第33話

 次の日。

 宿を出たセタたちは箒に箒に乗って、ラジから南西にむかって進み始めた。なだらかな山脈の麓に沿って形成された広範囲の多雨林地帯があり、そこを目指して。

「実は森のなかって、ちょっと苦手だったんですよね。魔女は鉱石だけじゃなくて、植物のマナも見えちゃうから」苦笑い混じりに、ルカヱルは言う。

「じゃあ視界が歪み放題なんですか?」

「でも鉱石と比べれば遥かにマシなので、地面が植物に覆われてる方が目に優しいんだ。長く生きてるのに私は慣れなくてさ、魔女によるのかな」

 意外と細かい事情があるのだな、とセタは思った。

「……興味本位で聞くんですけど、植物が枯れたらマナも感じなくなるのはなぜなんでしょうか」

「ねー、不思議だね」

 知らないらしい。

 まあ、セタも自分の身体の謎に全て答えられるかと言えば、確実に無理だと断言できる。魔女も似たような感覚なのか、と彼は考えた。

 やがて、二人の眼下には青々とした森が広がり始めた。冠雪した山の麓に、ラジの街の何倍もの広さの森が広がっている。

「うわあ……この森を探すのは、かなり骨が折れますね」

「ええ、なので、さきに集落を探そう」

「ああ――そう言えば、ハーグリャの伝承は森の中の集落で聞いたんでしたっけ?」

「そう。今も残ってれば良いけど、とりあえずそこを拠点にした方が良いと思う」

 そうしてルカヱルは、上空から森を見下ろしつつ飛行する。やがて、不自然に木々が生えていない一帯を見つけると、そこを目掛けて降りていった。丸太を使ったロッジのような建造物が集まっていた。

(ここが例の集落か)



 さて、それから十数分後。

「――うん、人はいないみたいです……建物が廃れてるわけではないですけど」

「ね……」

 降り立った二人は、集落一帯を見渡し、いくつかの家の扉を叩いて声を掛けてみた。しかし誰の返事もなく、誰も見つからないまま時間が過ぎたのだった。

「前に来たときは、こんな立派な家屋は全然なくて、皆ほぼ野ざらしに近い環境で過ごしてましたけど、多少は発展したんですね」

「でもルカヱル様がメガラニカに棲んでいたのが600年近く前だとすると――こういう小さな集落は、もう滅んでたのかもしれませんね……」

「……」

 ルカヱルはロッジのドアノブ辺りに指を這わせる。何かを確認しているのか、ふとそのまま何食わぬ顔をして扉を開け、中に入る。

 セタはつい、辺りを見渡してから、声を潜めた。

(まさか今、鍵を開けたんじゃ……?)

「あの、ルカヱル様。それ、あまり他所ではやらないでくださいね?」

 ルカヱルはセタの提言に応じず、ふらりと家の中に踏み入る。

 開かれた扉の向こうを覗くと、人の気配は無かった。セタは少々の罪悪感を抱えながら、足音を殺してルカヱルを追い、家に入る。

 内装はシンプルかなりだが、家具の概念はあるらしい。簡素な造りの木製の机や、小物用の棚、何かを立てかける背の大きなラック――

 ルカヱルは、まるで引っ越し先を検分するかのようにあちこちを隈なく観察する。机の上に指を這わせたり、棚の中に置いてある小瓶を手に取ったり。

「……ルカヱル様? 何か気になりますか? 一応ですね、留守の家屋に無断で侵入するのはそれなりに罪に問われる行為なんで、出来れば早いところ――」

「埃が無い。それに、瓶の中身も腐ってない」

 セタは目を丸くして、机の上を再度見る。ルカヱルがさきほど指でなぞった場所には、埃を拭きとった痕は出来ていない。裏を返せば、埃が殆ど積もっていない。

 もし仮に家を十日でも開ければ、はっきり痕が残るくらいには埃が積もるはずだった。棚の上など、分かりやすいが。

「確かに。――その瓶の中身も腐っていないんですか?」

 セタが尋ねると、ルカヱルが机の上に先ほどの瓶を置く。中身はいわゆるピクルスや塩漬けの類のようで、小さくきりそろえられた白い根菜か何かが、香草と一緒に敷き詰められている。しかし、液に目立った変色は無い。うっすら黄色く見えるくらいだった。

「まだ漬けて十日経ってないくらいかな、多分」

「……じゃあ、少なくとも十日前には誰か住んでた、と?」

「うん。それに、ガラス瓶があるってことは、それなりに外の街との交流もあるはず。昔は孤立して生活してたけど、今は違うみたい」

「あ……確かに」

 集落の中だけですべての物を用立てるとするなら、「ガラス」は難度が高すぎる。専用の炉が無ければ無理だ。見れば、家屋自体に窓枠がある。ただの小屋ではなく、住居として完成された様式だ。

「見るに、この集落はそれなりに発展しつつあった。――でも、そんな情勢にあって人が全くいないなんて不自然よね。人口不足で集落が滅んだんだとしたら、家屋ごとに“風化の度合い”に差が出る気がするけど、そうでもない」

「え、ええ。確かに、そんな感じの気配ではなさそうですが。……じゃあ、ここで一体何が?」

 セタは背筋が冷えた気がした。怪談の類ではないか、まるで。

「ふふっ、なんか、怪談みたいですね」とルカヱル。

「魔女が言いますか」

「“一夜にして消えた集落の住人たち”――! みたいな」

「さあ、真面目に考えましょうか。そんなゴシップの見出しみたいの考えていないで――どういう事象があったら、こんな風に人が一気にいなくなるのか」

「ひとつ考えられるのは、一応、ここの人たちは何かの事故で突如姿を消したんじゃなくて、自分の意思でここを離れたんだと思う」ルカヱルは指を立てて言う。

「……どうしてです?」

「玄関を見てみて。靴はいくつかあるけど、靴箱の中に収まってるでしょ? 脱いで放置されてる靴は残ってない。――住人が全員、普通に靴を履いてここを出ていったんだと思わない?」

 セタは玄関に戻り、靴箱を見る。サイズの異なる物があるので、子供か女物を含むようだ――つまり、複数人の住人がこの家屋には住んでいた。

 一方で、ルカヱルのいうように、玄関に脱いだまま放置されている靴は、今はセタの一足分だけだ。

「確かに……というかルカヱル様、貴女のブーツは?」

「最初に脱いだよ」

 見れば、確かに素足だ。玄関に置かず、魔法で収納したらしい。

「話を戻すよ。住人が皆くつを履いて家を出たってことは、全員が長距離の移動に備えたってことになる。たぶん、他の家の人たちもね」

「熊か何かに襲われたにしては、家の中は綺麗ですしね。……幸い、死体や血の痕も全くないですし」

 セタは息をついた。もし家の中を見て死屍累々などという展開だったら、メモリーにその光景が一生焼き付いてトラウマ確定ものである。

「熊――じゃなくて、もしかすると竜案件かもね」

「え?」

「全員が自分の意思で家を離れた――多分“避難”じゃないかな。何かの到来を察知して、先んじてここを離れた。ここに何かが来るんだよ。……たぶん、もうじきね」



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