第34話

 ルカヱルの仮説を聞いたセタは、ますます背筋が凍るような心地だった。

「何かの到来って――ハーグリャですか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。私の個人的な予想は後者、ハーグリャじゃない何かが、ここに来るのかも」

 ルカヱルは窓枠に近寄って、外を見つめる。「ハーグリャの生息域はあくまで森の中。こういう風に、木が生えてない場所には来ないはず――今のところ、この周辺に竜のマナの残滓は見えないね」

「ハーグリャではないとすると、他にどんな竜があり得ますか? ルカヱル様が知っている伝承の中で、候補は……」

「メガラニカの伝承の竜だよね。んーとね、ハーグリャ以外の陸棲なら、例えば――」

 “紅蓮”ラアヴァ

 “地心”イマジオン

 “月光”ミース

「……その3つですか?」セタはメモをしながら尋ねる。

「メガラニカは広いから、砂漠と山脈で区切ったときのこちら側にいるのはそのくらいだね。南側には他にもいるけど、候補としては外して良いかな――けど正直、さっきの3体も可能性としては低い」

 ルカヱルは悩ましそうに唸る。「ラアヴァは見たことないんだけど、伝承に聞く生態の持ち主だったら森なんて灼けて残らないと思う。イマジオンも砂漠固有の伝承だし、こんな所にくるのはちょっと想像しにくいかな」

「ミースという竜は?」

「これもねぇ、例えるならフォルヴェントみたいな竜だから。こんな小さな人里に干渉する感じじゃないはずなの」

「うーん……」

 セタはルカヱルに並んでともに窓の外を見る。「もう一度、街の中を回りましょうか? 中と言うか、周辺の方が手がかりがあるかもしれません」

「だね。ハーグリャも警戒は必要だから。一応、毒があって危険な竜なんだ」

「ちなみに、どういった類の毒ですか? 液体? ガス?」

「いや、だよ」

「……あ、もしかして毛虫みたいな感じ……?」

「ああ、そうだね。見た目はよく分かんないけど、動き方もそんな感じでゆっくりしてるよ。針と言うか、まさしく毛に毒があるって考えた方が良いかも。ね、厄介でしょう」

「その厄介なハーグリャの到来に備えて逃げた、という線はやっぱり薄いですかね。それだけ危険だったら、あえて避難することもあると思いますが……」

「いや、木を切り倒して置くのがハーグリャ相手には一番確実な避難方法なのです。針に残った毒も、躰から抜けて3日以内に血と触れなければ毒は蒸発して効果が無くなる――逆に、毒が血と混ざれば悲惨なことになるけど」

(帰りたい……)というのが、セタの正直な感想だった。

 くす、とルカヱルは微笑む。「まあ安心してよ。魔女である私には毒は効かないし、君が毒に侵されても私ならすぐ治せるから」

「そうですか……」

 ルカヱルは小屋を出る。セタも続き、空を見上げると雲が少し増えていたが、太陽は隠れていない。

 集落から出て森へ入るのは簡単だった。荷車で出来た轍に沿って歩き、暗い森のなかへと進む。

「たしか、巣は球体なんですよね。大きさはどれくらいですか?」

「これくらい」

と手を広げるルカヱル。とりあえず、彼女の体の大きさで示すのは無理があるサイズらしい、とセタは見た。

「どうやら見つけるのは簡単そうですね?」

「もしあれば見逃すことはないよ。それに私もいる。巣にはマナの残滓が色濃く残るからね、すぐわかる」

 セタは持ち前の視力を活かして辺りを見渡す。少々暗いが木漏れ日もあり、目が効かなくなるほどではない。枝を踏む音を残しながら、二人は進む。

 セタは、ある違和感に気付く。「ルカヱル様……。少し気になったのですが」

「なに?」

「住人が避難するほどのイベントがあったとしたら、森の中にあまり異常が無いように見えませんか?」

 セタの目には、木々がなぎ倒されているような様子も、大きな足跡も見えなかった。「……イベントは本当に森の中で起きたんでしょうか。例の巣も近くにはないみたいですし、すこし、穏やかで静か過ぎる気が……」

「ん……確かに。なんだろうね」

 探究心からか、魔女の歩調は早くなる。セタは少しペースを上げて、彼女に追いついた。

 そして突如、森が開けたのである。鬱蒼とした木々とは対象に、大きな花畑が広がっていた。珍しいことに、青い花が半分以上を占めている。

「これは……珍しいですね、青い花畑なんて」

 ちょうど陽に雲が掛かると、光がカーテン越しのように薄く広がって差し込み、神秘的に花畑を照らしていた。

「本当ですね。見たことないタイプのマナ……」

「あっ、そうか。ルカヱル様の目には植物もよく見えないんでしたね」

「鉱石よりはマシだもん」

 何を張り合っているのやら、とセタは思った。歩み寄ってしゃがみ、花を一つ摘む。そのとき、ふと思いついた。

「ルカヱル様。この花を幾つか集めておきたいです」

「花を? なんで?」

「絵のためです。植物から絵の具を作れば、鉱石性の顔料なしでも色付きの絵が描けるかも……と思いまして」

「えっ、本当?!」パッと顔を上げたルカヱルが浮かべた表情は、実に明るいものだった。

「うわあ、そこまで嬉しそうにしてくれるとは……」

「でも約束だもんね、絵! はーい、良いよ! 集めよう! ほら早く!」

「なんかもう箒で飛ばしてる時と同じくらいテンション高いな、この人。……全部取ったらダメですよ。取るのは少しだけで」

 提案した側のセタが遠慮してしまうくらい、劇的な反応だった。魔女は約束を覚えていると言っていたが、単に絵画を楽しみにしていただけという説がセタの中で立ち上がりつつあった。

 “お主の絵は、儂らにとっては翻訳に近いのう”

 ふと、ミィココの言葉を残す。当人の発言だけあって、あれは言い得て妙なのかもしれない。

 ルカヱルは花畑の端にしゃがみ、白い手を伸ばして花を摘む。これはこれで絵になる、とセタはしばし観察していたが、すぐに作業に加勢した。広い花畑と比べればごくごく一部に過ぎなかったが、それでも、両の手のひら一杯に抱えるほどの花を摘めた。

「これだけあれば良いかな……?」植物性の染料を作る際の相場が分からないセタは、少し首を傾げた。「ルカヱル様、すみませんが、これをしまってくれませんか」

「うん」

とルカヱルはドロップ缶を取り出す。まずその中から紐を引っ張りだして花束を括り、それから缶の中へと魔法で収納した。

「さて、本来の目的のハーグリャも探さないといけないですね。ルカヱル様の考えだと、木のないところにはいないって話ですが……」

「ハーグリャは日陰が好きだからね。丸い巣のなかに棲むのも、光を避けるためだと思う。体色を由来に“翡翠”っていう伝承で伝わってるけど、私の印象的には“影棲かげすみ”の竜って感じ」

「なんかダンゴムシみたいですね。しかし文字通りってことですね、なんにせよ」

「うん。まあ、伝承の号は生態を端的に言い表すからね。さて、じゃあ行こうか」

 ルカヱルは腰を上げて、再び森の中へと歩き始めた。

 セタは一度振り返ると、ふむ、と低く唸る。「森のなかにこんなところが広がってることがあるんだな……」

 ぼんやり眺めているだけで、光景は脳裏に自然と記録された。『魔女がはしゃいだ花畑』として。



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