第3話


「――説明ありがとう、セタ」

 図鑑プロジェクトが本格始動したことの経緯を聞き終えたルカヱルが、感謝を告げる。

「い、いえ」

 セタは緊張しているらしい。そんな彼を見て、ルカヱルはハーブティーを入れてあげて、テーブルにガラスのカップを置いた。家の裏手で育てられた薬草で入れたものである。

「どうぞ」

「あ、これはどうも……じゃなくて、お構いなく」

 ぎこちないセタを見て、くすり、とルカヱルは笑って、お茶に口を付ける。

「これは、その、薬液ポーションか何かでしょうか?」

「いや、ただのハーブティーですよ。毒もないよ。良い香りだよ」

 可笑しそうに魔女は言う。顔を寄せて香りを嗅いでみると、少しスッとして、落ち着いてきた。

「いっこ聞きたいことがあってね、君、絵を描いてくれるって話だけど、どれくらい描けるのです?」

と、ルカヱルは切り出す。

 セタの脳内に、彼の作品が思い浮かぶ――どれも街の城壁に残した遺物グラフィティばかりで、すぐに見せられるようなものが無かった。

(というかアレ、描いた本人が自慢げに見せるものでもないし……)

 なにせグラフィティ、すなわち壁に遺す絵は、一概に「景観を損なう」という理由で刑罰の対象になっているのだから。

 そんなセタの心中を知ってか知らずか、ルカヱルは、どこからともなく紙とペンをつまみ出し、「はい」とセタの前に差し出した。

「何か描いてみて」

「こ、ここで?」

「うん」

 魔女がすぐに頷いてきたので断ることもできず、セタはペンを手に取る。数秒考えたのち、一瞬ルカヱルの方を見ると、紙に筆を走らせた。

 ――そして十数分もすると一枚の絵が完成した。「できました」セタの発言と共に、魔女に作品が提示される。


 女性の肖像画が描かれていた。机に肘をつき、片方の手の指をガラスのカップに掛けている。服装は格式高いローブを上着に、着古きふるして皺くちゃなシャツを下着に。袖の隙間からブレスレットが覗く。切り揃えた前髪と伸びた後ろ髪、そして眠たげで少し垂れた目が、まっすぐと鑑賞者こちらを見据えているようだった。


「……私?」

「そうです」

 ルカヱルはしばらく眺めた後、「良く描けてる。うん、私だ……」と、感心したように呟いた。

「ルカヱル様は、マナの影響で物が屈折して見えると聞きました。でも、自分の姿はちゃんと分かるのですね」

「ええ。まあ自分のマナを止めればね。止めないと歪むけど、君が描いてくれたこの絵は、間違いなく私です……ん?」

「どうかしました?」

「ここ、何か虫刺されかな?」

と呟いて、ルカヱルは肖像の頬と、自分の頬を両方指さす。

 そこは赤くなっていた。

 しかし彼女が人差し指で頬を擦ると、まるで拭き取られたように虫刺されが消えて、肖像画の方も同時に綺麗に修正されたのだ。

「な、治った……?」セタは絵と魔女を交互に見る。

「蚊か蜂でもいたのかな。ねえ君、ちょっと気になったんだけど、描いてる間、一度も私の方見なかったですよね?」

「いや、描く前に最初、一回見ました」

「いや、普通モデルを何度も見直すもんじゃないの?」

 しかし、セタは首を振った。

「俺、最初に一回見れば頭の中に記憶できるので……それを紙に書き写してるだけなんです」

 セタの発言に、ルカヱルは最初目を丸くしていたが、徐々に弧の形へと変わっていった。

「ふふっ、面白。君、なかなかやるね」

 魔女は笑うと、作品を袖に仕舞う。

 それから、手を叩いた。

「君はこれから“竜”の絵図を描いてもらうんだけど、竜の実物は見たことある?」

「はい。俺はそんな酷い被害を受けたことは無いですけど、時折、竜が近くを、災害みたいな状態になることもありました。その時に何度か見ました」

「みたいな、というより、竜は災害だよ。生き物みたいな見た目をしてるけれどね。災害みたいな生き物というより、生き物みたいな災害、っていう認識でいた方が良い」

 セタはにわかに緊張してきた。自然と息が止まる。

「ルカヱル様、その、竜のことを俺はよく知らないんですが、竜はそんなにたくさんいるんですか? エダには、あまり竜が現れないもので」

 ハーブティーの淡く色づいた水面を見つめながら、ルカヱルは唸った。

「んー……。まあ、私の助手となる君には、私から知ってる限りのことを教えておいた方が良いですね」

 竜は「莫大なマナを持つ生物」である。

 こんな情報であれば、魔女でなくとも多くの者が持っている。セタだって知っていた。

 ただしそれは曖昧な常識に過ぎないもので――

 夜明けと夜更けのどちらで動き出すのか。

 災害をどれくらいの規模で起こすか。

 躰の大きさはどれくらいあるのか。

 棲み処をどんな環境に作るのか。

 ――ごく単純な情報だけでも、その全てを網羅する人間はいない。人間にとって竜は強大な生き物であり、観測そのものが難しい。それゆえ一般市民はローカルな「伝承」や「口伝」を集めて、竜の情報を知るに過ぎない。

 その点、魔女は普通の人間より竜の多くを知っている。理由は単純で、より長生きであり、より屈強であり、より情報を体系化できる知恵を持つからだ。

「さて本題。だいたいの竜は、十か百年くらいの周期を掛けて移動するの。そしたら地域ローカルに根付いた伝承や口伝が使えなくなる可能性がある。だから外来の竜が現れた時に、体系化された情報網データベースを元に対策できるようにする――これが図鑑の目的だよね」

「はい。けど……俺、その竜が移動するってのを見たことが無くて、正直、必要性がよく分かってないです」

 セタは頭を掻く。

 素直な感想を聞いて、ルカヱルは笑った。

「君のように若い人間の方が、案外このプロジェクトには向いてるかもね。年寄りほど竜を恐れる――トラウマになっててもおかしくない竜にも会ってるかもしれないからね。いわば、“100年に1回レベルの災害”をもたらす竜が」

「100年に1回レベルの災害……」

「例えばさ、君は“地震”を知っているよね」

 ルカヱルが急に話題を変えたように思ったので、セタは戸惑いつつも、すぐに頷いた。

「も、もちろん。そんなの、珍しくもないです。家の棚にだって、突っ張り棒を付けてます」

「世界には、ほとんど地震が起こらない地域もあるの。ジパングは地震がよく起こるけど、地震の発生頻度には地域差があるわけです。もし何かの拍子で地震が発生する地域が移動したら、どうなる?」

 セタは少し考えた。

「――地震が起こらない地域には突っ張り棒が無い? もし急に地震が起きるようになったら、その地域では棚もすぐ倒れる、とか……?」

 セタの答えに、ルカヱルはとても満足げに頷いた。

「君、鋭いね。伝承頼りでいると、竜が移動したときに対応できない、ってこと」

「なるほど……少しだけ、図鑑の必要性が分かった気がします」

 ふふっ、とルカヱルは微笑む。「――さて、私の助手の君にはもう一つ、魔女の知恵を教えてあげよう。竜の危険性は、伝承の規模レベルで察しが付く」

「伝承の規模レベル?」


 つまり世界の伝承を集めた時、その伝承の被害がどれくらいの地域規模で共有されているか、という点が違う。

 例えば、「温暖な海辺」でしか伝承されていない竜がいる。

 ある竜は、特定の「山脈」に沿ってのみ見られるらしい。

 また別の竜は、「大きな雨林」の中に巣を作るそうだ。

 ――しかし、ごく少数の竜は桁違いの災害規模を誇り、その爪痕はまるで神話のように謳われる。


「いわば“神話の竜”がいるんです。もし人類が竜のせいで滅ぶことがあるとしたら、そんな神話の竜たちのせいだろうね」

 セタは緊張した面持ちで息を呑む。

「ルカヱル様は、神話の竜を見たことが?」

「直接は無いよ」

 なんとなくセタが安堵した拍子に、ルカヱルは続けてこう告げた。

「私が知る限りだと、昔々――魔女が一人死んで、国が四つ消えた」

 セタは目を丸くする。魔女は話を続けた。

「それも、もうずいぶん前の話です。次に来るのはいつだろうね。周期が長すぎて、寿命が長い魔女わたしたちですら、神話の竜のことはほとんど把握できないんだ。知っているのは、そいつと対峙したら魔女でも死ぬ、ってことくらいね」

 ルカヱルが話すのをやめると、セタは呼吸の音すら止めて、表情が固まっていた。

 魔女はますます可笑しそうに、彼を見て微笑む。

「安心して。相手が“神話”じゃなければ、君を守るくらい造作もないからさ」

 気さくに笑いかけると、魔女はガラスのカップを掲げた。

「旅の無事を祈って。乾杯」

「……か、乾杯」

 きん、と高い音がなる。それが旅路の始まりだった。





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