神話の痕跡
第16話
ルカヱルの提案通り、明け方の海に出るための準備が進められる。フジイは体力温存のため眠りについたが、セタとアイランは昼にすぐさま眠れそうになく。
ルカヱルは「周りを見てくる、夕方までには戻るよ」と言い残して、箒で飛び立った。
(なるほど、これは暇だな)
セタは、どうせあとで描くことになるデルアリアの挿絵を描いて過ごしていた。
「セタさん、すごく絵が上手いんですねぇ……」
と、セタのスケッチを覗き込んだアイランが呟いた。
彼女に直前まで気づいていなかったセタは、驚いた表情で振りむく。アイランは体を拭いて着替えて来たらしく、水着ではなくなっていた。
「あ、すみません! 驚かせるつもりはなくて、ちょっと気になっちゃって……ごめんなさい」
「いえ。別に大丈夫です」
スケッチには、あの渦のデルアリアの姿が描かれていた。
大きなヒレと、タコのような触手状の尻尾。アイランはセタの隣に立って改めて絵を見つめる。
「実は、まじまじと見たことが無くって。デルアリアの姿。今日もちょっとしか見えませんでした」
「上から見ると透明でしたしね……」
海の中でしかデルアリアの姿は見えないのだ。不思議な話だが、少なくとも船の上から見つけることはできない。
それからセタが線を書き足していき、アイランがじっと見つめるという時間が流れる。
(見ても別に良いって言ったけど、なんか監視されてるみたいで気まずい)
というセタの心中を量ったか量らずか、アイランは口を開いた。
「面白い形……どうして、こんな形なんでしょう? ルカヱル様が、海流に乗るために大きなヒレを持ってるって言ったけど、タコみたいな足もあるし」
「この触手ですか? うーん」
どうして、と言われても、別にセタが竜を設計したわけではないので、知る由もなく。
「海流に流されたくないときは、岩礁に掴まったりするのかもしれないですね。答えは知りませんけど」
「なるほど……形からいろいろ分かったりするんですねえ。図鑑を作ったら、みんなに配るんですかぁ?」
「一応、配布用のレプリカをエダで作るらしいです。みんなに配るほどの数は難しいですけどね」
「そうですか、残念……。みんなにも、デルアリアの姿を伝えられたら良かったのに」
とアイランが眉を下げた。セタは彼女を見てから、自分のスケッチを見て、そのページを差し出す。
「なら、これを上げます」
「ええ? でも図鑑を作るために書いたんじゃ?」
「もう一枚書けばいいです。それに、図鑑を作る目的は“竜の生態と姿を広く周知する”こと――アイランさんが島の皆さんに伝えてくれるなら目的を果たしたものなので、遠慮なく」
「そうなんですか? 本当に良いんですか?」
「良いですよ、全然」
セタの答えを聞いたアイランは、差し出されたスケッチに手を伸ばす。それから、まじまじと挿絵を見つめていた。
「セタさん、よくこんな細かいところ覚えてますね……。足の数なんて、あたしは全然覚えてなかったのに。魔女様の箒にのって、それどころじゃなくて」
「俺は一回見た物をそのまま記憶できるんです。記憶を頼りに描いてるんです」
そのため、足どころか歯の本数も正確である。
「え、すごい……! そんなこと出来る人、初めて聞きました」
「はは、割と苦労もあるんですけどね……」
「そうなんですか?」
ピンと来てないらしく、アイランは首を傾げた。見た物を“そのまま記憶できる”というのは、“忘れることが出来ない”ということでもあるのだ。
そんな二人の頭上から、
「セタ、アイラン。ちょうど良かった」
と声がした。声の主はルカヱルだった。箒を徐々に降下させて、二人の近くに降り立つ。ついでに、アイランの手元に握られている「作品」に目を付けた。
「もう書いてくれたんだ」
「一枚はアイランさんにあげようと思います。この島では必要だと思って」
「――そうね。何年後かには、また必要になる」
「何年後? いや、今だって必要じゃ……」
「ふふっ、詳しくはフジイにも話さないとね」ルカヱルは夕日色に染まった海を見て、微笑んだ。「今日、答え合わせに行こう」
*
陽が沈み、そして時間が経って、夜明け前。
「ふう……船を動かすのは久しぶりだ」
フジイは舵を握り、帆の様子を振り返って確認する。船は風を受けて流れに乗り、順調に沖に向かっていた。アイランとセタがその船に同乗し、ルカヱルは箒で追従する。フジイは舵を切って海を進む。セタの目には、どこにノウハウがあるのか判別できない。見よう見まねでやってみても、きっとうまく行かないのだろう。
未明の空と海はいずれも暗い。海面には月の光が反射して、空には星の光が一面に広がる。そんな暗い水平線の向こうから、徐々に光の気配が覗く――夜明けはもうすぐだった。
伝承通りなら、この時間帯はデルアリアが活発になる。セタは目を細めて、遠くを見つめていた。
「儂の親父たちは乱れた海流の対応方法を練って海に出とった。儂のじいちゃんの代から、竜の機嫌を知るノウハウを蓄積してな。恐いのは渦の方で、アレは、不意に現れるんじゃ。子供のころ、ああまでして皆が海に出ようとしていた理由が、儂には分からんかった。竜がいるなど、恐いしな」
「じっちゃん、海が恐かったの?」
アイランが尋ねると、フジイは素直に「ああ」と答えた。
「アイランくらいの年から、ずっと恐くてな。だが、嫌っていたわけじゃない。……魔女様、船はどこまで出せばいい?」
問いに対して、ルカヱルはこう答えた。
「ここで良い。フジイ、ここにたどり着くまで、海流が逆転してた場所はあった?」
「いや、今日は大人しい。もし海流が逆転していたら、海面に独特な波紋ができるもんなのですが、竜の機嫌が良いのかもしれないですな」
「独特な波紋?」と、セタ。
「ええ。昔はそれを頼りに海流の乱れを確かめていたもんです」
なるほど、とセタは思った。海流なんて目にはっきり見えるわけではないと思うが、手がかりがあったらしい。
ルカヱルの考えによれば、その海流を乱す竜と、デルアリアは、それぞれ別物とのことだが――
(なら、海流を乱すっていう竜はどんな竜なんだ……?)
「しかし魔女様、今のところ波紋は無いと言っても、渦の方は予測しかねるんです。今にも、儂らのすぐ下に渦を作るかも」フジイは、船の上から海面を覗き込む。最初に会ったときに見せた、あの鋭い視線の動かし方だった。
「大丈夫。私が視てる限りだと、この近くに竜のマナは無いよ」
「それは良かった」とフジイは胸を撫でおろす。
「というより――」と、ルカヱルは続けた。「昨日の夕方まで、一帯を捜索してきたけど、もう竜のマナはどこにも無かった」
「……え?」
声を上げて、アイランはルカヱルを見る。「魔女様、どこにも竜のマナが無いって、どういうことですか」
「昨日の昼間を最後に消えた。――“竜の移動”だよ、アイラン。竜はもともと、棲み処を移動していくものなの」
話を聞いた皆が目を丸くする。フジイは海一帯を見渡し、アイランはそんな彼へ顔を向けて。
セタはルカヱルを向いたまま、尋ねた。
「竜の移動? 十年とか、数百年周期で起こるっていう、あの?」
「そう」と、ルカヱルは頷く。「フジイの祖父の代に発生した海流の伝承と、親の代で発生した渦の伝承。この地で重なっただけで、おそらく今は――どちらの竜も既にこの地を離れたあとだね」
「でも、昨日見たデルアリアは……?」アイランが尋ねる。
「昨日のアレが、最後ってことです。“移動時期”が来たからこそ、普段と異なる行動を見せて、海流に乗って遠くへ去った。結論を言えば、この地に竜はもういない。次に来るのは、ずっと先だろうね」
そう言って、ルカヱルは海の果てを見つめた。アイランとフジイは言葉を失い、顔を見合わせる。
「でもルカヱル様の考えでは、竜は2体いたんですよね? それが同時に、ここを離れたと……?」
偶然そんなことがあると信じられず、セタは確認をとった。
「多分偶然じゃないです。渦の竜デルアリアは、海流を逆転させるほどの泳力が無く、海流に身を任せて泳ぐ。ところが海流の乱れの影響で、ずっと留まっていたとしたら?」
「……海流がもとに戻ったと同時に、その海流に乗って動き始めた……?」
「その通り。2体は偶然同時に動いたんじゃない――デルアリアは、もう一体の竜に影響を受けていた」
発端はフジイの祖父の代――100年以上も前に、“海流を乱す竜”が先に来ていた。
しばらくしてフジイの親の代に、渦の竜デルアリアが到来する。本来、海流のまま移動するはずのデルアリアは、乱れた海流に捕捉され、長い間ここに留まってしまった。
ところが“海流を乱す竜”がここを離れたことにより、次第に海流が元に戻った。デルアリア自身も、その海流に乗ってここを離れた。
――そして今、海は以前の姿を取り戻した。
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