第15話

「デルアリアの話ですか? なんとまあ、魔女様がそのためにここまでご足労を……」

 フジイはひげを指で撫でて、唸った。

「デルアリアについて、知っていることをできるだけ教えて。伝承とか、君の体験談でも良い」

「儂の体験談ですか……」一瞬俯いて、また鋭い動きで視線を配り、記憶を整理するフジイ。顔を上げると、こう切り出した。「たとえば儂がまだ子供のころの話ですが……」

 ――当時はまだ、島民は船を出そうと悪戦苦闘しているところだった。まるで学者がそうするように、デルアリアの動きを読み、機嫌を読み、天気を読み、そうして万事万全であることを保証できるようになるまで、皆が知恵を絞り、研究していた。

 しかし、デルアリアについては致命的な特性があった――海面の下にいるその竜の姿は、海上から見えなかったのである。

(俺の見たのと同じ性質だ。やっぱり、あれが伝承のデルアリアか……)

 セタは、フジイの話を聞きつつ、情報を整理する。ルカヱルも静かに話を聞いていた。アイランも一緒に。

 さて、デルアリアが不可視であるがゆえに、いつ襲われるか誰にも分からない。海流が逆転する現象は、船を制御不能に陥れることがある。先人が培った経験則が使えなくってしまい、潮目も読めず、漁はままならない。次第に沖まで出て漁をするリスクを恐れ、島の近場の開拓が盛んになった。

(近場の開拓というのは、海人あまによる漁ってことか。昔は沖まで船で出ようと試行錯誤があったんだな)

 そうして、ますます漁が消極的になったのは、船が渦に沈むようになってからだった。デルアリアの仕業だと誰もが分かっていたが、竜を討つことはできず。さいわい、デルアリアの活動時間は分かっていたため、その時間をさけて、浅い海で漁をするように段々と変わっていった。

 話を聞いたルカヱルは、そこで一度頷く。

「ふむ。ありがとう。うまく順応して、生活をつないで来たんだね」

「ええ。ただ、沖にでる航海技術を知るものは、もう少ないもんで……。せめて渦さえなければ、また沖に出ることは可能ですが」

「どれだけ万全を期しても不意に発生する渦。それが結局のところ、ネックになってるんですね」とセタがいうと、フジイは頷く。

「“海に出るなら、デルアリアの機嫌を知れ”――儂の父親がくち酸っぱく言っとりました。ついぞあの竜は機嫌を悪くして、渦を生み出すようになってしまいましたが……」

「……ん?」

 セタは、どこか微かな違和感を抱いた。(機嫌を悪くして、渦を生み出すように?)

「1つ、お聞きしても?」とルカヱル。フジイは「もちろん」と頷いた。

「海流が狂う現象は、渦の発生よりも昔からあった?」

 セタは首を傾げる。その質問の意図がいまいち分かっていなかった。フジイも意図を掴みかねているらしく、少し首を傾げて、斜めに頷いた。

「え、ええ。そのはずです。海流が逆転するだけであれば、儂の父親も海に沈むことはなかったでしょうから。あの当時、海流の狂いまでも読み、果敢に海に挑んだ船乗りを、渦は呑んでしまったのです」

 フジイは達観したような笑みをこぼした。「アイランが船の乗り方を知りたいというもんで、連れて海へ出ようと思ったことがありましたが……。もし渦に呑まれて、二人とも藻屑に消えてしまうと思うとのぉ。すまん、アイラン」

「じっちゃん……。良いよ、大丈夫だから」

 アイランは首を横に振った。「魔女様、海流が乱れる話は、じっちゃんの上のじっちゃんの代からあるって聞いてます。もしかすると、100年以上前からずっとかもしれないです」

「そう。ふふっ、ありがとう。なんとなく、デルアリアのことが分かってきました」

「……というのは? 聞いてる限り、ルカヱル様が元々知ってた伝承の内容と、相違ないと思いますが」

 セタは尋ねたが、ルカヱルはすぐに首を振った。

「いや、大事な情報が抜けていたのですよ。時系列です」

「時系列?」「……って、なんですか?」

 セタ、アイランが口々に言う。

「伝承は長い時間をかけて蓄積される。その中で、詳しい情報は削られて、錯綜した情報が混ざり、やがて現在に至る。よくあることだけどね。――フジイの話によれば、乱流の伝承は、渦の伝承よりも前にあった。乱流の伝承はフジイの祖父の代から。そして渦の伝承は、フジイの親の代から」

 セタとアイランは首を傾げたが、フジイは、ふと顔を上げた。

「魔女様、あなたが言いたいことは、つまり……」

 この場の誰よりも島の記憶を持つフジイが、ルカヱルの考えを察した。“削られた詳細”。“情報の錯綜”。それらに思い当たる節がある彼は、ルカヱルと同じ考えに至ったのである。

「フジイ、もしかすると君はもう分かったかな? ――竜は2種類いた。一方はデルアリア、渦の伝承の竜。そしてもう一体は海流の伝承の竜。デルアリアとは別の竜だよ」

「え、ええ!?」

 アイランが目を丸くして声を上げて、フジイ、ルカヱルを交互に見る。「あのデルアリアとは別に、まだ竜がいるんですかぁ? そんなぁ」

「“儂ら”が見ていたのは、別の竜だったのか……。だが、誰も気づかず、二つの竜を一つの竜に混同していた……?」

 フジイは言う。彼の言う“儂ら”には、自分や、自分の祖父や、自分の父や、アイラン――この島で生まれ、関わって来たすべての人が含まれているのだろう。

「ルカヱル様、でもどうしてそんなことに気付いたんですか? 二つの伝承が混ざってるなんて、どこで気付いたんです」

と、セタは尋ねる。形を覚えるセタの観察力とは別次元の、形のないものを見るルカヱルの洞察力に驚く。見えている世界が違う、というのは分かっていたが。

「さっき、私がデルアリアを――“渦”のデルアリアを引っ張って島から遠ざけた時、私は海流に乗って加速した。でもあの竜は海流を逆転させなかった。もし海流を逆転させていたら、いまごろ私たちぱっくりと食べられてたかもね」

「……デルアリアはその手段を取らなかったんじゃなくて、取れなかった?」

「そう」と魔女は頷いた。「私の目から見ても、あのデルアリアに海流を逆転させ得る莫大なマナは無かったよ。引き摺り込まれたとはいえ、私の魔法で引っ張れる程度のマナですから」

 そう言って、ルカヱルは人差し指をクルクルと回した。デルアリアのせいで海に沈んでいたというのに、アレでも大した重さではないらしい。

「さらに言えば、あのデルアリアは最終的に海流に乗って、流れのまま泳いでいった。海流を逆転させるほどの泳力は無いんだよ。あの大きなヒレは流れに逆らうものじゃなくて、流れに準じるためのもの。滑空に近い泳ぎ方なんだ」

「それは……たしかに、伝承の言う海流を逆転させるほどの流れを生み出せそうにないですね」

「ええ。ただし、もう一つ気になることもある。渦のデルアリアの活動時間や、出現場所が変わったってこと。そうよね、アイラン?」

「えっ? は、はい。デルアリアは、夜中とか明け方に動くはずなんです。それに、もっと沖の方で動いていることが多いのに」

「明日の早朝、確認したいことがある。――ということで、フジイ」魔女は、彼を見てにっこりと微笑んだ。「アイランとセタを船に乗せてくれませんか? さすがに箒に4人乗りはできないので」

「な、なに?」

と、フジイは目を丸くした。彼だけでなく、セタもアイランも驚く。「ま、魔女様。しかし、デルアリアが……」

「ええ。ただ、海流を知る人が必要なんです。いざとなったら、私が助けるから。お願い」

「う……か、かしこまりました」

 フジイは気圧されつつ、頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る