第44話

 それから、セタたちは改めてハーグリャ、そしてラアヴァの図鑑を完成させることにした。

「でもハーグリャはともかく、ラアヴァの図鑑を作るのが難しいですね。まだ俺はラアヴァを見ることができてないので、外見は分かりませんし」

「ふっ、そのことなら心配ないぞセタよ」

と笑ったのはミィココだった。「一瞬だけじゃが、儂は奴の姿を見た。マナで歪んでない奴の姿をじゃ」

「えっ? 歪みが消えたんですか」

「ああ。おそらくラアヴァの炎熱の影響で、外部にしみ出したマナが一瞬だけ吹き飛んだ。そのおかげじゃな」

「あっ、そういえば私も一瞬だけ、ハーグリャの姿がちゃんと見えたよ。セタの絵の通りの形だった……黒焦げで、色は分かんなかったけどね」

「そういうわけじゃ。ラアヴァの絵は儂が描いてやるぞ」

「そうですか。それはありがたいですが……」

(描けるんですか?)

とは中々聞きにくいセタ。

「でもあなた、絵を描けるの?」と聞きたいことを聞いてくれるルカヱル。

 ふふん、とミィココは息巻く。

「無論じゃ。形が分かっておるものを絵に描き起こすくらい、簡単じゃろう?」


 ――それから1時間もすると、、ミィココの絵は完成した。

「……」絵を見てセタは黙る。

「……」絵を見てルカヱルは黙る。

「……」絵を見せてミィココは黙る。

 セタが書いた作品『ハーグリャ』と比較すると――味のある出来だった。ただし学術的な意義を求める図鑑の絵は写実的であるべきである。正直なところ、ミィココの絵は図鑑に載せられるものではなかった。

 竜らしい形にはなっているものの、目や口のサイズは狂い、手や腕が短く関節が無いという印象を与える。上半身だけしか観察できていなかったのか、腹部から下の部位は描かれておらず、なぞの“円”から下に隠れている。

「さっき自信満々だったのに、どうして下半身が無いの? このは何?」

「か、火口……」

(あっ、火口か)とセタは頷いた。

 つまり、下半身は火口の中に隠れていて、上半身だけが這い出た状態を目撃したようだ。

 ミィココはバツが悪そうだ。

「か、描いてみると、意外と難しいんじゃよ……。不思議じゃな、形は覚えておるつもりなのに」

 ジト目で睨んでくるルカヱルから目をそらしつつ、ミィココは唇を尖らせてつぶやく。

「ええと……特徴はよく分かりますよ。翼は無く、背中にかけて……トサカのような……突起? があるんですね?」

「そう、そうじゃぞ! セタは分かっておるな」

「まあ、特徴が分かるならいっか。明日、ディエソにこの絵も渡しに行く?」

 このまま“ミィココ作”と付して渡すと、魔女の威厳が地に落ちる恐れがあったが、それを理由に渡さないという提案をすること自体が酷く不敬にあたりそうだったので、もはやセタは、

「……はい、そうしましょう……」

としか言えなかった。

「そうじゃ、ルカヱル。今回は儂も一緒に連れて行ってくれ。図鑑プロジェクトのこと、改めて話をしに行かんとな」

「珍しく律儀だね」





 ――そんな経緯があり、その次の日、セタは二人の魔女と共に大役所碧翠審院へと赴いていた。人々はミィココを見つけると、ぎょっと目を丸くして、軽く頭を下げたり、ぎこちなく腰を折る。

「こ、これは! ミィココ様、本日はどういったご用件で……!?」

「図鑑の件じゃ、知っておるか?」

「はい!はい!もちろん! 今すぐ、担当者をお呼びします!」

 セタたちは控室に通された。二人掛けできそうな大きさのソファが、一人ひとつ用意された大きな部屋だった。床は一面ふかふかのカーペットで覆われており、靴で上がるのが申し訳ないほどだ。

 わずか1分後、ディエソが慌てて部屋にやって来た。

「ミィココ様……! 先日のハーグリャの対応に引き続き、たびたびご足労いただきありがとうございます! 本日は図鑑の件でお越しくださったと……。それにルカヱル様、セタ様もごいっしょですか」

「そうじゃ、儂はその話をまだきちんと聞けておらんからな。一応、そこのセタから概ね聞いておるが」

「さ、左様で。これはご足労をおかけしました……では僭越ながら、説明させていただきます。資料をお持ちしますので、ほんの少々お待ちを」

 それからディエソは15秒だけ席を外し、すぐに戻って来た。席に着くと、大きな机の上に3人分の資料を差し出す。セタやルカヱルの分も一応あるようだった。

「本プロジェクトですが、竜に起因する災害の発生を防止・予見する体制づくりの取り組みです。ご存じのように、竜は一定期間を置くと移動を始め――」


 話の要点は、かつてセタがジパングで聞いたのと同じだった。

 竜が災害をもたらすこと、竜が移動し、被災地域が変わる可能性があること、外来の竜に対して対策を知らない地域は数多く存在すること。

 改めて話を聞くと、意義は確かにありそうだとセタは思った。初めてプロジェクトの概要を聞いたときは、竜そのものに詳しくなかったこともあり、やる意味モチベーションがそれほど理解できていなかったのに。

(俺も結構変わったかも)


「そこで図鑑を作製する運びとなりました。単なる対策方法の見識伝聞の保存だけでなく、“竜の外観”の周知。すなわち、絵図の作成が、本プロジェクトにおける重点項目となっています」

 ふう、と小さく息を漏らすディエソ。

「重点は絵か……。理解した」ミィココは資料に目を通したのか、机の上に置いてから頷いた。「当然と言えば、当然じゃな。お主ら人間は、竜を見てもマナの量や質を察知できるわけではないらしい。ゆえに危険を判断するのに事前に必要な情報が多くなる」

「おっしゃる通りです。また本プロジェクトは、各地にいらっしゃる魔女様の主体としての活動を、“暇潰し”の一環として推奨しています。特に竜の追跡は、われわれ人間には困難を極めており……よろしければミィココ様のご協力も仰ぎたく、本件を打診した次第でして、いかがでしょうか」

「もちろんやるぞ! 喜んで協力させてもらおう」

「ほっ、それは良かった」

「じゃが絵描きを探しておいてくれるか? 竜の輪郭は、魔女の目にはほとんど見えないからな」

「ええ、もちろん。早速準備させていただきます」

 ディエソは大きく息を吐いた。「そうでした、もう一点。魔女様たちの図鑑の情報は、最後には中央大陸のレムリアに集約されます」

「レムリア? ……はっ。どうせこれも、メフィーが発案したプロジェクトなんじゃろう、奴らしい」

「ご賢察の通り、白魔女様のご提案にございます」とディエソは神妙に頷いた。


 通称『白魔女様』、メフィー。

 過去1000年以上にわたって中央大陸レムリアに坐し、役所同士の情報の伝達を担う「白塔」と呼ばれる情報機関に属する。プロジェクトの発足や、セタとルカヱルの出発、各地の魔女の進捗や動向――知りようも無いような遠い地のローカル情報が役人の間で支障なくやり取りできているのは、メフィーが運用する大魔法“通心円陣”のおかげだと、新人研修で聞かされるのだ。

 世界中の役所において大きなプロジェクトが発足されるときは大概メフィーの考案であり、その副次的目的は専ら「魔女の暇潰し」なのである。

 凡人の世とって、その名はまさに王や神にも等しい。世界中が、彼女の眼下にあるからだ。

 

 ――だからこそ、ミィココが旧友を呼ぶような口調で“メフィー”に言及したとき、セタはつい驚いた。ミィココにとってはだから当然のことなのかもしれないが。

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