第28話

 ――それから。

「なんじゃお主、そんな歳なのか? 見た目通りの小童じゃな」

「でもセタは凄いんだよ、見たものをそっくりそのまま覚えられるんだから。この竜のスケッチだって、とても緻密でしょ?」

「緻密って言われても、儂らは竜のマナが邪魔で、実際の姿なんて分からんじゃろう? 正確かどうか分からんし」

「ま、まあ、そうだけど……」

 ミィココに言いくるめられてしまい、少しムッとしたルカヱルは視線を下げ、ティーカップから茶をすする。

 箒で海岸を離れたあと、3名はミィココの家に来ていた。古びた木造の小さな小屋に、小石が敷き詰められた庭と、そこに置かれた丸い机。そこで、魔女たちはセタを交えて茶会をしている。

 箒から降りてから、いつの間にかミィココの恰好は変わって、ノースリーブの軽装になっていた。足に至ってはもはや素足で、あまりに軽装だった。三つ編みだったはずの髪までも、すでに解けている。

(いつの間に脱いだんだ……)

 魔法の一種かもしれないが、早業を前に内心セタは驚いていた。

 さて、家の前に置かれた錆びたポストには5通の手紙が入っていたが、その束は一通だけ開封され、残りは机の脇に重ねて置かれ、ミィココはルカヱルから提示された竜の図鑑(という名の分厚い自由帳)を開き、記録されている3種の竜の絵を眺めているところだった。セタが、わざわざ提出用の絵とは別にルカヱルの自由帳に複写したものである。

「しかし正確かどうか儂には判断できぬといえ、絵が得意なのはわかったぞ。実に見事なものじゃ。それに“竜の図鑑を作る”というのも、実に面白い」

 自由帳をぱたんと閉じ、ミィココは顔を上げた。「セタ、お主は役人と言っておったが、役職はなんなのじゃ? 暇潰しにもならん事務方でもしておるのかのう」

「いえ、俺は地図編纂課です。地図を書くのが役目でした」

「ほう」とミィココは唸る。「それは良い、中々面白そうじゃ。メガラニカの地形はすっかり覚えてしまったが、昔、儂も役人に地図を貰ってあちこち歩いてたのう。どこにおいたか、もう忘れてしもうたけど」

 そう言うと、魔女は自分の住まいに視線を向けた。

「ミィココはなんでもかんでも家に溜め込んでますからね。たまには掃除をした方が良いよ」

「お主に言われたくないんじゃが……? どうせドロップ缶の中身は散らかり放題のくせにのう」

「そんなことは――あっ、忘れてた」

 ルカヱルは“ぽん”と手を叩き、袖の下に手を伸ばす。「ふふっ、ミィココ。これなんだけど、何か分かる?」

 不敵にほほ笑んで、彼女が袖の中からテーブルの上に取り出したものを見て、ミィココは目を細めた。

「……ジパングの絵札か?」

 セタの目にも、今しがた彼女が得意げに取り出したものは、絵札にしか見えなかった。一応、札遊びに使うものだ。

「あっ。違いました、こっちです――って、あれ? どこに入れておいたっけ……?」

 ごそごそと袖の中を覗きながら漁るルカヱル。それを見て、ミィココもセタも、そろって息を深く吐いて、待機していた。

「お主な、やはり人のことは言えんぞ」「本当ですよ」

 どうやら大陸と大海を渡る旅に備えて、魔女はまた荷物が増えたらしい。外観からは分からないが、ドロップ缶の魔法と言い、あちこちに収納スペースが仕込んであるのがルカヱルである。客観的に見て、あまり整理できていないのは明白だったが。

「ちょ、ちょっと待って……。あっ、こっちです」

 ようやく、ルカヱルは二本の試験管を取り出す。一方には金色の鱗が、もう一方には、紫色のガラス片のようなものが入っていた。ミィココは自席から腰を浮かせて、対面のルカヱルが掲げる試験官に目を近づけた。

「ほお? これは竜のマナか……? 金のマナも感じるし、こっちのは帯電しておるようじゃ。珍しい」

「そうでしょ」

 ミィココが手を伸ばすと、ルカヱルは自然とそれを手渡す。両手に試験官を持って、ミィココはしばらくじっとそれを眺めていた。それから、猫が部屋の隅を見つめているときのように、動かなくなる。セタはなんとなく声を出すのすら憚られて、静かに様子を見ていた。

「どう?」と沈黙を破ったのは、ルカヱルだ。

「面白いのう。そうか、さっき見せてもらった図鑑に載っていた竜から取れたものか、これは。フルミーネの金鱗に、それと、フォルヴェントの羽の欠片じゃな?」

「その通り、鋭いね」

「デルアリアからは何か採取しておらんのか? 粘膜とか。牙とか」

「いや、私が竜を探してるのは別に採取が目的じゃないんですよ、図鑑が目的だから。でも偶然にも取れたことだし、せっかくだから貴方に見せてあげようって思って」

「ミィココ様は、こういうのを集めてるとお聞きしましたが……本当ですか?」

 セタは尋ねる。ミィココは、試験管を見つめながら頷いた。

「ああ、そうじゃ。竜に限らんが、儂は暇潰しにマナを持つ生物の組織を研究しておってな。やつらは、儂ら魔女の仲間みたいなもの。さっき浜に出向いたのも、シィユマという竜の研究のためじゃ」

 暇潰しのために研究する。

 暇潰しのために遊ぶ魔女ルカヱルとは、また違った考えの持ち主らしい、とセタは認識した。

「ところでシィユマって……もしかして、さっき浜で聞こえたのは、その竜の鳴き声ですか?」セタは、汽笛のような音を思い出す。「どんな竜なんですか?」

「ふむ、興味があるか?」

 ――「どうしても話したい」とミィココの顔に書いてあったので、セタはつい頷いた。

「そうか、なら教えてやろう。シィユマは“塩の竜”じゃ」

「……え、? あ、もしかして満潮とかのですか」

「違う違う、調味料の方じゃよ。海の味付けしてるのほうじゃ」

 海の味付け、などという凄まじい発言にセタは気圧されたが、「あ、ああそっちの塩ですか」と頷く。思い返してみれば、あの浜にも塩が散らばっていたのだ。

 しかし“そっちの塩”の場合、はっきり言って竜としてはあまり脅威を感じない。例えばデルアリアのような渦の竜は、人間の営みに対して実に直接的な脅威を持っていたが。

「お主の考えは分かるぞ、セタ。どうせ、“塩の竜なんてしょっぱいのう、塩だけに”と思っておるんじゃろう」

「思ってないです」

「しかしじゃ、シィユマは実に凶暴なんじゃ。奴の狩場に近付けば、命の保証はないの」

「狩場? なんか……狡猾な感じですね」

「さっきお主も見たじゃろう。海面から飛び出した、あやつの塩のマナを」

「塩って――まさかあの、巨大な刃みたいなやつのことですか……?」

 セタは思い出す。網膜の記憶に明確に焼き付いた、海面から飛び出した氷柱のような結晶を。「――が、塩?」

「さよう。やつの力によって海水の塩を凝集させ、超高密度の白い刃槍をなし、獲物を貫き、海を叩き切る」

 ミィココは、手刀でテーブルを軽くたたいた。「それこそがシィユマじゃ。このメガラニカ近海の狩りの王、海のギャング。他の竜に手を出すこともある、極めて凶暴な竜じゃよ」

「他の竜に――竜同士で戦うってことですか……?」

「そうじゃ。別に珍しくなかろう?」

 いや知らない、と首を傾げるセタ。

 代わりに、ルカヱルが口を挟んだ。

「ふふっ、いや、ジパングにはそこまで好戦的な竜はいないんだよね。縄張り争いもないし、狩りなんて尚更だよ」

「そういうものかのう」

と、ミィココは腕を組んだ。「しかし考えてもみよ。竜が竜を喰らおうとするのは、自然な事じゃ。竜ほどマナに満ちた獲物は、他にないのだからな」

「そうかもしれませんが……」

 共食いを忌避する感覚は竜には無いらしい。あるいは、互いに同種だと思っていない、ということかもしれないが。

「じゃあさっきも、シィユマは何かを狩っていたんですか」

「かもしれんが、あの辺一帯は結晶化した塩のせいでマナが濃くてな。まだ詳しいことは分からんのじゃ。さてと」

 ミィココは腰を上げて、肩を回した。「儂はさっきの浜に戻ることにしようかのう。いちおう役人どもの手紙は受け取ったし、そっちはあとで対応すればよかろう」

 この魔女様は本当に対応する気があるのだろうか、とセタは若干怪しく思っていた。


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