シィユマ

第27話

「で……出発したは良いものの、ミィココ様がどこにいるのか、当てはありますか?」

「あんまないね」

 ルカヱルは言う。

 箒に乗って、メガラニカの上空に飛び上がったあとのことである。捜索のために、飛行速度は少し遅めで。

「けっして無策じゃないよ。竜がマナを持っているように、魔女もマナを持ってる。私の目があれば、そのマナを伝ってミィココを追跡できるかも」

 ルカヱルはこれまで、3種の竜を追跡した実績がある。それを可能にした一つの理由が、まさしく魔女が持つ目である。マナを近くして視界が歪んでしまう一方で、莫大なマナの持ち主をいち早く察知できるのだ。ある意味「魔女の生態」ともいえる。

「でもこの大きなメガラニカをまんべんなく探すのは骨が折れるから、一番可能性が高い海辺から見て回ろうかなって思ってる」

「海辺の方が可能性が高い? なぜですか」

「ミィココは海が好きだから――というより、いつもマナが濃いものばっかり見てるせいで目が疲れてるから、定期的に海辺で休むことがあるんだよね。海はマナの気配が薄いから」

「なるほど。……というかルカヱル様、ミィココ様のことにかなりお詳しいですね……?」

「うん、だって昔棲んでた時は一緒に暮らしてたから」

とルカヱルは言う。

(そういえば、ミィココ様の棲み処のことも知ってる、って言ってたな)

 セタは昨晩の会話を思い出した。あの発言は、少なくとも一回以上ミィココの家を訪れていなければ出てこないものだった。

「さて、海岸線沿いを探すとは言え――とりあえず、この近辺からなぞって行こうか」

 はー、と魔女はため息。「まさか、竜のまえにあの人を探すことになるとは思わなかったね。――けどミィココに話を聞いてからメガラニカを回る方が良いかも。私がここに棲んでたのは数百年も前だから、もしかすると知ってる竜の伝承も、もう古くなってるかもしれないのです」

「伝承が古くなる? つまり、竜が移動してるかも、ってことですね」

「そう。もしこの大陸から移動してたら、伝承を知ってても意味ないから」

「分かりました。俺もミィココ様を探します。……ちなみにミィココ様ってどんな方ですか? 見た目の特徴とか」

 んー、とルカヱルは短く唸って、少し振り返って答えた。

「小っちゃい。あと髪が青っぽい」

「髪が? ……珍しいですね」

 まあね、と魔女は頷いた。



 メガラニカに伝わる伝承の一つ“塩鍾”シィユマは、サンゴ礁地帯で知られる。もし浜辺に透明で真四角な塩の結晶がいくつも落ちていたら、それはシィユマの戦いの証だ。きわめて獰猛で、しかし誇り高き戦士でもあるシィユマは、視界に映るすべてが戦仇であり、全てが戦友である。たとえ相手がどれだけ強大でも、矮小でも、縄張りへの侵入者は許さない。その竜の膂力に掛かれば、人肉も豆腐と大差ない。命が惜しいのなら、結晶が消え、シィユマが遠ざかるまで、浜に近付くべきではない。

 ――“命が惜しいなら”、の話である。

 ところで浜に、背の低い人影が一人分あった。そしてその浜には、件の結晶が無数に散らばっていたのである。

「……おや」

 人影は裾の破けた白衣を海風にはためかせて、辺り一面に広がった結晶を見渡す。藍色の髪を三つ編みにして、腰まで伸ばしていた。黒い手袋をつけた手を伸ばし、塩の結晶をひとつ摘まみ上げる。手袋越しでも分かるほど、ひんやりしていた。

「シィユマ――移動しておったのか。以前見つけたところから、随分と離れたところじゃのう」

 メガラニカには大堡礁と呼ばれる地帯が存在する。広域にわたってサンゴ礁が存在し、温暖な水温と穏やかな流れが相まって、平和で美しい海だ。シィユマという竜もかつては大堡礁で見つかったものだ。少なくとも数百年間、その棲み処を移動したことはない。

 これまでは無かった、というのが正しい。

(時間が経てば竜が棲み処を移るのは世の常じゃが――なにか違和感があるのう)

 掌を庇にして海を見つめる。眼光に空色の光が宿ると、瞼を大きく開き、目を皿にして、水平線を右から左へと舐めるように眺めた。

(シィユマはこのメガラニカ近海のギャング。異常な戦闘意欲もさることながら、生物としての頭抜けた戦闘能力とプライドも持っておる。反面、戦いは自身の縄張りの付近でしかしないはず)

 違和感の正体はそこにあり、縄張りから離れた場所で、砕けた塩の結晶が散らばっている状況は、「縄張りの外で戦いがあった」ということを示していた。

「……ふむ、海面から眺めておっても水のせいでマナの気配がかえって見えにくいのう。この際、潜って探すか」

 それから人影は、まるで階段を下って地下室へ向かうような調子で、海の中へと突き進んでいった。頭の先が水に沈むと、波の音だけが響いた。



「――あっ、あれなんでしょう?」

「ふふっ、奇遇だね。私も気になったところ。ちょっと降りてみようか」

 ルカヱルが箒の高度を下げ、浜に近付いていく。

 セタが目を留めたのは、海岸線に沿って散らばる白い結晶だった。箒から降り立って摘まみ上げると、白いというよりは、実際は透明だ。

「塩だね」とルカヱル。

「塩? ……え、塩ですか、これ? ふつう、もっと色がついてませんか?」

「さあ、私の目には塩のマナに見えるけど。水に溶けてる時はマナが薄くて何も感じないんだけど、そうやって結晶になると急にマナが濃くなるのです」

「へえ……。塩って、割と綺麗ですね」

 まだセタは信じられなかったが、いわゆる岩塩と純粋な塩結晶の違いは端的には色である。後者には色が無く、セタはそれを初めて見た。一方で、ルカヱルはマナを見て物を識別しているので、色味は関係なかった――それどころか、セタがつまんでいる結晶の色自体、良く解っていなかった。

「……いや、だとしたらなんでこんなところに塩が?」

「多分これは“シ」

 ――"piiiiiIIIIIIX!!!!!"

 ルカヱルの回答は、汽笛のような甲高い音で遮られた。彼女とセタは咄嗟に音の方へと視線を向ける。ついでにセタはしゃがんでいた体勢から、急いで立ち上がる。

「い、今のは?!」

 その瞬間、海面を切り裂くように鋭い刃が飛び出て、天を衝くように振り上げられた。海水が飛び散り、ダイヤモンドダストのように輝く。

「うわっ!」「あっ……?」

 二人は声を上げた。その刃で海中から跳ね上げられて、空を舞う影を見ていた。だ。飛びあがった小さな人影はそのまま、刃の真上に向かって落ちていく。

(あの人、なんであんなところに!? このままじゃ、あの刃に刺さっ……!)

 ――ところが人影は突き刺さる寸前で、空中で妙な金属音を響かせて跳ね上がり、そのまま空中を刃から距離を取った。人影を仕留め損ねたと見たのか、刃は腹いせと言わんばかりに思い切り振りおろされ、海水のしぶきをぶち上げた。

 金属音とともに空中を歩む謎の人影は浜に近付いてきた。セタたちに気付いたらしく、空中で足を止めた。

「あらミィココ、ごきげんよう」

「……えっ?」

 ルカヱルが平然と挨拶してみせたので、セタは驚く。

 かたや、人影――裾の破けた白衣を纏い、金属質のブーツと黒い手袋を纏い、さらに藍色の髪を揺らす特徴的な人物は、「ふん」と鼻を鳴らした。

「なんじゃお主、ルカヱルか? 久しいのう――はて、何百年ぶりかな?」

 そうして、ミィココは歯を覗かせて微笑んだ。「積もる話も無いわけではないが、とりあえず箒に乗せてくれんか?」

 "PIIIiiiIIIIIIX!!!!!"

「――ほれこの通り、少々厄介な奴がおってな。ここを離れておこうと思っての」

「どうせ貴女からちょっかいを出したんでしょう?」

と言いつつも、ルカヱルは箒を構えた。

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