第39話

「ルカヱル、いったんお主の案に乗ろう。火急の件ゆえ、実行可能なアイデアから試していくべきじゃ」

「貴方ならそう言うと思ったよ、ミィココ」ルカヱルは壁に飾られた地図を剥がして、台の上に置いた。「私たちがハーグリャを見つけたのは、伝承が伝わる森の上空だった。帰巣本能みたいなものに基づく行動かな? そのタイミングで、どうにかして誘導をすれば……」

「ふむ。しかし、飛行速度によってはラアヴァの噴火が直撃せん恐れがある」

「そっか……どうしよ?」

「噴火のタイミングを操るしかないのう。ハーグリャが火口を通り過ぎてからでは遅い。その直前で、わずかに速く、噴火を誘発させるしかない」

 地図の上にミィココが指を置く。「……儂がラアヴァの噴火を、お主がハーグリャの飛行を、それぞれ誘導する。マナで合図を送り合い、互いの位置を把握して、噴火を直撃させる――というのはどうじゃ?」

 後ろで聞いていたセタは、つい気になってしまい、声を掛ける。

「ミィココ様……。噴火を誘導するってことは、つまりまたその火口に行くってことですか? でもそれでは、また大やけどを負うリスクがあるんじゃ……?」

「そうじゃな」

と、平然と答えるミィココに、セタはぎょっとした。

「でしたら、何か他の方法は? いや、そもそもの話、ミィココ様にも、ルカヱル様にも、あの毒は効いていないように見えます。人間のために、どうしてそこまで」

「……」

 ミィココは腕を組み、解答を考える時間を挟むと、口を開いた。

「共生関係、というのは知っておるか?」

「え?」

「異なる生物が、互いの利益のために身を寄せ合って生きることじゃ。儂ら魔女は、人間より多少頑丈で、マナを扱える。じゃから、人間に対応できない問題も、時に解決できる」

「それは分かります。でもこれ、共生というには、魔女様たちの負荷が大きいような」

「はっ、それは違うのう」

「うん。負荷の問題じゃないね」

 ミィココだけでなく、ルカヱルも頷いた。セタは首を傾げる。

「負荷の問題じゃない……?」

「そもそも儂ら魔女は、人間がいなければとうに滅んでおったじゃろうな」

「え?」

「セタ、教えたでしょ? 魔女の命は、マナで支えられてる。でも暇な時間を過ごすほど、マナは消えていく」

「儂らが“暇潰し”という方法で長い命を生きることができるのは――人間がいるからじゃ」

 セタは目を丸くした。暇をつぶさなければ、魔女のマナはいずれ枯渇し、息絶えることはルカヱルから聞いていた。似たような話を、奇しくもミィココが提示したのである。

「でも、“人間がいるから”って、どういう意味ですか」

 ふん、とミィココは鼻を鳴らす。

「お主の言った通り、儂らにとって毒は問題にならん。仮に火傷を負っても、すぐに癒えてしまう。外敵の攻撃で死ぬことも、ごくごく稀じゃ。敢えて何も喰わなくても、眠らなくても、それで死ぬわけではない。生存のために必要に迫られる営みは、ほとんどない。昔の魔女は孤独で、生きているというよりは死んでいないだけじゃ。暇潰しの方法も思い浮かばぬ、無感動の生き物じゃった。――そうしてやがて、マナが枯れて死ぬ」

 ミィココは、セタを指さした。

「しかし人間が、魔女の生き方を変えた。命に生存以外の意味を持っても良いとな。魔女は人間を真似るようになってから、マナを生み出せるようになったんじゃ」

 セタは何も言い返せなくなっていた。魔女の考えが人間に友好的どころか、依存しているとは思いもしなかった。

「だから、人間のために……」

「まっ、餌場を守っているようなものじゃ」

「その例えはちょっと」

「はっは。ともかく、儂らが少々傷つくことを、お主が気にせんで良い。これはちょっとした、暇潰しの一つじゃからな」

「でもさ、ミィココ。ちょっと思ったんだけど……ハーグリャを誘導する私って、動線的に噴火に突っ込んじゃわない?」

「……」

「……」

 ミィココとセタは、その提言を前に一瞬沈黙して。

 そして、口を開いたのはミィココだった。「一瞬だけじゃし、我慢したら?」

「やだ、もうちょっと策考えようよ! 私はミィココほどは頑丈じゃないよ!」

「ふむ、そうじゃな……。ならば、こうしよう。儂の鎧を、ひとつ貸してやる」

「鎧?」と、セタ。魔女に鎧とは、珍妙な取り合わせだと彼は思った。

「おそらく、お主の考えておる鎧とは違うぞ。じゃよ――“変身”」

 その合図の後、光に包まれたミィココは、白衣を纏った姿に変わっていた。硬質なブーツのつま先で床を叩くと、ごんごんと音が立った。

 目を丸くするセタと、唸るルカヱル。

「貴方のそれ、貸してくれるってこと?」

「いや、これは儂が着ていく。お主には別の鎧を貸してやる。というか、欲しけりゃくれてやる。どうせ、儂は一つしか使わないからのう」

「その鎧も、ミィココ様の魔法なんですか?」

「ふふん、気になるか?」

 ――「どうしても話したい」とミィココの顔に書いてあったので、セタは素直に頷いた。

「竜から取れた素材と鉱石を混ぜて作った物じゃ。マナに由来する魔女への影響を軽減する。もともとは、マナによる視界の歪みを相殺するために始めた研究の成果物でな」

「視界の歪みを相殺?」

 言葉に反応したのは、ルカヱルだった。「できたの?」

「できておらん」

「なーんだ……」

「碧翠審院はそういう研究のために作ったつもりだったんじゃが、なんやかんやと増長して鉱石の研究機関になってしもうた。――いや、この話はおいておこう。他に試作品がいくつかあるんじゃ。余っている一式を、ルカヱルにやる」

「そう? じゃ、ありがたく貰っておく!」

 その言葉を聞いたミィココは頷いて、本棚のほうへと向かう。棚の本の一冊を引き抜いて、背表紙を奥にして棚に戻す――という手順を踏むと、棚が引き戸のように動いて、石の階段が現れた。

「んじゃ、取ってくるぞ」

と言い残して階段を降りていったミィココの背中を、セタは首を伸ばして覗き込んで息を呑む。

「凄ぇ……。なんかこういうの良いですね、言葉で上手く説明できませんが」

「私なら浪漫を感じるね」

「それです」

「碧翠審院にもこういうのたくさん仕込んでそうだな、ミィココのことだし」

 すぐにミィココは戻って来た。彼女が階段を上がりきると、ひとりでに棚が元の位置に戻り、先ほど差し込んだ本が床に落ちた。

 ミィココはその本に目もくれず、ルカヱルに細長い円筒状のケースを手渡す。

「さあ、善は急げじゃな。筒にマナを流してみよ、鎧はお主の体に沿うはずじゃ。無事に起動したら、さっそく出発するぞ」

「もう? 夜に出るの?」

「ハーグリャの生態次第じゃが――夜の方が好機と見た」

「なんで?」

「蛾は、光に集うものじゃ。知らんのか?」

 すっかりハーグリャのことを蛾として扱っているらしく、セタは少し可笑しかった。ただ、こういうときの魔女の類推や直感は決して侮れないものだ。

 ルカヱルは筒にマナを流し込んだ――円筒の側面は光の糸がほつけるように破け、彼女の体を眩く包む。

 光が消え、姿を現したルカヱルは帽子をかぶった姿に変わっていた。金属製の腕輪とチョーカーが赤く光り、ローブの上からさらに漆黒のケープが覆う。黒い手袋を纏った手の平を数回握り開き、と動かすと、ルカヱルは「ん」と唸った。

「……ちょっと小さいような」

「うるさい」ミィココは、文句を言う魔女をじっと睨んだ。

 ルカヱルが振り向き、セタは目があった。こうして正面から見ると、“鎧”は彼女に実によく似合っている。

「今回は危ないから、私とミィココだけで行ってくる。明日の朝には戻るね」

「はい。……健闘を祈ってます」

「ふん。健闘も何も、暇潰しじゃ。火遊びみたいなもんじゃ」ミィココが肩を竦めて言う。

「なら……“楽しんできてください”?」

 セタが発言の修正を試みると、二人の魔女は可笑しそうに笑った。

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