第26話
その石つくりの建造物は、周囲の他の家屋と比較して頭抜けて大きく、左右対称の精巧な構造だった。セタは右から左へと首を動かし、その立派な建造物――例の“
食事を終えたセタたちが碧翠審院へと赴くと、結論から言えば、厳密には閉館されていなかった。入口付近の案内看板によれば、確かに夜は役所の「窓口」は陽が沈んだ時点で閉じてしまうようだったが、「観光地」として営業はしばらく続くらしい。
「ああ、ここか」
と、ルカヱルが意味ありげに呟いたので、セタは咄嗟に振り返る。
「ルカヱル様? もしかして、ここを知ってるのですか?」
「うん。ここが役所になったんだね。碧翠審院と呼ばれているのは初めて知ったけど、これが建設中のとき、私もここにいたんで」
「ええ?」
建設中、といっても、さきほどの店主の話からするにかなり前の話のはずだった。「……そうか、ルカヱル様はメガラニカに一回来たことがあるって聞きましたけど――その“一回”が、まさに碧翠審院の建造当時ってことですね?」
「ええ。当時ここに居ついていた魔女のミィココが、この建物を作り始めた」
「ミィココ――? 例のメガラニカに棲んでいるっていう魔女様ですね? たしか、竜の鱗とかを集めるのが好きな」
「要するに彼女はマナの研究が好きな魔女で、視界が歪むんだけどマナの濃いものを好んで集めてたの。そのコレクションの一つが、大理石という素材でした。加工が簡単なので物理的な形状を手探りで確認しながら、マナ形状との関係を確認したり――みたいな研究をしてたんだけど、それを使って建物を作りたい、という話が当時の役人から持ちかけられて」
「……つまりそれが、碧翠審院ですか」
「です」
とルカヱルは頷いて、院へと入っていった。セタはそれを追う。
受付で一人の係員が顔を上げてセタたちを見つめたが、とくに何も言わなかった。入館料のようなものがあるわけではないようだ。
ひんやりとした空気の院内の廊下を等間隔にならんだランタンが照らしていた。その点々とした光と天井の模様が、磨き上げられた床に暗く反射して、まるで夜の湖の上を歩いているようだ。
院内の構造は、資料館といった様相だ。左右対称な構造の内、入口から入って右側の2階部分までは資料館になっているようだ。
資料のひとつに、碧翠審院のルーツを説明するものがあった。
「……もとは、鉱石の研究と査定のために作られた機関ですか。さっきの店主も学院って言ってましたけど、鉱石の色の由来と物性を調べるための教育研究機関らしいです」
「へえ、そうだったんだ? ミィココのほうは単に暇潰しで建物を作る手伝いをしていたような気がするけど、建物の用途は初めて聞いたよ。実は、私は完成前にメガラニカを出て移動していたので、あまりよく知らないの」
ルカヱルの情報の精度に怪しいところがあるのは、まさに変革の最中で、この地を出たからのようだ、とセタは納得する。
「ところでルカヱル様、俺たちはメガラニカの竜の図鑑も作りに来たわけですが、ミィココ様に会うのももう一つの目標でしたよね。お住まいはどこでしょうか?」
「引っ越していなければ、前の家は覚えがありますが。ただ彼女は……」
「お二方」
と、声がかかる。セタたちは驚いて振り返った。名札を掛けたこの院の職員らしき人物が、そこに立っていた。街で見かけたような涼し気な民族衣装とある種の対極にあると言ってよい白いシャツを、腕まくりをしてきた男だ。
もしかして、ここはもう閉館か、とセタは察する。
「すみません、もう閉まる時間ですか?」
「いえ、むしろ引き留めることになってしまうかもしれませんが――セタ様、そしてジパングの魔女様の、ルカヱル様ですね」
「え?」
セタだけでなく、ルカヱルも目を丸くした。二人の反応を見て、男は頷いた。
「私はディエソというものです。この大役所で、竜図鑑の責任者をしております――が、少々困ったことがございまして。さきほど、エントランスの受付からお二人を見たとお聞きして、こうして急ぎ参りました」
ずいぶんと性急な話だ、とセタは驚く。同時に、セタたちの情報は本当に役人とその関係者には周知されているようだ。一方で、このディエソという人物は何か仕事があって、役所の中に残っていたらしい。
「あの、困ったこと、というのは?」
とセタが尋ねると、ディエソは深くため息をついた。
「ミィココ様――竜図鑑の依頼をする予定の魔女様と、ここ1か月以上連絡が取れていないのです」
「い、一か月も?! なにかあったんですか……?」
「いえ、実は連絡が取れないこと自体は、よくあるのです。ミィココ様はしょっちゅう家を出てメガラニカ中を旅するお方なので……」
「相変わらずみたいですね、ミィココ」とつぶやくルカヱル。
かたや、セタは唸る。「でも一か月以上ってことは、もしかしてメガラニカでは、まだ竜図鑑のプロジェクトが本格始動していない、ということですか……?」
「そうなのです……」と、ディエソはがっくり項垂れた。「聞くところによればお二方を始めとして、アヴァロン、ムーの方でもすでにプロジェクトが動いていると……。ですがここは未だに」
はああ、とディエソは嘆息した。心中察するセタだった。
魔女の力が無ければ、危険な竜の追跡など満足に叶うはずがない。そのことは、セタも重々承知だった。絵描きとの連携も必要になるにも関わらず、肝心な魔女が行方知らずでは、竜を追跡するどころか魔女を見つけるのが先になる。
「どうかお願いがあるのです。竜の図鑑プロジェクトもお忙しいと存じますが、どうか、ミィココ様を見つけるのを手伝っていただけないでしょうか?」
ディエソは真に迫る口調で言うと、頭を下げた。
「……」
しかし伝承を辿れば手がかりになる竜と違い、ミィココという魔女の追跡となると、何を手掛かりにすればよいのだろうか?
――そんなことをふと考えたセタがルカヱルの方を窺うと、いかにも、食指が動いたような笑みを浮かべていたので、セタは短く息をついた。
「分かりました。その話、受けさせていただきます。魔女様が一人動くか動かないかは、このプロジェクト全体の進捗にかなり影響しそうですしね……」
「おお……ありがとうございます……! 何か入り用のものがありましたら、なんでも言ってください」
セタは顎に手を当てて、最初に浮かんだものを告げた。
「近くに宿はありますか?」
――そうして次の朝、セタたちは竜ではなく、魔女を見つけるために宿を出た。
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