第42話
◆
魔女は100年かそこらの記憶はかなり鮮明に保つが、さすがに1000年以上も前の記憶となると、それなりに薄れて来る。
1000年以上前のこと――もはや正確に何年前か思い起こすのも難しいほど、昔々のこと。
そのときは大陸アトランティスが健在だった。とある魔女が先導して技術的発展が進み、4つの国が興るほどであった。周辺地域における航海技術が未成熟であり、なおかつアトランティス地方ではアトランティス地方内で凡その需要を賄える、という事情も相まって、完全に孤立した大陸だった。
あるいは意図的に孤立するように統率されていたのかと思えるほどで、それは一種の箱庭のようだと思った。
だから支配階級の支配者に“とある魔女”が君臨していたとき、納得するところがあった。
「……貴方も、魔女なんだよね?」
“とある魔女”は、初めて遭遇したときにそう言った。海底を歩いて陸に上がった瞬間に、彼女に見つかったのである。
今でも思い出せる、うっすら緑っぽく色づく変わった髪の色。きれいに切り揃えられていて、身なりに対する高い意識を感じさせる、彼女の人間らしさを。
しかしお互いの目から見てしまえば、相手が魔女であるということは、マナを観察すれば容易だったのである。
「うん……はい、そうですよ」
と頷いた。「えっと……ごきげんよう、私はルカヱル。会えてうれしい。……えっと」
「私は“ノアルウ”。私も遭えて嬉しい!」
彼女は屈託なく笑った――これまでルカヱルの知る限り、暇潰しのために国を作ったのは、彼女くらいのはずだった。
「ねえ、ちょっとお話しないかな? 君はどんなところから来たの? あっ、お茶か何か入れようか?」
「……おちゃ?って?」
当時はまだ飲んだことのない物の名前を聞いて、ルカヱルは首を傾げたのだ。
そんな思い出がある。夢心地のなかで、ページを捲るように思い返していた。
◆
「?……む、んにゃ……」
ルカヱルは目を覚ました。とても久しぶりに眠ったおかげで、夢を見ていたらしい。頭はすっきりしていた。腕を空に伸ばして、背すじを伸ばすと気持ちが良い。
太陽は、真上にあった。推定するに、今は昼らしい。
「ん…………あっ!?」
素っ頓狂な声を上げて辺りを見渡す。砂漠のど真ん中にいた。辺りを見渡すと、箒が放り出されている。「は、ハーグリャは……?」
空を見渡したが、丸一晩経過して近くに居座っているはずもなく。しかし微かな記憶を思い返せば、毒のマナが焼き払われた飛竜の姿が思い浮かんだ。
(多分、ハーグリャはもう放っておいても問題なさそうか……)
「って、そうだミィココは!?」
急いで箒に跨り、ルカヱルは空に飛びあがる。火山の真上まで接近すると、荒れ果てた様相の山が見えた。不思議なことに、本来見えないはずの鉱石が、普段よりはっきりと見える。
「ラアヴァの炎で、マナが焼き尽くされちゃったってこと……?」
ルカヱルはゾッとした。鉱石のマナは、植物と比較しても濃度が濃い。そんな物体のマナが、熱だけで破壊されて消し飛んだというわけだ。
そんな炎熱の直近にいたミィココはどうなってしまったのか。
「みっ――ミィココー!! いるー!? 返事してぇ!!」
ルカヱルは山頂に降り立ち、声を上げる。溶融した岩肌がめくれ上がって、波打つ浜辺のような模様となってえぐれていた。
(吹き飛ばされた? もう少し下の方にいるのかも)
ルカヱルは箒に乗って、斜面に沿って下っていく。すると、マナが全て蒸発してしまった鉱石の瓦礫に混ざって、目を引く塊が見えたのである――ミィココのマナだった。
「ミィココ!? 見つけた、ミィココー!!」
ルカヱルは急いで近寄る。炭のような黒い塊を抱え上げると、ちょうど少女の体躯らしい重さが腕に掛かる。ルカヱルはじっと目を細めて、観察を続け――やがて、ほっと息を吐いた。
真っ黒に焦げてしまっている「それ」は、目をぱちくりと開いて、その青い瞳孔をルカヱルに向け、口も開けて息を漏らしたのだ。
「はあー……ミィココ、良かった生きてて」
「――ぶん、だれがごんなものでじぬが……ごぼっ、げほ」
咳を零し、肩を揺らしながら、ミィココはゆっくりと体を起こす。人影に目だけが浮かび上がったような奇妙な様相だったが、ミィココが顔の表面を人差し指で引っ搔くと、“ばきっ”と音を立てて皮膚が砕け落ちていく。そして、その下から真っ白な柔肌が覗いたのである。体を動かすほどに、表層を覆っていた黒い炭が剥がれ落ち、やがて肩から上の肌を露出したミィココが、姿を現した。
「ふっ……。ああ、久々にこれほど損傷したのう、やれやれ。次にこやつが大陸を移動したら、どうなることやら――今のうちに、対策を練っておかねばならんかな」
首を振ると、ミィココの髪が揺れる。妙に晴れやかな表情で、上機嫌な様子だった。「ハーグリャはどうなった?」
「ちゃんと燃えたよ。毒は全部蒸発したはず……でも、飛んで逃げちゃった」
「はっは。とはいえあやつ、ラアヴァの光に耐えて逃げ仰たか。儂に匹敵するほどに硬いのかもしれんのう」
「ふふ、どうだろ。さすがにミィココみたいに、もう一回直撃しに来ることはないと思うけど」
「じゃろうな。そんな酔狂な竜、おるまい」
ふん、とミィココは鼻を鳴らし、立ち上がった。今も体表のほとんどを炭が覆っていたが、動くにつれて亀裂が入り、破片が落ちる。その視線の先は山頂を見ていた。足を止めて、じっと眺めている。
「ルカヱル……儂は。一瞬だけ、ラアヴァを見た気がした。マナで歪んでない、やつの体が」
「えっ? ……気のせいじゃないの?」
「かもしれん。儂の見た夢か幻覚かもしれん。だがもしやすると、あやつの炎熱は、あやつが身にまとう周囲のマナを変換することで得ているのかもしれん。だからきっと、儂の視界が光に呑まれる“変換”の一瞬だけ、この一帯からマナが失せたんじゃ」
「マナが失せた――? だから、貴方にも姿が見えた?」
「かもな。そう思っておる。以前は見えなかったんじゃが、今回は見えた。前よりも大量のマナを使ったのかもしれんな」
ミィココは、そう呟いてしばらく山頂を眺めていた。穏やかな風の音が響く。
「でな、あやつ、本当は何色だったと思う?」
「ラアヴァの色ってこと? 紅蓮なんでしょう? ……いや、それは熱が冷めた状態なんだっけ」
しかしミィココは本当のラアヴァを見たのだ。伝承に伝わる雨で冷めた状態でもなく、熱に輝く状態でもない、真の姿を。
「本当は……蒼かった。空のようにな。神秘的じゃったよ」
ルカヱルは目を丸くして、山頂を見つめた。今日は良く晴れている。空が信じられないくらい青く見えるほど。
「ねえ、そろそろ帰る? セタが待ってるよ」
「ああ、そうじゃったな。帰るか」
あっさりとミィココは頷き、山頂に背を向けた。そして箒に乗ると、二人の魔女は霊峰を離れたのだった。
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