第45話
それから、補足的な簡単な説明と事務的な手続きを手短に終わらせ、ディエソは漆塗りのバッジを取り出した。
「ようやくこれをミィココ様にお渡しするときが来ました。まあ、“目下メガラニカ内の研究に注力する”とのことでしたので、身分証の類は必要ないかもしれませんが」
「まあな。しかし、デザインは気に入ったぞ」バッジを摘まみ上げると、それをかざして見つめるミィココ。「話はこれで終わりかのう? であれば、儂は行くぞ。絵描きの選任は頼んだからな」
「ええ――いえ、少々お待ちください。此度のハーグリャの件については、ご対応いただきありがとうございました。ミィココ様、ルカヱル様。そしてセタ殿も」
「お、俺? いや、その件については何もしてませんが」
「ははっ、まあ確かに貴方はそうおっしゃるかもしれませんが」ディエソは、苦笑いを零してこめかみを掻く。「実のところ貴方の貢献がなければ、ハーグリャの毒への対応がもっと遅れていたと思っています」
「俺の貢献がなければ……??」
しかし、自分の貢献度については全く心当たりが浮かばないセタ。確かに図鑑の絵は描いたが、それを指して言っているのだろうかと思っていた。
一方で、「ああ」と別の理由を思いついたルカヱルが、ぽんと手を叩いた。
「そっか、君が私たちの傍で毒に罹った。だから、私たちは慌てて解毒剤を作り始めたんだもんね」
「ああ、そうじゃったな? ある意味、こやつが薬剤の治験として働いておったわけか」
「治験? ああ、なるほど。確かに、結果としてはそう言えますけれど」セタは、ようやく自分の当時の境遇を思い出した。
魔女本人に毒の影響が出ることは全く無かった。
それは裏を返せば、魔女だけがハーグリャに遭遇しても毒の存在に気付くとは限らなかったし、魔女だけでは街に毒の被害が広がりつつあることも気付けなかったかもしれない。
全くの偶然だが、魔女が解毒剤を作る切っ掛けを作ったのは毒に罹ったセタであり、その薬の治験も彼の体で実施されたのである。
それこそがディエソの言う「セタの貢献」である。魔女の人体実験の被験者として働いた、と言い換えても良い。
「本件が迅速に魔女様によってご対応いただけたのも、間接的にはセタ殿の犠牲のおかげ……と言っては大袈裟に聞こえるかもしれませんがね。魔女様二人の協力体制が迅速に成立したのも、薬効が証明されたのも、セタ殿がいなければ実現しようのないものでしたから」
「はあ……」
「以上の事情を踏まえ、貴方に手当または褒章をまた改めて送ることになると思います」
「手当? 褒章…?! いや、それはいくらなんでも――」
「毒に罹った経緯を鑑みれば手当を、貢献につながった行為を鑑みれば褒章が認められますので。図鑑作成の仕事の範疇を超える仕事があったということです」
確かに図鑑作成の業務内容に治験まで含まれるはず無いのは、当然セタも理解できた。
「ふん、まあありがたく受け取っておけばよかろう。治験というのは事実じゃしな」とミィココは言う。
(その過程で色々実験したのも事実じゃし)
「うん、そんな遠慮しなくても良いよね」とルカヱルも続く。
(結果的に効果のない薬も投与しちゃったし)
「なんか二人とも目をそらしてないですか?」
「気のせいじゃぞ」
「そうですか? なら、ありがたく……」
セタはまだ戸惑いもあったが、最後には頷いた。そこで、ようやく自分の仕事を思い出した。
「そうだった、ディエソさん。ハーグリャと……あと、ラアヴァの図鑑のページも渡したいんですけど」
バッグから紙を数枚取り出したセタに、ディエソは何度か頷いて答えた。
「なんと。病床に臥せていたと聞いていますが、図鑑も仕上げていただけたとは。では、拝見します」
セタから書類を受け取り、一枚一枚確認していくディエソ。
「ハーグリャ……。以前は地を這う竜だと聞いていましたが、随分と様変わりしたものです。これが本当に、今のハーグリャなのですか?」
「一応、私がマナを見て確認したから、ハーグリャで間違いないと思うよ」
「儂も一瞬だけ見たが、そうじゃろうな。もし自分の目で見たければ、例の森林地帯へ行って見よ」
魔女二人が言うので、ディエソは恐縮とばかりに細かく首を振った。「疑ってはおりません。しかし、このように竜が変貌を遂げるケースは初めて見たもので。さて……もう一枚はラアヴァの図鑑でしょうか?」
そして“例の絵図”を見て目を細め、セタを窺うディエソ。
セタは、視線だけを一瞬ミィココに向けた。
ディエソはおおよその事情を理解すると、咳ばらいをする。
「ん、ん……あー……、こちらは」
「儂が描いた」
「え、ええ。なるほど。ふむ。特徴はよく分かりますね。背中に棘……? いや、凸凹……があると」
「トサカじゃぞ」
「トサカですよね、ええ」
二人のやり取りを見ていて、ディエソさんも大変だな、とセタはしみじみ思っていた。
それから、図鑑ページを受領したディエソに玄関まで送られて、セタたちは碧翠審院を後にした。
「さて、儂は絵描きが見つかるまで、しばらくは地下の工房に籠っておこうかのう。またウロウロして、役人どもと連絡がつかんくなっても面倒そうじゃ」
「じっとしてられるの?」とルカヱル。
「儂のこと犬か猫かと思ってないか、お主」じっと目を細めて、ミィココは彼女を睨んだ。
「お主らこそ、次はどうするんじゃ? 儂も竜を見つけるため、このメガラニカを集中的に回るからのう、プロジェクトの効率を考えるなら、この地は儂に任せる方がよかろう。機を見て、次の地へ赴けばよい」
「そうね、次の地か。うん、行くとしたら……アヴァロンかな?」
「あっ、次はアヴァロンですか?」とセタはつい反応した。
彼の地についてはセタも少し詳しかった。ジパングとアヴァロンはよく似ている。二つの地方は海を挟んで位置する大小の群島の集まりであり、交易が盛んにおこなわれているからだ。アヴァロンの名産品の一つに、コーヒー豆が挙げられる――ただ、それはジパングでは嗜好品の類だ。
「でも、もうちょっとだけメガラニカに残ろうかな。とりあえず、私が知ってる竜のことは見て回っておくよ」
「そうか。まあ、好きにしたらいい」
「でも、もう既に移動しちゃった竜もいるんだよね? “ミース”みたいな感じで……。ミィココ、他に移動しちゃった竜がいたら、教えてくれない?」
「ああ、なら……ふむ、また茶でも淹れようか?」
魔女たちは何か話すときに茶会を開く決まりでもあるのだろうか? ――セタはそんなこと考えながら、二人の魔女の後ろを歩いて付いていた。
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