第29話
「ほれ、ルカヱル。もう一回儂を乗せてくれ」と、ミィココは特に遠慮も無い様子で言う。
「せわしないなぁ、さっきの今でまた行くの? もうちょっとくらいここで時間を潰そうよ」
「どうせお主ら竜を追っておるんじゃろう? であれば、シィユマのことは儂が手伝ってやるとも」
「んー……。まっ、暇つぶしになるならなんでも良いけどね!」
ルカヱルは腰を上げた。彼女のティーカップの中は、冷めた茶が2割ほど、残っていた。「セタも良い?」
「ええ、俺はいつでも良いですよ」と応じて、セタはティーカップの残りを飲み干す。苦味が強くなっていた。
「決まりじゃな、ほれ、急げ急げ」
そうして急かされるまま、三名は箒に乗った。ルカヱル、セタ、ミィココの順である。空高く飛び上がると、メガラニカ一帯の景色が広がる。ここは沿岸部のごく周辺であり、広大な大陸のほんの一部であったが――。
「メガラニカには久々に来たけど、こうして空から見ると、あまり変わらないね」
「前にも来たのはどれくらい前だったんですか?」
「うん、えっとね……600年前? くらいだったけ……」ルカヱルは指を折りながら言う。指一本当たり、100年以上カウントされるらしい。
「久々過ぎませんか……?」
「お主は割と移動が多いからのう。儂とルカヱルは、その時に一緒に暮らしてたことがあるんじゃが、そやつは儂が鉱石の研究を始めた頃に出ていってしまってな」
「ミィココこそ、600年もメガラニカで暮らしてるの? ずっとフィールドワークしながら?」
「そんなわけあるかい」
「ないんだ。ふふっ」
微笑むルカヱルに対して、ふん、とミィココは鼻を鳴らす。「メガラニカを歩き回るのは、あれから200年余りで終わってしまった。そのあと、しばらく海底で暮らしとったんじゃ……。最近になって、またこの地に戻って来たんじゃが」
「か、海底で?」
セタは驚きのあまり声が裏返った。「つかぬことお聞きするかもしれませんが、息は……?」
「息なんて、別にやってもやらんでも良いじゃろ?」平然と言い放つ魔女。
「ミィココ、一応言っておくけどそれ、魔女だけだからね」と、ルカヱルが指摘した。
「ああそうじゃった。例えるなら、魔女にとって呼吸は煙草のようなものかのう。やっても良いが、やらんでも良い」
やっぱり魔女と人間は根本的に異なる生き物らしい、とセタは再認識した。呼吸が不要なら、もはや無機物に近い。ルカヱル曰く睡眠も夢を見たいときにするものという認識だったため、人間離れどころかいよいよ生物離れしている。
「でも、海底と言えば――ミィココ様、インクレスっていう竜は知ってますか?」
セタの言葉を聞いた瞬間、ミィココは首を傾げた。「いや? なんじゃそれ。ジパングの竜か?」
「い、いえ。海に棲息する竜らしいんですが、もし情報を持っていれば、と思いまして」
「海に棲む竜なら何種類か知っておるが……。お主、海の竜に興味があるのか? それなら、シィユマも海竜の一種じゃぞ」
確かにそうかもしれなかったが、しかしシィユマという竜の生態は、インクレスという竜とかけ離れているように感じた。
「さっきの図鑑には、インクレスという竜はおらんかったじゃろう」
「ふふ、それもそうです。まだインクレスは伝承だけで、見つけたことないから。ミィココ、海で生活してたときに何か変わったことは無かった?」
「んーむ……」
ミィココは唸る。「いや……特に思いつかんのう。しいて言えば本当はサンゴ礁の中で生活したかったんじゃが、シィユマが邪魔でな。あやつが移動した今なら、夢のサンゴ礁生活が送れるかもしれん――いや、ちと視界のゆがみがきついかもしれんが」
「そ」と、ルカヱルは端的に応じた。「もし海面に変わった“波紋”を見つけたら、教えてください」
「波紋? ……いや、海ってふつう波打っておるもんじゃろ」
「そろそろつくよー」
ミィココの最もな疑問に答える前にルカヱルはそう言うと、箒の高度を下げていった。
*
さきほどまで散乱していた塩の結晶は、少し溶けて小さくなっていた。透明な結晶が夕日を散乱して、海と浜の境界が光り輝いているようだ。
「まだいるみたいじゃな、シィユマ。新しい塩の結晶が増えておるようじゃ」
ミィココは浜にしゃがみ込み、白衣の裾が濡れるのに構わず、塩を手に取った。「シィユマに近付くには、海に潜るしかないぞ。あやつは基本、海上には出てこん」
「そうなんですか。今回もデルアリアみたいな感じか……」
セタは目を凝らして、海を見つめる。しかし仮に海面のすぐ近くにシィユマがいたとしても、波打つ表面越しに、遠く離れた浜から観察するというのは無理がある。
「セタは私に付いてきて。魔法で守るからね」箒を袖の中に仕舞いながら、ルカヱルが言う。
「……やるだけやってみましょうか」
「儂は先に行くぞ。見つかったら合図してやる」
ミィココは素足で濡れた浜を進み、波打ち際に立ち止まる。
そして、小さく呟いた。
「――“変身”」
眩い光が一瞬だけ魔女を包むと、次の瞬間、彼女は白衣を纏い、うっすらと青い金属製のブーツと、黒い手袋を身に付けた姿に変わっていた。髪飾りで束ねられて、紙は自然と三つ編みになっていく。
唖然として言葉を失うセタを置いて、ミィココは海に歩いて行った。くるぶし、膝、腰、胸――そして頭と、次第に体が水に沈んでいくことに構うことなく、波に構うこともなく、ミィココは突き進んでいて、やがて姿が見えなくなった。
「な、なんですか今の。一瞬で服装……どころか、もろもろ変わりましたけど」
「ミィココの魔法です。あの人は研究肌なのに脳筋だからね、あの手の魔法で武装するのが好きなの。――ほら、私たちも行こう行こう!」
ルカヱルがセタの手を取る。驚く暇もなく、手の甲、腕、肩――そして前進と、セタの躰の輪郭をなぞるように光が包み、やがて消えた。
「これでオッケー。海の中にいる間、手を離さないようにね! 魔法が解けちゃうから」
「分かりました……」
セタが頷くと、ルカヱルに手を引かれて海に歩いて行く。自分でやってみると、この入水方法は、もはや普通に泳ぐよりも心臓に悪いと思った。まるで自分から溺れに向かっているようだからだ。空を箒で飛ぶ方がまだマシと言っても過言ではない。ルカヱルに手を引かれている、というのも心臓に悪い一因かもしれないが。
「あの、海の中で俺が手を離したら、どうなりますか?」
「私は離さないから、安心して!」
いや、聞きたいのはそういうことではなく――、と思ったが、あまり良いことは起こらないと解釈しておけば良いらしい。セタはルカヱルの手を握り直した。
靴が海に触れたが、靴の中が濡れることは無かった。そのまま、セタの体が水に沈んでいっても、濡れたように感じることはなかった。
そうして、二人はそのまま海の底へと消えていった。
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