第13話

 目的地を確認するため、三名は砂浜に並んでいた。

「あ、あれです! あたしの家は、あっちの方角です。ここから見えるあの島です――タコと格闘してたせいで、こんな離れたところまで流されちゃったんだぁ」

「災難だな、君」と、セタは両手を庇にして南の方を見る。

「タコって、擬態して潜んでるんですよ。初めて行った漁場で見えてなくってぇ」

 アイランが災難の顛末をため息混じりに語る。

 さてルカヱルはというと、すでに箒に跨っていた。

「ほらほら二人とも、箒に乗って」

「あ、はい。でもアイランさんはどこに乗ってもらいます?」セタはふと尋ねる。ルカヱル、セタ、アイランの順か、ルカヱル、アイラン、セタの順だろうか。

 前者の並びだと二人に挟まれて若干気が引けるが、後者の並びもそれはそれで、アイランに掴まる必要が生まれてしまって気が引けるセタだった。

「あの、あたしにはお構いなく!穂の先っぽでも良いです!」

「無茶言わないでください」

 そんな不安定なところに乗れるわけが無いのである。

 さて、ルカヱルは予想外の回答を告げた。

「じゃあアイラン、一番前に乗る?」と。

「えっ?」「ええ?」

 アイランだけでなく、セタも驚く。箒の操縦者はルカヱルなのに、先頭をアイランにしようというのだ。

「別に動かす分には、私はどこに乗ってても良いんですよね。しいて言うなら、3人乗りするときは真ん中の方が操縦しやすいけど」

「なるほど……」

 ルカヱルの方から積極的な提案をされると、誰も却下できない。アイランは、遠慮と私欲がせめぎ合っているらしく、「いっ、良いんですかぁ?」と、再度尋ねる。

 ルカヱルが頷いて「もちろん。おいで。墜落したりしないから」と手招いた。

 結局、アイラン、ルカヱル、セタの順に箒に乗った。アイランの荷物は、一時的にルカヱルが預かってあげることになった。

「……ほんとに墜落しないですよね?」「しないよ」

 セタがルカヱルの背中と小声で言い合ったあと、ふわりと浮遊感。「わあ……」と、アイランのため息が零れた。

 それから海の上を、滑るように箒は滑空する。先刻の飛び方と違って、いくらか大人しい。アイランを乗せているからかスピードは抑え気味のようで、帆で受けた風で沖を進む船のような速さだ。

「………」

 アイランは静かに、先頭の景色を見つめていた。

「今日はなんだか、夢みたいです。さっきまで溺れて死ぬは嫌って思ってたのに、今は死んでも良いくらい」

 アイランはどうやら、熱狂的な魔女のファンだったらしい。小さな島の中で、そんな幻想めいた存在の話を聞いていたら、憧れもするかもしれないが。

 役人のセタにとって魔女は、「暇つぶしに生きる変わり者のお偉いさん」といった印象である。

「それは光栄だね。タコに殺されかけた君の一日を彩れて」と、ルカヱルは冗談めかしく言う。セタは箒の最後尾で肩を竦めた。

 島まではあと数分ほどといったところだった――が、ルカヱルは急に箒のスピードを遅くした。

 そして、やがて止まる。

「………」魔女は目を細めて、ゆっくりと一帯を見渡していた。何かを見つめているかららしい。

「……魔女様?」先頭のアイランが振り返る。

「ルカヱル様、どうしました?」セタも体を横に傾けて、ルカヱルの横顔を窺う。

「――二人とも掴まって!」

「えっ?」

 海底が爆発したかと思うほどの激しい水しぶきが上がったのは、その瞬間だった。ルカヱルは忽ち箒の柄を持ち上げ、上空へと垂直に飛び上がって。

 海面から、「何か」が水を跳ね上げて飛び上がる。クジラのような動きをしているのが。

(見えない――! いったい何が動いてるんだ!?)

 セタは急上昇する箒の上から首だけ後ろに回し、目線を限界まで向けて、海面を見続ける。

 光が屈折して、「何か」の輪郭が歪んで見える。しかし、色も、形も、目も、口も見えない。動きが速いから見えないわけではなく、小さいから見えないわけでもなく。

(透明? 透明の何かが、海中から飛び出してきた?)

 "XZAaaaaannnn!!!"

 けたたましい咆哮が海原に響くと、セタはその正体に気付いた。

「……竜? デルアリアだ、ルカヱル様!!」

「分かってるよ! マナが見えた!」

 ドリフトのように柄先と穂先を回して箒を水平に戻すと、ルカヱルは下を見つめる。水しぶきの向こうに、透明な影が潜っていくところだった。

「い、いい一体、なにがぁ……?」

 アイランは目をちかちか瞬かせていた「いま、デルアリアって……うぇ」

「うん。凪のときでも突如渦を生み、海流を逆転させるほどの力を持つ――って聞いてたけど」ルカヱルは歯を覗かせて笑う。「伝承が言っていたのは、これのことね。凄まじい」

 眼下の海には渦が発生し、中心に暗い深淵が広がっていたのである。セタは息を呑む。

「さっきまであんな静かだったのに」

「ほ、ほんとうにデルアリア? でもこんなとこ来るなんて、聞いたことないです。それに、こんな明るい時間なのに」

 アイランは海の様子と、すぐ近くにある自分の棲み処へと視線を交互に向けながら、声を震わせた。

「このままじゃ、家にもデルアリアが――」

「……」

 ルカヱルはじっと、デルアリアの作り出した渦を見ていた。

「ルカヱル様、デルアリアは透明でした。姿が見えなかったです」セタは言う。図鑑の挿絵を描くうえで、致命的な性質の持ち主だった。

 ルカヱルはというと、その事実に対して笑みを返した。

「へえ。セタには“そう”見えたのね」

「え? あ……。そっか、ルカヱル様には、デルアリアのマナが見えたんですね」

「そ。だから近づいて来るのが分かった。さてと、どうしようかな」

 ルカヱルも島の方を見る。アイランの話によれば、島の近くほど海人あまが漁をしている可能性があった。

「仕方ない。竜にちょっかいを出すのは気が引けるけど、遠ざけよう。セタ、ちゃんと掴まっててね。アイランは、私が掴んでおくから」

「でも遠ざけるって、どうやって」

 というセタの問いは上空へ置き去りにされて、箒は急降下した。

「うああまたこれか!!」

「きゃあああああっ!!」

 人間二人の叫び声も構わず、ルカヱルは隕石のような軌道で海面に近付くと、すれすれで箒の柄を起こした。海面で跳ねるような軌道で箒が飛ぶ。

 すぐさまルカヱルが渦の底を指さして「引っ掛ける」ように人差し指を動かす――その直後。

 ZXAAAAAW!!!

 海面から不明瞭な輪郭が飛び出したかと思うと、船首が水をかき分けたように波が広がり、透明な影が箒について来た。まるで銛に刺されて船に引き摺られる大魚のように。

(ルカヱル様が魔法で捕まえて引っ張ってるのか?)

 魔女の仕草に覚えがあったセタは勘付く。

 セタの靴や、アイランの網を呼び寄せた時と同じ魔法を、デルアリアに対して使ったようだ。

(でも竜なんて、そんな簡単に運べるか……!?)と、セタが訝しむのもつかの間。

「いやあ、さすがにちょっと重っ――!!」

 次第に箒の高度が下がり、穂先が海面について、セタの服に飛沫がついた。

「ル、ルカヱル様! 海面が! やば――」

 そんなセタの言葉は、水に呑まれて。

 そして、3人は水に沈んでしまった。


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