第41話

 ルカヱルがミィココのマナを頼りに軌道を修正したころ。

 ミィココは、すでに噴火を誘発するための準備を始めていた。

「さてさて、今夜は眠りを邪魔して悪いのう――とは言いつつ、少しばかり不機嫌な目覚めだと、なお助かるが……!!」

 全身からマナを解放し、火口の奥で眠るラアヴァに「ちょっかい」を出す。奇しくもそのマナは、ルカヱルにとって「手綱」として察知されていたが。

 放出を初めて、わずか数十秒後。地鳴りがして、小さな石が崩れて山の斜面を転がっていく。

「は、来たか!!」

 ミィココが解放したマナの、数百倍の濃度はくだらない気配が空間を満たす。


 ……ggG……


 かすかな呻き声が、山の奥底から低く、不気味に響き渡る。脈動のリズムで、火口の奥で光が明滅する。

 ミィココの背中に、冷や汗が浮かんだ。単に竜という生物ではなく、災害、自然――あるいはこれまで見たこともないが、「神」を相手にしているかのような、潜在的危機の感触。

 何百、何千年と生きてきて、このような感覚を抱くことは、指で数えるほどもない。

「しかしだからこそ、火遊びはかくも楽しいもの……!!」

 一定のリズムで山が揺れ、それに合わせて、光が明滅する。

(このマナは――!? 500年前の噴火のときよりも、150年前よりも、さらに濃い……!)

 ミィココは振り返り、遠くの空を見る。ルカヱルが徐々に近づいてきていた。

 当のルカヱルも、背中で莫大なマナを察知していた。燃えるように熱くもあり、背筋が凍るように冷たくもある。

(目で見なくても感じるなんて……!? これがラアヴァのマナなの?)

 ルカヱルは、いまごろになって少し後悔していた。危ない橋を渡ってラアヴァの炎を使わなくても、他の方法でハーグリャの鱗粉を無効化する方法があったのではないか?

 ――背中に走るそんな危機的感覚とは反対に、心臓は魔女を囃し立てるように、高鳴っていた。

「でも、だからこそなんか、ワクワクしてきちゃったかも……!」

 地獄の炎熱に向かって、ルカヱルの箒は加速する。しかしハーグリャは不意に方角を変えて、火口から逸れるように上昇を始めた。

「えっ!! ちょ――!」

 すでにルカヱルとハーグリャを視界に収めていたミィココも、それを見て目を剥く。

「あやつ、ラアヴァのマナを察知して逃げたのか――!?」

「いや、逃がさない!」

 ルカヱルは箒を加速して、上昇するハーグリャに容易く追いついた。魔女の鎧の効果により、瞬間的な加速度は遥かに向上していた。

 しかし前に出たルカヱルの背中を目掛けて、ハーグリャの口吻が伸び、牙が光る。

「……ッ!!」

 そしてルカヱルは、その口吻の管を

「うわっ! つ、掴めた!?」

 自分でも自分のとっさの行動に驚いていたが、この機を逃すことはできない。ルカヱルはさらに魔法を使い、自分の手の握りをがっちりと固定した。さらに地上にある火口を目掛けて、急降下を始める。

 "QUIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!!!!!!!!!!!!!!"

「ああぁぁああああ!!」

 竜の咆哮が、自分が握っている管から甲高く響き渡る。ルカヱルは顔を顰めつつも、火山の光を目掛けて飛ぶ。ハーグリャの抵抗を魔法で拘束して抑えつつ、加速してなんとかスピードを保つ。

 竜の到着まで、あと10秒――。

「来たか!! おい、さっさと目覚めよ、この寝坊助が!」

 ミィココはブーツに魔力を込めて、青い閃光と共に火山の表面を思い切り踏みつけた。魔法の金属音が轟くと共に地表に亀裂が走り、大きな石も崩れて転がり落ちていく。

 火口に光が宿る。

「……く、来る……!!」

 ミィココはルカヱルの方を一瞬振り返る。到着まで推定、あと6秒。

(早く――! 早く噴火しろ……!!)

(速く――! 速く辿り着け……!!)

 あと4秒。3, 2――

 焦るミィココの頬を、汗が滴って落ちたその瞬間。汗は地面に落ちるより早く、たちまち蒸気となって消し飛び、周囲が“光”に包まれて――


――GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAW!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!――


 号砲の如き轟音が空気を揺らし、二人の魔女の視界は光で塗りつぶされた。

 もはや炎という次元ではなく、もっと直接的な熱の放射によって肉体の内側から焦げるような感覚がくすぶり、やすりで削られるような激痛が肌の上を電流のように駆け巡る――!!

「a―――………ッ!!!!」

 ミィココが口を一瞬開けた瞬間に声帯が、気道が、肺胞が焼き切れ、火口から吹き飛ばされたあとに山の表面を落石のように滑落していく。放出されたラアヴァの光は、一瞬のうちに雲より高く立ち上り、月の周囲の朧雲を吹き飛ばした。光はもはや月光を上書きし、夜闇を真昼間のように明るく照らしていた。

 その炎は赤いというよりはもはや白く、その光は白いというよりはもはや青白かった。

 一方、ルカヱルは光に潰れた視界の中を、僅か“0.2秒”だけ飛行した。

「――ぁっ」

 0.2秒。その一瞬のうちに、ルカヱルが着ていた魔女の鎧は半壊し、煙を上げる。しかし鎧の魔法がダメージを肩代わりしたおかげで、なおかつ、箒が最高のスピードに乗っていたおかげで、彼女の体も箒も、光の中に燃え尽きることは無かった。

「……uua……」

 とはいえ、受けたダメージは相応に大きく、大やけどを負った肉体からマナが混ざった漆黒の煙が漏洩していく。そしてルカヱルの箒は、徐々に高度を落としつつあった。

 一方で、ハーグリャも無事では無かった。光の中を通り抜けたハーグリャの体は、全身が黒く焦げ、もはや前後も分からない様相となって、夜の空を滑るように飛んでいく。

 力が抜けたルカヱルは、ハーグリャを手放す。燃え尽きた竜は、それからも弱弱しく飛行を続けていた。薄れつつある意識の中で目を凝らすと、竜のマナの気配はすっかり変わっていた――体表面を覆っていた毒は完全に燃え尽きて蒸発し、無毒化されていたのである。

 そして竜のマナが熱で発散し、濃度が薄くなったその一瞬だけ、ルカヱルはハーグリャの「形」を、己の目で確認できた。

(あ――セタの図鑑の通りだ……凄い……)

 そうしてハーグリャは煙を上げながら、遠くの空へと飛び去った。それはまるで火口から逃げていくような挙動だった。恐れを知らず、竜すら喰らおうとするハーグリャも、「神話の如き火」を身に受けて、恐怖を知ったのかもしれない。

 それを見届けたルカヱルは項垂れ、そのまま砂漠の上に撃墜され、気を失って動かなかった。

 ラアヴァの光が、次第に収まる。マナも、毒も、水も、雲も、全てが蒸発した夜の空気は、もはや真空のように澄み切って、途方もない放射熱の残滓だけを漂わせて、仄かな月明かりと静寂を取り戻した。

 

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