾いたりできるの」

「へえ……」

 実のところ、魔法のそれらしい説明を初めて聞いたセタは感心した。空飛ぶ箒とか、ドロップ缶の収納術とか、海の中でも濡れない潜水法など、これまでも原理が分からない現象がいくつもあったから。

「そう言えば、前にアイランさんの網を拾ってましたよね。それと同じ魔法ですか」

「そーだよー。よく覚えてたね?」

「自分の目で見てたんで」

「そっか、君はそれだけで覚えてられるもんね……。ほいっ」

 ルカヱルは試験管を穴の中へ向かって投げ込むと、底に突き刺さるように落ちた。そして、次第に沈んでいく……さらにルカヱルが、人差し指をデコピンのように弾くと、“きんっ”と音を立てて加速し、瞬く間にそれは沈んで姿を消した――


「昔から気になってたんだよね、砂漠ってどれくらい深いのか。ちょうど良い機会だし、ついでに測ってみよう」

「うーん……でも、海みたいに深いんですかね? 俺もよく知らないですが」

「私もよく知らない。でも……この砂漠って、元々は普通の大地だったんだよね? ラアヴァが歩いたことで、全てが蒸発して、跡には砂だけが残った、っていう由来だった」

「ああ、そうでしたね。そうか、じゃあここって、昔はもっと違う風景だったんですかね?」

「いまは土壌ごと変わったせいで気候まで乾ききって暑いし、本物の砂漠みたいだけど、実際の砂の層は薄いと思うんだ」

「なるほど……自然にできた地形じゃない、ってことですか。じゃあ、自然にできた砂漠ってどこにあるんです?」

「さあね。もしかすると、世界の砂漠は全部竜が作ったのかもしれないし」

「すごい説ですね、それは」

「実際、砂漠には大体竜の伝承がつきものだよ。イマジオンみたいな感じのやつが。アヴァロンにはそもそも砂漠がないけど、ムーとか、レムリアでも聞いたことあるし」

「……前々から気になってたんですけど、ルカヱル様って、今までどんな風に移動してきたんですか? アトランティスの話とか、ジパングに住んでることは知ってるんですけど、他の地域のことも詳しいですよね」

「ふふん、まあね! 魔女の中で私ほどの根無し草もないよ」

「自慢げに言われたから自慢かと思ったけど、それはどうなんですかね……?」

「私は魔女の中でも、飽き性な方でさ。暇つぶしに忙しいのです。世界を回って各地で生まれた遊びを見て来たけど、同じ場所にずっといると飽きちゃうんだよね」

「そういえば、やたら色んなゲームの小道具を持ってますよね。カードとかも」

「ジパングは、そういう遊びが結構盛んな方じゃない?」

「俺は他の国のことは知らないですが、まあ、そうかもしれないですね。……昼は働いてる人間も、夜の時間を潰すために色々やってる奴は多いですから」

「だよね! だから、結構気に入ってるのです」

「でもいずれ、また飽きたらジパングを出ることもありますか?」

「え? えっと……いや、そうですね、うーん、少なくともあと百年くらいは棲んでようかな……?」

「ははっ、そうですか。飽き性の魔女と言ってもスケールが違いますね。そのころには俺はとっくに死んでますよ」

「あ、あははっ……あっ!?」


 ――ルカヱルが急に声を上げ、びくりと肩を震わせると、穴に向けて伸ばしていた人差し指を握るように曲げた。

 セタも連動して驚き、彼女を見る。「ど、どうしたんですか?」

「……」

 ルカヱルの表情を見ると、彼女は唖然としていた。「どういうこと……」と、唇がゆっくりと動き、眉を顰める。

「ルカヱル様、いったい何が? 金貨はどうなったんです? 砂漠の深さは……?」

「……分からない、けど、今の感覚、信じられないけど……」

 彼女は自信無さげに言った。

「金貨が落ちた」

「……落ちた?」

 セタは、その言葉の意味が分からなかった。地中に“沈めた”金貨が、うっかりどこかに“落ちる”はずもない。砂漠の下の岩盤に突き当たるはずだ。――



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