第18話

 これも今や、魔女ルカヱルしか知らない神話である。

 はるか昔のこと、ルカヱルは、とある土地から徐々に東を目指して移動しようと思っていたところだった。そこはきわめて技術的に発展した地域であり、海中の鉱物資源の開発計画が興るほどだった。一方で、その海底資源の放つマナのせいでルカヱルは眩暈めまいがしそうで、仕方もなく。

 当時から魔女が崇拝される時代であったため、ルカヱルの移動は地域住民たちから惜しまれた。だが、その街にはもう一人の魔女がいたからこともあり、ルカヱル本人は他所に移動しても特に問題あるまい、と思っていた。

 もう一人の魔女は“ノアルウ”と呼ばれていた。当時、ルカヱルと付き合いのあった魔女である。ノアルウは鉱石資源の開発の最中でも、既に慣れているのか、視界も屈折しているだろうに、気にも留めることなく、その街の営みを眺めていた。

「――ところが彼女が住んでいた彼の地は、最後には水に全て沈んだの」

「え?」

 話が急激な展開を見せたことで、セタは驚く。

「ノアルウとも、それ以来会えてなくてね。あの日に死んだのか、実はまだ生きてるのか、私にもわからないけど」

 ルカヱルは、急いで現場に駆け付けたという。水に破壊されたその地は海面が広がるばかりで、唯一、折れた背の高い塔が、浅瀬に突き刺さっていた。そして穏やかな海面の下に、都市と人々の骸が転がっていたのである。

「私は、そこにマナを見たのです。途方もない、莫大な竜のマナを」

 目眩がしそうなマナの痕跡を前に、手の施しようもなく、ルカヱルはその場を離れるしかなかった。長い時間が経つと、海面に沈んだ都市と生活の残骸もやがて崩れて、いまや砂と散った。その出来事の子細は、他に誰かが知る由もなく、人々の記憶からも消えてしまった。




「――その竜の保有するマナは、推定だけどかなり大きい。デルアリアも矮小ではないけれど、あの竜が残したマナに比べれば、なお小さいくらいに」

 残していったマナが、デルアリア本体のもつマナよりも大きいという事実を聞いて、セタは息を呑む。

「そんなとんでもない話、信じられない……」

 その話は、まさに神話のように聞こえた。ただ神話と言いえば聞こえもいいが、人の想像を超えた創造フィクションと言われても、それはそれで納得できるほどだ。

「ジパングに住む君がこの話を聞いたことなくても仕方ないよ。そもそも伝承者になるべき観測者自体、私しか残ってなかったんだから。神話といったけれど、語り部は私だけなの」

「……!!」

 セタは戦慄した。あまりに影響が破壊的であるがゆえに、語る者すら残らなかった、という事実に。

「彼の地はアトランティスと呼ばれてた。もう完全に崩壊して海の藻屑だけど、あの時の竜は、きっと今も生きてる」

「そ、その竜の名前は? 姿は……?」

「分からない。名前も、姿も、生息域も。分かってるのは、おそらく海に棲んでるってことと、莫大なマナをもつだろう、ってこと。私は便宜上、その竜を“ガイオス”と呼んでる。まあ、その呼び名も私しか使ってないんだけどね」

と言って、ルカヱルは海の遠くを見つめる。もしかすると、くだんのアトランティスという古代都市の方角かもしれない。セタも海を眺めつつ、アイランの島を離れたというインクレスのことを考えた。

 インクレスもまた、海に棲む竜なのだろう。姿は分からないが、海流や波紋に関わるのであれば、きっとそうだ。

 そして、局所的に渦を発生させたデルアリアと比較して、海面一帯に渡り波紋を生じさせる影響規模の広さ、海流を逆転させるという荒唐無稽の力。それらから推察するに、影響規模に相応の莫大なマナを持っている。

 ――ルカヱルだけが知る神話のガイオスと、いくつかの点が似通っている、と思うのに、それほど時間はかからなかった。

「もしかしてルカヱル様は……いまインクレスとして伝わる竜は、そのガイオスのことだと思ってるのですか?」

「君、けっこう勘が鋭いよね」

 ルカヱルは微笑む。「私だって、ガイオスとインクレスが同一だと確信してるわけじゃないです。でもフジイとアイランの話を聞いて、“一つの伝承が一つの竜と必ずしも対応するとは限らない”って分かった。あの島では、2体の竜が1つの伝承で語られて、デルアリアとして混同された。それとは逆に――」

「“複数の伝承が、とある1体の竜を示す”場合もあり得る。神話の竜が、別の伝承として語られることも。特に、姿

「ふふっ、その通り」

 ルカヱルは微笑んで、セタに目線を向けた。

「いまの私がインクレスの伝承の地に行ったら……真偽を確かめることができるかも。ここからだとかなり遠いところだから、着くのはずっと後だけど」

 その時、初めてセタは初めて、ルカヱルの「願望モチベーション」のようなものを感じた。暇つぶしに生きる魔女は飄々としていて掴みどころもないが、いまのルカヱルの発言には、珍しく魔女の熱が乗っていたように思えた。

(ルカヱル様は、アトランティスで何が起きたのか知りたいのか……?)

 考えを巡らせるうち、セタも次第に興味が湧いてきた。これまで聞いたことのない都市で過ごしていたルカヱルと、その都市を破壊した神話級の竜。

 思いを馳せていると、かつて「幽霊画家」だったときのことを思い出した。あの時の自分が求めていた物が、不意に与えられたような感覚だった。

「分かりました。その話、覚えておきます」

 セタはそう答えた。「もしかすると“海流”、“波紋”みたいに、他にも関連する伝承があるかもしれません。もし聞いたら、ルカヱル様に伝えます」

「そう? ありがとう」

「たくさんの観点が必要だと思いますが、姿の分かってない竜の伝承を集めていけば、いつかガイオスにも繋がるかも。もし見つかったら、俺が絵を描きます」

「それは……ありがたいけど、良いの? 仮にガイオスに至ることがあっても、きっとその先はかなり危険だよ。もし私と一緒だったとしても、命を賭けることになるかもしれない。……私の暇つぶしにそこまで付き合う必要はないのに」

「いえ。端的に言ってしまうと、俺も面白くなってきました」

 セタがそんな返答をしたので、ルカヱルはぽかんとした表情を浮かべたあと、「ははっ!」と肩を揺らして笑った。

「なんか……ふーん? 君、面白いとは思ってたけど、思ってた以上に私と気が合うんだね」

「えっと、まあ――“方針が一致した”ってところですかね」

 セタがそう答えると、ルカヱルはイタズラっぽい笑みと共に歯を覗かせた。

「そういうことなら。じゃあ、これからも改めてよろしく、セタ。まあ、ほんの暇つぶしくらいのつもりでも良いからね」

 魔女が差し出した手をセタが握り返して、その握手が旅の結盟となった。

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