第25話

 ジパングからメガラニカ地方は非常に離れており、船で渡れば、小さな島々での停泊を挟みつつも十日以上はかかる距離である。

 ところがルカヱルの箒の速度は、たった一日での移動を可能にした。セタたちが未明にジパングを出てメガラニカについたとき、地方間のわずかな時差があったものの、陽が沈む前だった。大陸が近づいてきたとき、セタは箒の上からつい身を横に少し傾けて、遠くを見遣った。夕日に照って橙色に染まった雪化粧の山脈の麓には、大きな平野が広がり、海岸にそって立派な街並みが形成されていた。

 当然かもしれないが、セタがメガラニカに来たのは初めてだった。そもそも、外国に出向くこと自体が初めてだ。

「ルカヱル様、確かメガラニカの東北方面にラジという地があるはずです。ジパングで言うエダの地みたいなところで、そこに、役人たちがいると思います」

 ところが、渡航経験が無いはずの地の上空で、セタはそんなことを言った。

「きみ、メガラニカに来たことあるの?」

と、ルカヱルは目を丸くしたが、ふと理由を思いついた。セタが、これほどメガラニカに詳しい事情を。

「ふふっ、ああそっか。君、地図編纂課にいたころに、“世界地図”を見たことがあるんでしょう?」

「はい。かなり大きな、詳細版のです。役所にしか置いてないような――」

 ここでいう世界地図がどれくらい大きいかと言えば、地図編纂課の2フロアをぶち抜いて作られた特別な部屋の壁面に、何枚もの小さな地図の断片を縫い合わせて作成されたものだ。大陸の輪郭という大雑把な情報だけでなく、主要都市の位置に渡るまで、詳細に描かれている。足しげくそこに通う変わり者でもなければ世界地図をまるごと記憶できるはずもないが、セタは一目、眺めるように見た時にすべてを記憶していた。

「よし、じゃあ東北に行こう」

「ええ。でもそっちは北西方面ですよ」

 セタは、夕日が沈む方向を見つめながら、そう呟いた。

 ところで瞬間記憶能力の持ち主とはいえ、セタが知る情報はただの「位置」である。ラジの地がどのような雰囲気の街か、役所の正確な位置までは、世界地図という大雑把な情報網ではとらえきれないものだった。

 二人が向かった場所は、一見して主要都市と思しき街並みだった。この地ではルカヱルは一般人にある程度溶け込める――わけではなく、涼し気な民族衣装が一般的な格好らしいため、セタたちはかなり目立った。

 視線を感じずにはいられない状況だったが、ある程度は仕方ないと割り切るしかない。このようなことは、これから世界各地で幾度となく起こるだろう、ということは火を見るよりも明らかだった。

「セタ、役所ってどっちかな? 知ってる?」ルカヱルは視線など気にも留めていないのか、不意に尋ねる。

「いや、さすがにそこまで細かいことは……ルカヱル様は、いままでラジに行ったことは無いですか?」

「んー……。前に一回あるんだけど」

 ルカヱルは周囲を見渡したあと、肩を竦めた。「だめです。全然街並みが変わってて、わかんないね。そもそも視界が歪んでるんで、方向も忘れました」

「そうですか」

 おそらく“前に一回ある”の当時は、何百年も前の話なのだろう。ルカヱルはここ百年以上はジパングにずっと居ついていたという話だ。裏を返せば少なくとも百年以上、外国には出ていない。

 陽が沈むにつれ、代わりに星と軒先の灯がともる。夜になってしまえば、役所は閉まってしまう。おそらく、これは世界共通の事実だった。役人の行動原理は定時出社・定時直帰である。

 そんな行動原理から外れてしまった役人のセタは、息をつく。

「明るくなるまでどこかで時間をつぶして、また出直しましょうか?」と彼は提案した。

「いいよ! 何する?」

 ルカヱルはやけに嬉しそうに頷いた。セタの方は提案したのは良いものの、そもそも夜は寝るべきだということを思い出したところだった。ふと疑問に思ったことを、セタは尋ねた。

「ルカヱル様って、眠らないんですか?」

「眠らないよ。眠るのは、夢を見たい時だけです」

 魔女の頭の中では、睡眠をとるのと、劇場に足を運ぶのは同じくらいの意味合いしかない暇潰しの一つなのかもしれない――とセタは思った。

(なんというか、まさしく魔女という生き物は暇つぶしに生きている、って感じだ)

「私が持ってきたボードゲームでもやりますか? カードもありますよ」

「まさか一晩中ですか?」

「ああ、でもせっかくメガラニカに来たんだし、夜にしかできないこととか探す方が良いかな?」

「夜しかできないこと……」

 セタは思案する――数年前の芸術活動グラフィティのことが頭をよぎったので、一度首を回して辺りを眺めた。

(さすがにラジでは流行ってないよな、あれは)

「セタ。それで、カードとボードゲームならどっちにしますか?」

「ええと、もうその二択なんですか? 夜にしかできない云々は?」

「もし思いついたら、提案してください。時間さえ潰せれば、私は何でも良いけどね」

 ルカヱルはそういうと、袖の下から錆びたドロップ缶を取り出した。口を下にして、手のひらの上で、“からんからん”と缶をふると、カードが現れた。

 暇潰しの準備を始めたルカヱルを前に、セタは提案する。

「ごはんにしましょう」



 夕食に選んだ屋台は甲殻類のメニューしかないという中々のユニークさだった。近くの漁港で獲れるらしく、エビも鮮度はかなりよいようで、きつい臭いはしない。

「あなたら、どうもこの辺のもんじゃない感じするが、二人で旅でもしてんのかい?」

 屋台のキッチンの火にまたフライパンを置いて、油を敷いたところで、店主がセタたちに声を掛けた。

「そんなところです……あつっ」

 口に料理を運ぼうとしたルカヱルが短く、小さく叫ぶ。店主は笑った。

「気をつけなよ、姉ちゃん。旅って話なら、この辺りは見るところもそれなりにあるから、楽しめばいい」

「あ、ちなみに、役所はどこですか?」

「役所? あんちゃん、旅の道中で役所とは変わりもんだな……。いやしかし、ここラジの大役所はかなり綺麗な建物だし、歴史的にも珍しいものだって世間では有名らしいな。観光で見るのも良い」

 有名らしいが、実は、セタは知らない。

 店主は、ある方を指さした。「大役所はあっちの方に行って、大通りに沿って北だ。ここらへんで一番目立つ建物だから、すぐ分かる。聞くところによれば、何百年も前に魔女様が作ってくれた建物らしい」

 セタは驚いて、食事を止めて店主を見た。

「ま、魔女様が?」

「そうさ。“碧翠審院へきすいしんいん”――ミィココ様が大昔、学院として建てたものだったらしいが、それから紆余曲折あって今は大役所として使われてる。歴史的価値があって有名なわけだ。……あんちゃん、それを知らずに役所に行く気だったのかい? やっぱ、変わりもんだな」




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