第38話
「んん、この話はともかく、今はハーグリャのことを考えないとです」ルカヱルは咳ばらいを挟んで、話題を変えた。「絵が描けそうだったら、どうかお願い。特にハーグリャの胴体の大きさ、翼とか」
「もちろん、すぐ準備します」
セタは指のストレッチをしてから筆をとり、スケッチブックに向かった。
「今のうちに私も準備しよう」
ルカヱルは、壁に飾られた地図に再び近付いた。木炭で描かれた地図であれば、魔女の目から見ても歪みは発生しない。火山周囲の地形を頭に叩き込み、イメージを固めていく。
セタは、先端を鋭く削った木炭でスケッチを進める。体と翼のサイズ比、ウロコの生え方、触覚の生えた頭部。書き込みを続け、口を描き始めたときにあることに気づいた。
思い出すと、とても独特な形状の口部だった。人間の場合、上顎と下あごは、一つずつしかない。ハーグリャの場合は違った。
上あごが一つなのに対し、下あごは二つに分裂して開く。それから響いた、遠雷のような咆哮までもが、記憶によみがえった。
「………」
セタが気になったのは、その形状。
何かを彷彿とさせていた。最近、どこかで同じ形状を見た覚えがあった。記憶力を持つセタであるからこそ、その類似性に気付き、はっと顔を上げた。
「ルカヱル様、お話したいことが」
真に迫る声色を聞いて、魔女はすぐ振り返った。「何? 何か分かりましたか?」
「これを見てください」
セタは完成したハーグリャの絵を掲げた。
ルカヱルはセタのいる実験台の前まで歩み寄り、少し腰をかがめて絵をじっくり眺める。
「ハーグリャの口です。この形状が」とセタが言う。
「口? うん、変わってるね。こんな口してる生き物、初めて見たかも」
ルカヱルは反射的に顎に手を当てながらつぶやく。しかし、ふと目を細め、考え込む。「これ、もしかして……」
「ルカヱル様、覚えてますか? シィユマが傷を負っていたこと」
「――あ! そうだ、それだ! それです!」
「貴方の自由帳にもシィユマの傷痕のスケッチを複写していたと思います。いま出せますか?」
「ある、ちょっと待って!」
ルカヱルは袖の下に手を入れて、分厚い書物を取り出した。数ページめくると、シィユマのメモが現れる。ルカヱル直筆のメモに加えて、何枚か描かれたスケッチが並ぶ。そのうちの一つは、シィユマの傷を描いたものだ。
ルカヱルは実験台の上に自由帳を置き、セタと一緒に覗き込む。彼女の指が傷の形状をなぞり、セタの指が出来上がったばかりのハーグリャの口部をなぞる。そして、二人は顔を見合わせた。
「やっぱり……シィユマの首元に残ったこの傷。ハーグリャが噛みついたら、こんな形の痕にえぐれると思いませんか?」
「うん。そっか、ああ、合点がいきました」
シィユマに残された抉れたような傷痕は、少し不可解な輪郭をしていたのだ。もし上顎と下顎が一対の動物が噛みつけば、噛みつき痕はおよそ楕円状の輪郭になり、歯形で多少歪むくらいと想像できる。ところが実際の傷跡は楕円状ではなく、数回の噛みつきを一度で受けたような形状になっていた。
その答えになりそうな物が、ハーグリャの口を見たら思いついた――下顎が2つに分裂する形状ゆえに、噛みついた痕も特徴的な傷になる。
「ミィココは竜同士の争いがシィユマの傷の原因って予想してたけど、ハーグリャと戦ったんだ。そしてハーグリャがあれを喰らって、傷痕がのこった」
竜が竜を喰らう意味とは、つまりそれが「もっとも効率的なマナの源」ということだ。
しかし鉱石や、雷を介してマナを摂取する竜もいる。竜同士の争いに一定のリスクがあるから、独自の餌をもとに生きるのは生存戦略と言える。反面、もしその生存戦略を度外視した行動を示すなら、生態系における相応の実力者であることを暗に示していた。
――そのとき、窓ガラスを豪風が叩いて大きな音を立てた。ルカヱルとセタは揃って肩を揺らし、屋外を見る。
窓の向こうでは、ミィココがこちらを見つめていた。
「あ、ちょうど良いところに戻って来た」とルカヱル。
彼女はしばらくして実験室の中へと入って来た。
「セタ、快復したか。投与から二晩くらいかの。いましがた、知り合いの医者たちにお主に使ったのと同じ薬のレシピを渡して来たところじゃ」
「街の様子はどうだった?」とルカヱルが尋ねる。
「案の定、あの森の周辺の街に同じような患者がおった。役人どもにも、急ぎレシピと状況を伝えておいたがのう。実際の被害状況はまだ計り知れん」
「そう……。けど、セタ以外の実害もやっぱりあったんだね」
「あやつは、早い所なんとかせねばな。薬だけ渡して傍観しているだけでは、やがて看過できぬ状況になりそうじゃ」
「ミィココ、私、考えたんだけど――」
ルカヱルは、セタと話し合った内容を伝えた。ラアヴァの縄張りの利用、鱗粉の無毒化方法、そしてハーグリャのスケッチと、シィユマの傷痕について――
ミィココは、話を聞き終えると「はっは」と笑った。
「お主、相変わらず考えることが突飛じゃの。じゃが、総合的に鑑みて試す価値はある」
魔女は腕を組み、斜め上を見つめた。「もしシィユマの肉体を齧ったのがハーグリャなのだとしたら、奴はマナを持つ者をどん欲に食らおうとするタイプと予想できる。工夫すれば、餌を用意できるじゃろう。空を飛ぶ竜が海中にいる竜に、どのようにして齧りついたかはまだ不明じゃが……」
「確かに……」とセタはつぶやく。ハーグリャがいかに強大な竜でも、どのようにして海面下の竜に齧りついたのか、そこは分からない。
「どちらにせよ、鱗粉が火で無毒化できることが分かっておるのなら、焼き尽くすのを試すべきじゃ」
「でも、ラアヴァの火を使うのが難しそうでさ……。周りに影響もありそうだし、そもそも、ハーグリャに当たるように上手く火を出してもらう方法も思いついてなくて」
ルカヱルは、作戦の難点を挙げる。
「あやつの“噴火”は、マナを持つ外敵からのちょっかいがあれば確実に起こるんじゃ。事例を儂は二つ知っておる――。一つは150年前。月光のミースが、月の光を浴びるためにあの近辺に留まったときじゃ」
(月光のミース……。ルカヱル様が“フォルヴェントみたいな竜”って言ってたやつか)
「ミースはあれ以来、臍を曲げてメガラニカを出て行ってしもうたのう。無理もないが、いまごろどこに行ったのやら」
「もう一つのケースは?」とルカヱルが尋ね、ミィココは苦笑いを零した。
「……儂がフィールドワークしてたとき、うっかり……。500年前くらい」
「くっ……あっはっは! じゃあ、原因は貴方ってこと?」ルカヱルが肩を揺らして笑う。
「わ、笑うな、この! あの時、お主はもうメガラニカから出ておったからのう……。儂は当時、メガラニカの噴火には火山灰がないのが気になってな。火口を覗き込んだんじゃが……」
ばつが悪そうに頭を掻くミィココ。「さすがの儂も、大火傷を負っての」
「あ、前に言ってたミィココを負傷させた“星を破壊するほどのマナ”ってそれ?」
「それとか、じゃな」
(ほかにもあるのか)横で話を聞いていたセタは、顔を少し顰める。
「ともかく、ラアヴァはマナを持つ外敵に対して攻撃するはずじゃ! ハーグリャも、ラアヴァも、マナを使えば上手く行動を誘導できるということじゃ。試す価値はある」
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