イマジオン?

第47話

 魔女の御茶会から数日後、セタたちは次の竜を探しに出発することにした。目的地は、メガラニカに広がる広大なグラ砂漠である。

 砂漠のキャラバンの間には、「砂波に気を付けろ」という警句がある。これは砂漠が波打ち、流砂が突然発生する現象のことであり、砂煙の噴出が兆候として表れる。険しい山脈を避けて、砂漠を渡って行商に出る者はみんなが知る注意事項である。超常的な現象であるが、その原因こそ“地心”の伝承で知られるイマジオンなのだ。

 ところで……幸いなことに、イマジオンの足は遅い。だから逃げ足を鍛えておけ。

 そう言い聞かされ、キャラバンの者たちは休みの日にも鍛錬は欠かさないとか。





「うええ、ぅあっつ……」

 照りつける太陽の下を、ルカヱルの箒は飛んでいた。砂漠に差し掛かると丸一日炙られた大地は灼熱の如く熱く、照り返しも相まって、まるで上下から熱せられるホットサンドのようになっていた。

(光がきつい……。建物とか草木の影が一切無いからだ)

 初の砂漠を訪れるということで、少し楽しみにしていたセタも、数分もしないうちに汗だくになっていた。聞くところによれば今は夏季ではないらしいが、それが信じられないほどに暑い。

 ルカヱルも暑さを感じているのか、「だねぇ……」と嘆息混じりに頷く。

「今度は寒いところに行きたくなるね。うん……。次は氷河にしようかな」

「それはさすがに寒すぎませんかね」

 遠くを見ると、砂、砂、砂――どこも同じ色で、同じ地形に見えてくる。熱に揺らぐ空気を見ていると、ますます暑さが酷く感じてきた。

「ん……」

 セタは目を細める。遠方に人影が見えたのだ。見たことのない四足歩行の動物を連れている。

「いや、幻覚かな……? こんなところに、人がいるはずないですよね」

「いや、いるよ。私の目にも見えてるし」

 ルカヱルは言う。改めて、セタは目を凝らしてみた。

 数人のグループが列を成し、背の高い動物を率いて、果てしない砂漠を歩いている。

「あれって、キャラバンってやつですか? 本当にあるんですね……?」

「ふふっ、なにその、竜でも見たような反応は……」

「こんな暑さの中に人がいるなんて信じられない」

「君、さては暑いの苦手だね」

 そうこうしていると、キャラバンの人々もまた、空を飛ぶルカヱルたちの存在に気付いたようだ。最初の一人が空を指を差すと、他の皆が足を止めて振り向き、空飛ぶ魔女の箒を天体観測のように見つめていた。

「せっかくだから、イマジオンのことを聞いてみようか?」

「そうしましょうか……。こんな広い砂漠を、手がかり無しで探索したら、干乾びそうです……」

 ルカヱルは高度を下げながら、彼らの元へと近づく。

 一団は目を丸くして固まっていたが、年長の者を筆頭に次第にざわつき始めた。

「空飛ぶ箒……まさか、魔女様……?」「しかし、どうやらミィココ様とは違うぞ……」「そう、あの方は髪が蒼い。目も同じ色だ」「だが、この方は黒いな……もしや異邦の魔女か……?」

「んん、あの皆さん、ちょっとお聞きしても?」と、ルカヱルが咳払い混じりに声を掛けると、キャラバンの皆の視線が彼女に集まった。

「も、もちろん。失礼、なにぶん、こんな砂漠の真ん中で魔女に会うなんて、すこし驚いたものでな」

 隊を代表して応対したのは、40代くらいの男だった。身長はセタとルカヱルを優に超え、その体躯に見合った逞しさを備えている。肌は日に焼けており、日よけのためか、バンダナを巻いていた。そのせいか、目付きが鋭いという印象をいっそう強める。

 集団を改めてみてみると、ユニークな動物がセタのことをまじまじと見つめ返している。

(初めて見る動物だ……)

 コブが二つある、変わった背中の動物だった。竜の図鑑を作るときと同じように、セタは目を皿にしてその動物を観察していた。

「私はナック。このキャラバンの長だ。幸運の象徴とも言われる魔女に会えて、実に光栄だ」と、彼は切り出す。

「ふふっ、そう。私も、ちょうど砂漠に詳しそうな君たちにあえて嬉しいよ」

「あーそれで、さっきの聞きたいこと、ってのは?」

 ナックが窺うと、ルカヱルは砂漠の果てを見つめた。

「砂漠に生きる君たちなら、イマジオン――っていう伝承は、聞いたことあるよね? 私たち、ちょっと探してるの」

「イマジオン? ああ……」

 ナックは、ため息混じりに顔を顰めた。彼だけでなく、他のメンバーも一様に似たような反応だ。

 明らかにネガティブな感触に、セタとルカヱルはつい顔を見合わせる。

「何かあったの?」

 魔女が問いかけると、ナックは呻き声に似た前置きを挟んで切り出した。

「――何かあったどころじゃない……まさにちょうど昨日のことだ。メンバーの若いのが、そいつの流砂に呑まれちまったんだ。俺たちは命からがら逃げ延びたんだが、あいつは、連れてたラクダごと地面の中に消えちまった……!」

 セタはぎょっとして、言葉に詰まった。

「それはどこ?」と、畳みかけるように尋ねたのは、ルカヱルだ。

 ナックはある方角を指さす。ちょうど、太陽の見える方角だった。

「あっちだ。数里も離れてるが、もう戻る気にはなれない。見捨てることしか……」

「……」

 セタはかける言葉を失う。キャラバンの面々の暗い表情が視界に映り、つい目を背けた。聞く限り、この事例はアイランの島に近い。人々の生活圏に現れ、命を脅かすタイプの竜だ。まさに災害というにふさわしい。

 ルカヱルはキャラバンの皆を眺め、それから、ナックに声を掛ける。

「分かった、ありがとう。辛いことを聞いてごめんなさい」

「いや、いいんだ。だが、俺たちはもう街に戻る。あいつの家族に、伝えないとな……」

 ナックは軽く手を挙げて、それから一団を率い、その場を立ち去っていった。セタはただ彼らの背中を見つめて、見送ることしかできなかった。

「セタ、箒に乗って。行こう」

「ええ。まさか、こんな間の悪い時に話かけてしまうことになるなんて……」

「うん、だね。はやく、彼らの言った方角に行って見よう」

「……? はい」

 どこか急かすような口調のルカヱルに従い、セタは箒に乗る。砂が舞い上がり、箒は飛び立つ。

 背後を振り返ると、キャラバンはもう遠くだ。広大な砂漠を、徒歩で少しずつ進む彼らから瞬く間に離れていく。

「少し妙だね」と、ルカヱルは出し抜けに言った。

「え? ええと、何がでしょう」

「彼らだよ。砂まみれだった」

「まあ、こんな砂だらけのところを歩いていたら、そうでしょうけど……」

 少し地面に足を付けただけのセタの靴のなかですら、何だか細かな粒子の感触があるほどだ。砂漠を歩いているキャラバンなら、なおさら砂まみれなのは普通のことだ。

「砂まみれなのに、竜のマナの気配がなかった。彼らの体に付いていたのは、そこら中にある普通の砂と同じマナだった。けど、もし竜が操る砂に触れたとしたら、体にマナが残る。昨日の出来事だとしたらなおさらね――なのに、見えなかった」

「……え?」

「彼ら、本当にイマジオンに遭遇したのでしょうか」

「いや、でもナックさんが言っていたように、彼らは流砂を逃れたんでしょう? ってことは、竜から離れてたんじゃ……?」

「その場合じゃ、彼の言っていた“若いの”も、彼らから離れてたってことになる。でも、キャラバンの様子を見たでしょ?」

「……」

 記憶に残るキャラバンは、皆が等間隔に並び、一列になっていた。

 昨日砂の中に消えたという“若いの”が、仮にあの列の最後尾にいたとして――他のメンバーは、流砂の砂に全く触れずにやり過ごすことができたのだろうか?

「伝承に聞くイマジオンの“砂波”は、確かに足が速ければ逃げ切れるらしいけど――あの集団の誰もが、まったく砂に触れずにってのは、無理だと思うのです」

「……じゃあ、ナックさんは嘘を? でも、なぜそんなことを」

「さあね。彼が嘘をついていたんじゃなければ、あるいは……」

 箒で進むルカヱルは、遠方を見つめた。刻一刻と、流砂災害が発生した場所へと向かっているという事実に、セタは緊張してきた。

 しかし、次にルカヱルが放った言葉を聞いて、緊張などどこかへと消えてしまった。

「あるいは、伝承の方が嘘をついていたのかも」

「……え?」

「ふふっ、まあちょっと見てみようか? 気になるしね」

 ルカヱルが箒を止める。

 なだらかな砂丘が続く地形に混ざり、不自然に抉れたような地形の上だった。

 まるで、蟻地獄のようだ。

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