第14話
“じゃぼん”と、セタの頭上から水の音がして、服すべてが冷たく濡れる。
「~~~~!!!?」
セタは言葉を失っていた。
というより、しゃべれない。
水の中にいた。
(箒ごと沈んだ……!? ルカヱル様がデルアリアを引っ張っていたはずなのに、逆に引き摺り込まれた!)
ところが沈んだ後も、箒は潜水艦のように海水の中を一直線に突き進んでいたのである。塩辛い水の中なのに、目も鼻も痛くならない。セタの口元と目の周りには、空気が集まっていた。呼吸も、目視も地上と同等に可能であり、不意に海の中の幻想的な景色が視界いっぱいに広がった。
(ルカヱル様の魔法? 水に沈む寸前で、俺とアイランに魔法をかけてくれたんだ)
そんなルカヱルを見ると、当の本人は何も結界を張っていなかった。水の中だろうと陸の上だろうと、魔女の呼吸や視界には関係ないらしい。
(ルカヱルの魔法と拮抗するとは――さすがは竜。というか、このままじゃ俺たち喰われるんじゃないか?)
セタは、恐る恐る振り返る。透明であいまいな輪郭を持つデルアリアの姿は見えないかもしれないが、背後にずっと放っておけるほど、呑気ではいられず。
(――え?)
ところが、セタの視界に「それ」はうつったのだ。
エイのように広げた薄くて大きな翼膜と、八又に分かれた尾、クジラほどの体躯。悠々と飛ぶように、背後を追泳している。
つるりとした体表面にはウロコの一枚もなく、「目」の構造が判然としない簡素な頭部には、無数のキバをカチカチと細かく打ち付ける不気味な口だけが、あった。
デルアリアの姿が、見えたのである。
「!?」
(キッッッモいな、なんだこの形!? これがデルアリアなのか? 水中だと姿がはっきり見えるのか……?)
原理は不明だが、デルアリアの姿は水面から上で不可視で、海面から下では見えるようだ。
XZZAAaaaaAAN!!!!
さらに、咆哮も海上の時よりいっそう強烈に響き渡る。セタは顔を顰めた。
(海の中の方がうるさいぞ、こいつの声は! 普通逆だろ! 音波が水を伝って、骨に響いているみたいだ……!)
体が鐘となって震えたような感覚だった。鼓膜どころか、水を伝い、血液を伝い、骨も心臓も震わせるほどの
さらにデルアリアは口を開け、剣山のように夥しい数の歯を光らせ、セタの背後まで迫って――
「―――!!」
そのとき、ルカヱルは竜を魔法で引っぱるのを止めて、今度は箒を操作し、すぐさま海上へと飛び出したのである。デルアリアの開けた口が海中で思い切り閉じると、そこに渦が発生した。
「危なかった。さて、これだけ島から引き離せば、さすがに大丈夫でしょ」
「はあ、はあ……あれ、あたし今、海の中にいたような気が……。気のせいかな?」
アイランは怒涛の展開に目を回す。セタは、いま発生したばかりの渦を見つめる。
「ルカヱル様、デルアリアが何かを捕食しようとすると、ああやって渦ができるのでしょうか」
「かもね。さて……これだけ引き離したし、もう問題ないかな」
「退きますか? 少し不安ですが……」
「その前に、アイラン」と、ルカヱルは呼びかける。「さっきの話、ちょっと詳しく聞かせて」
「え、どの話でしょう?」
「デルアリアがこんなところに、こんな時間にいるのは珍しい、みたいなこと言ってなかったですか?」
ルカヱルが言うと、アイランは細かく頷いた。
「は、はい。あたしは、デルアリアの渦を朝しか見たことないです。デルアリアは、夜中とか明け方に出るんだって、じっちゃんも皆いってるし」
「ということは、普段の生態とは違う動きをしてるってこと?」と、セタも続いて問いかける。アイランはまた細かく頷いた。
ルカヱルは海を見下ろす。渦は少しずつ消えて、無くなってしまった。セタの目には、もうデルアリアがどこにいったのか分からない。
(海中でしか姿が見えない竜か。見た目の独特さもさることながら、すごく不思議な生き物だ)
ヒシカリの地で見つけたフルミーネも大概神秘的な生き物だったが、デルアリアは見た目から一挙手一投足まで、まさしく不思議そのものといった生態だった。
「ルカヱル様。デルアリアの姿が、水中では見えました。かなりおかしな形でしたけど」
「うん。図鑑はもう書けそうだね。ただ、いま気になるのはデルアリアの動きの方です」
そう言ったルカヱルの目線は、ゆっくりと何かを追っているらしく、少しずつ動いていた。
やがて、その視線は北へと向いた。デルアリアが北に泳いでいったのか、とセタは推測した。
「ねえアイラン。今日はあなたの住んでる島に泊っても?」
「……えっ? い、いま、なんと?」
「泊っても良い? 貴方の島」
「泊る? 魔女様が?」
はあぁ、とまたアイランは嘆息した。
セタはというと、別に反対する気はないが、意図を汲みかねていた。
「ルカヱル様、いったい島で何を? 朝方まで待つ、ということですか?」
「うん。デルアリアの伝承、覚えてる?」
「え? えっと、渦を作ったり、あとは……海流を逆転させる? とかですよね」
「そう、それ」と答えるルカヱルは、じっと北の方を見つめたままだった。「……アイランのおじい様たちにも、お話を聞かせてもらおうかな」
「なにか気になることでも? 海流のことなら、国土測量局も少し調べてますよ」
「そうですか。もし必要になったら、答え合わせに使おうかな」
(答え合わせ?)
セタは首を傾げる。魔女は箒の舵を切ると、アイランの島を目指した。
*
「ただいまあ、じっちゃん」
島のアイランの家に案内されてから、最初に迎えてくれたのは白髪と白いひげの老人だった。
老いているものの、背筋がまっすぐにのびている。視線の配り方も、どこか“場数”を感じさせる鋭さや機敏さがあった。
「アイラン? 戻ったかぁ。さっきデルアリアが出よったから心配しとったぞ」
「ごめん、じっちゃん。でも、ちゃんと帰ってこれたよ、ほら」
と、アイランは豊漁の網を掲げる。
老人は網を見たが、それよりも、アイランの背後にいるセタとルカヱルのほうがずっと気になるらしく、「むう」、と唸る。
「アイラン、後ろにいらっしゃるのは誰だ? 島の住人じゃないな。外からのお客さんか」
「あ、紹介するね! こっちはセタさん、役人。あとこちらはルカヱル様。魔女様だよ、じっちゃん。本物の魔女様」
「役人に……魔女様だと?」
老人は目を見開くと、ルカヱルを見つめた。「まさか、子供のころ聞いていた魔女様に、生きているうちに会えるとは……人生、分からないものじゃなぁ」
魔女は微笑んで応じる。「こんにちは。少しお邪魔しても?」
小さな家の中には、アイランと老人しか暮らしていないらしい。セタたちが入ってから、彼らの応対をしたのもアイランと老人で、他の住人の気配はなかった。
「魔女様がこんな辺鄙な島にいらっしゃるとは……。儂はフジイ。何もない家じゃが、くつろいで行ってくれ。今日は運よく、アイランも大漁だったからな」
「うん! ルカヱル様、セタさん、よかったら食べて言ってください」
「ふふ、いや、お構いなく」
と、ルカヱルは手を低く掲げてから、話を切り出した。「それよりもフジイ、聞きたいことがある。私とセタは、竜の図鑑をつくるためにこの島に来た。――デルアリアの話を聞かせて欲しいのです」
竜の名前が魔女の口から出たことで、フジイは目を丸くした。
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