ハーグリャ
第32話
*
「――なるほど。お疲れ様でした、セタ殿」
セタはディエソにことの顛末を話してみせた。ディエソは眉間にしわを寄せて、分かりやすく頭を抱えている。
「あのお方は、いつもそうでして。我々としても神出鬼没のミィココ様を見つけるのは難しいもので……ご報告、ありがとうございます」
ディエソはセタに軽く頭を下げて言う。「セタ殿。貴方に関する連絡は役所にもう入れました。こちらでもいよいよ業務の方に当たってください」
「分かりました。あの、エダの役人からバックアップの件も連絡されていますか?」
「もちろんです」とディエソは頷く。
役人たちの情報交換は、“とある魔女”の助力の元に加速されている。各地の代表者の情報が交換され、さらにその情報が速やかに伝播していく。遠く離れたエダの情報が、箒で海を渡ったセタよりも速くメガラニカに伝わっているのは、その魔女の魔法のおかげである。
「いざという時のため、情報を一つでも多く、常に集積する。――ああ、なるほど。話の流れからして、シィユマの情報を我々に提供いただける、ということでしょうか」
ここでいう話の流れというのは、セタたちがミィココと一緒にシィユマのの観察を終えたということと、ミィココはその後、別の竜を探すために解散したというとことである。
セタはディエソに紙を数枚差し出した。「拝見します」と一言告げた後、ディエソはその書類に目を通し始める。
確認を終えるころ、彼の目はまるで現物を観察する学者のように鋭く細められていたが、顔を上げると温和な表情に戻った。
「セタ殿、この絵は貴方が? まるで現物をなぞったような見事な絵ですな……。シィユマの姿を私は見たことがありますが、その姿が、鮮明に記憶によみがえりましたぞ」
「竜の怪我については、どう思われますか? もし何か情報があれば……」とセタが問う。
「むう、この傷ですか……痛々しいものですが、いかんせん、いつどこで付いた傷か分からず、どうにもこれだけで模索するのは難しいですが」
ディエソは顎に手を当てる。「……ごく稀な事例ですが、他の竜が縄張りに入ることもあります。ただ、縄張り近域の現存の竜はシィユマのことを知っていると思いますし……ミィココ様の考えた通り、この地に、新たな竜が来たとか――」
「新しい竜……」セタは呟く。
書類の角を机の上でそろえると、ディエソは先払いを挟んだ。
「セタ殿、貴殿には継続して、伝承を元にこの地に現住する竜を追っていただきたい。幸か不幸か、ミィココ様の興味は新たな竜の方へ向いたようですし、そちらの件は目下あの方にお任せしましょう。魔女様のモチベーションがこの件に向いているだけでも、大変ありがたいことですから」
*
「なんか引っかかりますね」
と、ルカヱルは言う。
宿でのことだった。ルカヱルは自室ではなく、セタの部屋に来てボードゲームを取り出してテーブルの上に置いた。そうして、なんだかんだと対局が始まってしまって、10分ほど経過後のことである。駒を取り合う類の遊びで、セタもルールを知っているくらいには有名である。
実はこれまで数回手合わせしてきたセタの感覚から言って、ルカヱルは程ほどに弱い。
「何がですか? どの件の話ですか?」
「んー……」ルカヱルは黒い駒の一つを机の上でころころと転がして唸る。「新しい竜がメガラニカに来てるかもしれない、っていうミィココの仮説です。来たのはどんな竜なのかなって」
「ミィココ様がご自身で調べてるとは思いますが……。話を聞く限りだと、シィユマという竜に傷をつけるのは、相当だと」
「うん。シィユマに傷をつけるくらいなら、確かにね。あの竜のマナの濃度は、デルアリアとか、フルミーネとかよりも断然上だったから」
「そ、そんなに? あんな小さいのに……」
「水に溶けている塩をあんな一瞬で集めて固めるなんて、普通は無理――自然現象を盛大に捻じ曲げるあの能力は、莫大なマナによるものだと思う。それに魔女の経験的には、マナ濃度が高いほど体も頑丈なものなの。ミィココみたいにね」
「もしかしてあいつは体が小さいから、むしろ濃度としては高いってことですか……」
ミィココの体躯を同時に思い浮かべて、セタは言う。失礼な話だが。
「だろうね」とルカヱルは頷く。「そんなシィユマの体を抉るほどの力ってのは、どんなものなんだろうって思って」
そう言うと、ルカヱルは駒を盤の上に移動させた。つぎはセタの番だ。
「ルカヱル様もその新しい竜を探したいですか?」
「しいて言えば、恐い物見たさ的な感じかなー」
魔女の口から“恐い物見たさ”などという発言が出ること自体が、かなり恐いセタだった。「私はとりあえず、ミィココの調査を待ちます。セタもいますから、伝承もない竜相手に突撃するなんてできないよ」
「気を遣わせてしまってすみません」
「ふふん、言っとくけど私の役割は君のガイドと護衛だからね! 決して、暇潰しをしたいだけじゃないよ!」
「あっ、そうでしたね」
ところで最近だと、どちらがガイド役か分からないこともある。道案内という意味のガイドはセタの役目になっている。一目見た地図や地形を完全に覚えてしまうセタが、道案内役としては適性が高すぎるのだ。かたや竜を探すガイドについては、ルカヱルの役目だ。この辺りの采配は、元をたどればトーエのアサインによる偶然の産物だと言えよう。
「じゃあ、明日からは通常通りに竜の図鑑作成を進めましょうか? ディエソさんも、ぜひそうして欲しいと言ってましたし」
「私も久々にメガラニカに来たし、覚えのあるところから回ってみたいです。そうだなぁ――」
少しばかり考えてから、魔女は指を立てた。二本だ。
「ハーグリャ。それと、その巣も探してみよう」
「ハー……?」
「“ハーグリャ”!」
「難しい発音ですね。ハーグリャっていう名前の竜ですか」
「うん。森に棲んでる竜。昔は内陸の森にも集落があって、そこで聞いた伝承だよ。曰く――」
むかしむかしから、青草の香りが漂う大きな球体に猫の胴体ほどの太さの穴が開いていたら、それは“翡翠”ハーグリャの巣だと言い伝えられてきた。広大な森が広がるメガラニカの山脈の麓には、ハーグリャが残した可愛らしい巣が時折見られる。
ただし『可愛らしいのは巣であって、ハーグリャそのものではない』。これはメガラニカの一部集落で、かつて言い古された警句で、今はメガラニカの諺になっている。実際、ハーグリャには毒があると、伝承は語っている――
それを聞いて、要するに、結局そいつも大概危険なのではないかとセタは思った。
やがてセタがコマを一つ移動させる。ルカヱルはその一手を見て、目を丸くして椅子の上で少し跳ねた。
「あ、あっ、“ま……」
「“待った”は無しで」
「んー、んにゃ……」ルカヱルは妙な唸り声を零すと、ボードを見つめて長考し始めた。
無事、暇潰しにはなったようだ。
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