第46話

 碧翠審院を離れた後はミィココの家で魔女の茶会が開かれ、ルカヱルが調査する竜の候補を決めることとなった。当然のことながら、メガラニカを離れていた時間が長かったルカヱルよりも、ミィココの方が竜に関して知っている情報は多く、最終的には、自分で伝承を知っていて、なおかつメガラニカに未だ現存する竜の中から数体をルカヱルとセタが担当することとなった。残りはミィココが調査をする。

「プロジェクトの性質上、後から別の魔女もメガラニカに来ることじゃろうが――ふふん、奴らがやることは、ほとんど残らないじゃろうな。この儂の調査に勝る奴はおらんじゃろう」

「ふふっ、まあでも皆の好きにさせたら? 竜の観察結果が、必ず一致するとも限らないし」

「ふむ、一理ある。人間は言わずもがなじゃが……魔女同士さえ、同じ世界が見えておるとは限らないしな」

 ミィココはティーカップに口を付けてから、ため息を吐いた。「ラアヴァの姿も、儂以外の魔女が見たらどう見えるのか、セタが見たらどう見えるのか、気になるがのう……あやつは誰の目にも等しく、蒼く映るのじゃろうか?」

「なんか……、深いテーマですね。ラアヴァに近付いて確かめること自体は難しいですけど……」

 セタは唸る。突き詰めて考えてみると、全ての色と形が、誰しもに同じように見えている保証はない。証明もできない。ミィココがセタの絵を指して「翻訳」と称したのも、例えではなく文字通りにその通りだったのかもしれない。

 絵心がない者が絵を描いたとする。その絵は多くの鑑賞者にとって、「写実的ではない」と評されるだろう。しかし、そもそも彼に見えている世界が鑑賞者と違う可能性もある。その可能性を否定するには、鑑賞者も自分の世界がどう見えてるか示す必要がある。

(魔女はマナに遮られて物が歪んで見えてしまう。じゃあ逆に、俺にマナが見えるようになったら……?)

 ――考えても分からないことは、今度暇つぶしが必要な時に考えることにした。今は取り留めのないテーマよりも、次に調査する竜を把握することである。

「そうだ、ミィココ。改めて聞くけれど」と、ルカヱルは切り出した。「インクレス――っていう竜の名前を聞いたことは、やっぱり無いかな?」

「インクレス? ああ、お主らが前に言ってた深海に棲んでる“波紋の竜”とかいう奴か? むう、思い当たるものは無いが――お主、その竜の伝承をどこで聞いたんじゃ?」

「そう言えば、俺も聞いたこと無かったかも……。ルカヱル様、俺も気になります」

「……アヴァロンだよ」

 セタは目を剥いた。なにせ、次に予定している移動先だからだ。

「交易のために航海技術が発達したアヴァロンは、海の生活に紐づいた伝承が多かった。インクレスもそのうちの一つ」

「なるほどのう……ふむ? 前にも聞いたかもしれんが、そもそも、なぜお主らはインクレスを追ってるんじゃったっけ?」

 セタは以前の会話を思い出したが、説明した記憶が無かった。

 ただ、そこはルカヱルが説明すべき点だろう。セタが視線を向けるより早く、彼女は前置きのような咳ばらいをした。

「アトランティスって、知ってる?」

 それから、事情の説明に耳を傾け、やがて話が終わると、ミィココは唸った。

「仮称“ガイオス”がアトランティスを滅ぼし、しかもインクレスと同一個体かもしれん、と? そんなことが……? しかしその話、もしやするとメフィーも知らんかもしれんな……」

「白魔女様もですか?」

 セタは驚く。凡人にとっては世界全てを見通しているとすら思われている白魔女様である。

「ああ。ここ数百年、奴は世界全土に目が届くようになるまで魔法を整備した……。さらにそれより早く、“世界地図”も完成していたはずじゃ。他の誰でもない、メフィーの提案したプロジェクトによってな」

「えっ……。竜図鑑だけじゃなくて、世界地図も白魔女様の提案だったんですね?」セタは目を丸くした。

「それこそ、奴が例の魔法を整備するための下準備じゃったと思うがな。逆に言うとじゃ、世界地図の完成よりも前に失われた大地のことは、奴すらも、把握していない可能性はある」

「なるほど……」

「でもね、インクレスはきっと移動してると思うんだ。アトランティスが沈んだあと、すでに竜はいなかったから……」

「大地を沈めるほどの力を持った竜か」ミィココは腕を組み、目をつむる。「……波紋との関係は知らぬが、同じくらい強大な竜のことなら、メフィーから聞いた覚えがある」

「えっ……! それなんていう竜? どこにいるの?」

「いまのところ、ガイオスのような仮称は無い。いまも健在しているか、どこにいるかは分からぬ。お主の言うガイオスと同一の竜かもしれん。違う竜かもしれん。じゃがメフィーは、その竜を指して――“厄災”じゃと」

「厄災……」

「まさに星を破壊するほどの力を持つ竜じゃ。お主ら、こういう話を聞いたことはあるか? かつて、メガラニカ、ムー、そしてレムリアは一つの大陸だった――」


 その大陸は、パンゲアと呼ばれていた。世界地図を遠くから眺めると、メガラニカ、ムー、レムリアの3つの大陸の輪郭は割れたクッキーやパズルピースのように、きっちりと組み合わさるように見える――それは決して偶然ではなく、3つの大陸が元々一つだったからだと、そう謳われているのだ。

 歴史的事実としては信じがたい話であり、当該地域に暮らす人々は、「砕けたパンゲア」の存在を神話か何かだと思っている。

 ただし魔女の中でも最も長く存続するメフィー、そしてミィココにとっては、それは神話でも歴史でもなく、ただの記憶の一つなのである。


「儂が生まれて程なく、大地が破壊され、すべてが揺れ動いた災害があった。途方もない力に飲み込まれた儂はかなり損傷したが、メフィーによって救出された。その時あやつが、儂に言ったのじゃ」

「竜の仕業だ、って?」とルカヱルは尋ねる。

 ミィココは頷いた。「その竜の詳しい話はメフィーに聞くんじゃな。当時の儂は、体の損傷を治すのに手一杯だった。ガイオスやらインクレスやらと同一の個体かどうかは、細かいところは判断がつかん」

「分かった、ありがとうミィココ」

「あるいは――ふむ。もし手がかりが欲しいなら、お主が深海に行って見るというのはどうじゃ? お主がアトランティスが沈んだ後に残ったマナの性質を覚えておるなら、何か分かるかもしれんぞ」

「ん……。確かに?」

 ルカヱルは視線を斜め上に向けて、思案を始めた。「でも深海か……。行けなくはないけど、無策はさすがにね。今回は、セタもいるし」

「ああやっぱり、俺も行くんですね? 深海」

 全く想像もつかない世界だったが、既にこの仕事に参加してから想像できない出来事は連続してきた。不思議と、強い抵抗感は無かった。

「うん、考えてみる。ちょっと準備してから、今度トライしてみようかな……。セタ、良い?」

 当然、セタの中にも恐怖に似た印象はあったが、ルカヱルが一緒に居ればほとんどの問題は発生しないだろう、とも思っていた。

 それを踏まえて建設的に考えた結果、セタはこう答えた。

「ええ、もちろん。毒とか無ければ」

 ルカヱルは苦笑いで、後頭部を掻いた。「じゃあ、また今度ね」


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