第2話
*
セタという少年が竜図鑑編纂プロジェクトに選出された経緯をかいつまんで書き下すなら、始まりは役人がルカヱルの家から撤収した次の日のことだった。
すぐさま役人たちの集う“エダ”の地で会議が設定され、関係者が集められた。
「――ということで、ルカヱル様は絵が描けないようでした。プロジェクトの内容自体は暇つぶしとして気に入られていたようですが、仮に彼女が竜の姿を図鑑に描いたとしても、正確に市民たちに伝えることが出来ません。その上、ルカヱル様の話によれば、他の魔女様たちもマナによって視界が屈折する体質上、正確な絵が描けないかもしれない、と……」
難儀な見解を聞いた会議の面々は、思い思いに口を開いた。
「しかし、各地の竜の伝承を辿れるとすれば魔女様しかいないのでは……」
「その通りです。“強大な竜への防衛力”と、“伝承を追跡できる正確な知恵”を備えているのは魔女様くらいですよ」
「うむ、他人任せで恐れ入ることだが、やはりこのプロジェクトで、魔女様の協力は前提のようなものだ」
「魔女様の協力を得る方が、市民たちの安全にもつながりますしね」
「でも魔女様は絵を描けない――」
「魔女様がいないとプロジェクトがまともに進行しない――」
「うーん」
皆が口々に意見を告げて、最終的には声にならない呻きを零しては、口を閉じる。
矛盾という暗礁に乗り上げた議論に対して、ごくシンプルなアイデアが出たのは、とある若い役人からだった。
「ひとつ考えがあります」
と、肩の高さまで手を挙げて皆の注目を集めたのは、参加者のトーエだった。
「どんなアイデアだ?」
発言を促されると、彼は咳ばらいを一度挟み、ごく簡単なアイデアを説明した。
「ルカヱル様ではなく、別の誰かに挿絵だけお願いするのはどうでしょう」
「別の誰かに――」
「挿絵だけを?」
「しかしですよ、トーエさん。魔女様は竜の姿を絵で伝えることが出来ないんです。その“誰か”に、どうやって絵を描いてもらうんですか?」
参加者のそんな指摘に対して、
「ルカヱル様についていって、一緒に竜を見せてもらえば良いんじゃないでしょうか」
と、トーエはあっさりと言い放った。
一方、会議はざわつく。
「この図鑑プロジェクトの旅に同行を……? 魔女様の助手を付けるということだな」
「確かに単純に考えれば、それで上手く行く――かな?」
「いやいや、でも竜に近寄るなんて、とても危険なんですよ? 誰か行きたい人なんて……というか、付いていける人なんているでしょうか」
「それは確かに――偏見で物を言ってるかもしれないが、正確に竜を観察して書き写せる芸術家でありながら、なおかつこの危険なプロジェクトに付いてこれる根性と体力を持ってる奴なんて、都合よくいるのか?」
「いますよ」
断言したのは、またもトーエだった。皆が目を丸くして彼へと視線を向けた。
「今日、この話をそいつに持っていきます。奴が頷けば、もう一度ルカヱル様のところへ話を持っていく――これでどうです?」
と、トーエは手を叩く。
「う、うむ。トーエ、君はどうやら心当たりがあるらしい。では、とりあえず任せる」
「ええ」
簡単に頷くと、トーエは席をすぐさま立った。
*
国土測量局、地図
トーエが向かったのは、そんな場所である。国土の測量を行い、地図を作成する――文字通りの役割を担う役人たちの集まりだが、そこにトーエの「心当たり」の人物が働いているのだ。彼の知人であると同時に、この仕事に最も適した人材が。
部屋の扉をノックして、一秒だけ間をおいて、トーエは中に入る。
「セタ、いるか?」
「……びっくりした。俺が答える前に入って来てるじゃないですか」
と、男が一人顔を上げた。
トーエよりも若い――というより、幼い彼は、ペンを置くと少しだけ席から腰を浮かせる。
「すまんすまん急ぎでな」
トーエは言葉以外に悪びれた様子もなく、扉を閉めると、セタの元へと近寄る。仕事場は閑散としていて、彼ら二人以外誰もいなかった。
「他の皆はどうした? ここにはセタだけか」と、トーエは部屋の中を見回す。
「はい。ちょうどさっき、皆外に出ちゃいましたよ」
「なんでお前さんは残ってる? ……ああ、もう干されたか。まだ配属2年目なのに残念だ。すまんな、デリケートなことを聞いてしまって」
「違います違います! 俺は逆に、さっき測量地から戻って来たところなんですよ。器具を回収して」
首を振って抗議するセタの脇には、少し土気のついたバックパックが置かれていた。机の上には、まだ整理される前の「測量地形図」である。
この覚書きが整理されて、「地図」として編纂される。
「それはちょうどイイ。なら小声で話す必要は無いな」
「な、なんです? 小声で話さないといけないことが……?」
「お前、絵描けるよな」
出し抜けな質問に対して、セタは答えるまで2秒を要した。
「ええと、はい。まあ、あの、多少は」
「多少? ははっ、ここに入る前は有名な芸術家だったじゃないか、“幽霊画家”さん?」
「ちょ、その呼び方は……」セタは慌てて周囲を見渡した後、トーエに向きなおる。「あのトーエさん、ここでは言わないでくださいよ」
「その画家は、寸分も狂いなく街並みを描き写す。しかも城壁の一角に、グラフィティとして――たった一晩で現れた精巧な写像は、まるで魔法のようだったが、その“作家”の正体は誰にも知られてない。まさに幽霊のように」
その都市伝説めいた芸術家が、やがて『幽霊画家』と呼ばれるようになった。
一定の罪に問われる行為であったにも関わらず、パースが精巧な風景画を壁に書き残す風変わりな幽霊は役人たちに捕まることもなく、かといって市民たちの前に正体を現すこともないまま、姿を暗ました――と思われている。
「とはいえ俺はその
「……はいはい、何か面倒ごとを俺に頼もうって話ですよね」
セタはため息を吐いた。「そうやって脅し紛いに話さなくたって、ちゃんと聞きますから。本題は何ですか?」
「ははっ、いや。お前がその、捕まえようと思っても捕まらない〈身軽さ〉を持ちながら、腕のいい〈絵描き〉だということが今はとても大事なんだ。普通の絵描きじゃあ、その二つの特性が両立しないからな――じゃあ本題を言うぞ」
「はい」
「魔女ルカヱル様に“竜の図鑑”を編纂するプロジェクトにご協力いただく。お前には、図鑑に載せる竜の図絵を描いてもらう」
「はい――えっ?」
「頷いたな。じゃあ任せたぜ」
と告げてセタの肩を叩き、書類一式を入れた封筒を彼の手のひらに押し付けるトーエ。
「ちょちょちょっちょっと待ってください! ルカヱル様の何が何ですって? 竜の図鑑の編纂? ――を、俺が手伝うってことですか?」
「ああ、そうだ」
「それっていうのは、俺が竜に近寄って、観察して?」
「ああ」
「それで、図か絵を描いて?」
「ああ」
「それで……そう、
「ああ――いや、そこは魔女様がやる。竜の伝承を辿り、竜の本体の場所に案内するのはルカヱル様、そして絵を描くのがお前さんになるだろうな。だいたいお前、竜のことなんて全然知らないし、伝承の教養もないから竜を見つけられないだろう?」
「局長に話は通しとくぜ。魔女様関連のプロジェクトとあれば、首を横に振るのは難しいとは思うがな」
「え、え、もう決定ですか?」
「ははっ。ああ、決定。じゃあ任せたぜ、
「……悪いのはどっちですか」
――かくしてセタの協力のもと、プロジェクト「竜図鑑編纂」は、思いのほか早急に始動できたそうだ。
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