第17話

 ルカヱルの説明を聞いたフジイは、深く息を吐く。

「こんなに落ち着いた海をまた見れるとは……。魔女様が教えてくれなければ、あの不穏な海に怯えたまま、一生を終えるところでした」

「じっちゃん……良かったねぇ」

「ま、きっとここしばらくは安全なんだと思う。でも、またいつか遠い時代に、竜が戻ってくる可能性も考えないといけない。特にデルアリアは海流に乗って移動する――ってことは、いつかまた、ここら辺に戻ってくる可能性が高い」

 ルカヱルの言葉を聞いて、フジイも頷く。

「そうだな……。しかし次の危機が来た時は、儂はもうおらんかもしれん。竜の移動がどれくらいの周期で起こるか分からないが……、もしかすると、アイランもいないかもしれん」

「じゃあ今度は、あたしの代が後世に伝えないといけないってことだぁ……」

「なら、俺とルカヱル様が図鑑を作ったら、ここにもちゃんと持ってくるようにします。そうしたら、伝承の確度も上がるし、竜の姿も伝わるはずです」

 セタが言うと、アイランは顔を上げた。

「そうね。私のお墨付きだし」とルカヱルも続く。「記憶はいずれ風化して、言葉はやがて変わるものだけれど。セタがこれから絵を描いて、私がキャプションを書いた図鑑をいつか持ってこよう。そうしたら、二つの竜に一つの名前で呼ぶ、ってこともなくなるよ」

「分かりました。あの、何から何までありがとうございます! なんとお礼したら良いか……」

「礼はいらないです。これは仕事なので」とセタは言う。

「礼はいらないよ。ただの暇潰しだから」と魔女は言った。

 アイランは目をぱちくりとさせて、笑う。「あははっ、そうですか。じゃあ……ご飯だけでも」



 結局のところ、沖から4人が戻ってから、島の皆が総出となり、沖の総点検が始まった。ルカヱルとセタは箒に乗ってその様子を上空から眺めて、いざという時に備えていたが、日が暮れるまで渦の被害も、海流の逆転も、確認されることはなかった。

「今夜はお祝いだ、竜はもう遠ざかった! お力を貸していただいた、魔女様たちも良かったら!」

 そうして祝宴まで始まった。海の幸がこれでもかと並んでいく。そのうえ、セタの書いたデッサンがその場で共有されることとなった。

「これがデルアリアか。奇妙な形だ」

「また戻ってくることもあり得るんだろう?」

「厄介な話だが、早いところ対策は講じておかないとな」

「ま、今日のところはお祝いだ!」

 そんなこんなでルカヱルたちが解放されるまでに、また陽が沈みかかって来た。

「ふあぁ、さすがに疲れた……」

 欠伸混じりのセタを見て、アイランも釣られて欠伸を零す。若者ふたりが疲れ切っているのを見て、ルカヱルは笑う。

「そろそろ帰ろうか。セタは帰って仕事もあるし」

「はあ、そうしましょう。帰って報告準備ですね」

 別に明日でも良いのだが、どちらにせよ帰らなければことは進まない。

「お帰りですか? あたしが桟橋まで送ります」とアイランが席を立つ。「じっちゃん、セタさんたちを送ってくるね」

「そうか、頼むぞ。お二方、機会があったらまたぜひ来てくださいな」

 そうして、3名は宴の席から出た。

「セタさん、ルカヱル様、沖を調べるのを手伝ってくれて、ありがとうございましたぁ。きっと、今度からまたみんなで船に乗るようになると思います」

「そう。良かったよ。けど私たちが言ったこと、ちゃんと覚えておいてね」とルカヱルは言う。

「はい! もちろんです!」

「竜の図鑑が出来たら、持ってきます。お元気で」とセタも言う。

「はい、お元気で――! 図鑑待ってますから、きっとまた会いましょう、ルカヱル様、セタさん!」

 アイランが手を振り、セタたちが降り返して。

 それから、魔女の箒で島を離れた。目の前に広がるのは、夕日の海である。眠気に頭を浸しながら、セタは海面の揺らぎを眺めて、ぼうっとルカヱルの後ろに乗っていた。

(そういえば……結局、“海流を乱す竜”の姿をまだ見てなかった)

 セタの記憶に保存されているのは、大きな翼を使って泳ぐ“渦の竜デルアリア”の姿だけである。“海流を操る竜?????”は見ることが出来ていない。ルカヱル曰く、それほどの力があるとすれば、莫大なマナの持ち主だろうと言っていた。

 フジイの発言からも、「海流の竜」が海面の広域に波紋を生み出すほどの影響力の持ち主だということが分かっている。

(もしかして……、渦の竜よりも海流の竜の方が、ずっと強大な竜なのか?)

 渦に船が呑まれるという実害を生み出していたのはより矮小な竜のほうで、ずっと長い間いちども姿を現すこともなく、海流を乱し続けたもう一つの竜の方が、今は気になっていた。

「ルカヱル様、ちょっと良いですか?」

「うん? なに、起きてたんだ。静かだったから、眠ってるのかと思った」

「いえ。いま寝たら落ちるでしょ絶対」

「落ちたら拾ってあげるよ、ちゃんと」

「落ちないようにするわけじゃないんですね? ……じゃなくて、デルアリアのことについて聞きたいことがあって」

「うん。あると思った」

 ルカヱルはそう答えると、箒のスピードを緩める。風の音が少し和らいで、波の音がより鮮明に聞こえるようになった。

 声が通るようになったセタは、改めて尋ねる。

「結局、海流の乱れと渦の伝承の竜は別だったんですよね。俺たちが昨日見たのは渦の方。海流の方はどんな竜だったのか気になって」

「そうだね……ちょっと、私が昨日の夕方に何を調べてたか、教えておこうかな」

 ルカヱルは咳払いを挟む。

「まずデルアリアだけど、あの竜は離れた沖合の方にいた。昨日の感じからすると、あそこに居つくんじゃないかな」

 セタはほっと息を吐いた。アイランの島から離れて、別の人里に近付いていたら元も子もない。

「次に“海流”の件だけど――似たような話を遠く離れた別の地で聞いた覚えがあったんだよね。その地方では、“海流”の伝承では無くて、“波紋”のインクレスとして伝承されてた」

「波紋、インクレス……それが、海流を乱す竜の正体?」

「多分ね。この予想は、割と良い線行ってると思うよ」

 セタも、フジイの発言を思い出した。海流が乱れた時、海面には不穏な波紋が生じるのだと。

「波紋のインクレスと、渦のデルアリアが、アイランさんの島の付近に一緒に居ついていた……」

「確定は難しいですが――“波紋”として知られる伝承が、この地では“海流”として解釈されて、やがて“渦”の伝承と混同されたのかもね」

「なるほど、ややこしいですね……。みんな、竜の姿を見ることができず口伝に頼るしかないから、情報が錯綜してるんだ」

 竜の図鑑が、あくまで竜の姿に焦点を当てているのも頷ける事情だった。竜の生態と見た目を、きちんと結びつける必要があるのだ。

「その通り。これからも気を付けないとね。それと――もしインクレスが人の前に姿を現したら結構ヤバいと思っててね。いちおう辺りを探してみたけど、やっぱり、もうどこかに行っちゃったみたい」

「え?」

 急に穏やかでは無いことを言われて、セタは眠気が飛ぶ。「ヤバいって、どういうことですか?」

「インクレスは、大災害級の影響を持つんじゃないかって思ってるの。セタ、前に教えたよね――神話クラスの竜がいる、っていう話」

 ルカヱルは箒を完全に止めて、跨った状態から椅子に座る体勢に移った。セタの視界に彼女の横顔が映る。

 彼女はこう切り出した。

「ひとつ、神話を教えてあげる。もう私しか語り部がいない神話だけど」

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