第11話

 謎の島に到着後。

 方位磁針で方角を確認し、太陽の位置で正誤を確認し、地図を見比べて、渡って来た海の方角を見て。

 それを何度も繰り返したあと、セタはうん、と頷いた。ルカヱルの方を見ると、彼女は湿った砂浜に開いた小さな穴から貝を掘り出す作業をしていた。

「ルカヱル様、分かりました」

「そう? 良かった。ここどこ?」

「地図に載ってないです。名前もないです」

「ええ、またなの……」

と、ルカヱルは頭を掻いた。前にヒシカリ地方にいったときも、地図に載っていない秘境に降り立ったのだ。

「まあ、地図に載ってないのは国土測量局の不手際ですが……。きっと竜の伝承のせいで、測量自体してないんでしょう。大人数が定住してる場所なら把握してるはずですが、ここについては不明です」

「じゃあ、誰かに話を聞くこともできないね……釣りでもしようかな。釣竿ありますよ」

 ルカヱルは言う。砂浜で波が寄せては返す場所で、指の間をすり抜ける砂がもたらす独特の感触の中に足を休ませながら。

「まあ、定住者がいないだけで、漁場になってる可能性はありますから。少し見てきます」

「あ、私も行くよ。その方が、釣りよりも楽しそうです」

 すでに袖の下から半分引っ張り出していた釣竿を、また袖の下に戻すルカヱル。暇つぶしに関するグッズは、枚挙に暇がないほど隠し持っているようだ。

 それから、砂浜にそって二人は海岸線を歩いた。改めて歩くと、島がどれくらい大きいのか不明だった。

「この際、もう一回飛んだ方が早いかもしれませんね」

「えー、飛ぶの?」魔女は唇を尖らせた。

「だめですか?」

「もうちょっと砂浜歩きたい。久しぶりに来たのに」

と言う彼女は、さっきからずっと波がくるぶしくらいまで寄せる位置を選んで歩いているようだ。

「……まあ、ルカヱル様がそう言うなら良いですよ。歩いていきましょうか」

 セタとしては仕事で来ているので、可能な限り早く終わらせなければという考えもあったが、ルカヱルの方は半ばバカンス気分らしい。

(ルカヱル様に手伝ってもらってるプロジェクトだから、強く文句は言いにくいんだよな……俺だって命じられただけで、急いでるわけじゃないし)

 セタは次第に、どうせルカヱルの気分に仕事が律速りっそくされるなら、自分一人で張り切っても意味が無いと考え始めた。例えるなら、これはきっと、馬の放牧のようなものだ。仕事を早く進める以外のアイデアでも考えようと、頭を切り替える。

「ルカヱル様、デルアリアの伝承の中に“時間”の話とかはありますか? フルミーネの夜みたいな。活動時間を絞れるかもしれないです」

「んーん。明確には聞いたことないよ。でも……」

 ルカヱルは、海の方を見て足を止めた。セタも足を止めて、彼女の話の続きを待つ。

「漁って、未明か早朝にやるイメージがある。漁を見合わせるっていう伝承があるってことは……」

「――デルアリアの活動時間帯は、深夜から朝方ってことですか?」

「多分」

とルカヱルは頷き返す。

 セタはもう一度、太陽を見上げた。高いところから燦燦と輝き、地面の影はとても短い。

「疑問なんですけど、デルアリアが朝方まで活発なら、昼間とか夕方に漁に出れば良い、って話にならないですか?」

「それ昔、私も思って聞いたことあるけど、魚って夜と朝が活発らしいよ。真昼間は漁が難しいのかも。現に、今日の移動中は一隻も漁船が無かったし、費用対効果が低いのかもね」

「へええ……なるほど」

 竜も何も関係のない、単なる豆知識に、セタは感心する。やはり長生きしているだけあって、魔女は普通の人間の生活の知恵もかなり知っているようだ。

「あ? じゃあ、もしかして今は釣りできないかも……」

と、ルカヱルは急に変なところに心配を寄せた。魔法でどうとでも解決できそうな問題に頭を悩ませているところが、まさしく遊びに生きる魔女という感じだった。

「やっぱり、誰かに話を聞きたいですね。この島、民家とかあるかな?」

「まあ、また砂浜を歩くのに飽きたら飛びましょうか?」

と、セタが気長な提案をしつつ、ルカヱルの方を振り返ると。

 海面から、何かが覗いていた。頭だった。セタは声を失うほど驚く。さらに少しずつ、影は姿を現して――頭部がタコのような形態で、体が人間という異形の生物が、ルカヱルに迫る。

 その手には三又の槍が握られていて、眩い陽光のもとで、ちかちかと金属反射を呈した。

「……!? る、るる、ルカヱル様!! 後ろ後ろー!! 後ろ見て!!」

 戦慄したセタが声を上げる。

「えっ、後ろがなに?」

 ルカヱルは指摘された方へ振り返った。

 そして、水が滴る怪しい影が視界に入る。

 その触覚の垂れた頭部から不気味な呻き声が聞こえると、魔女は、さっと顔を青くした。

「にゃあああっ!!?」と、かなり滑稽な声を上げて魔女は尻餅をつき、ローブが袖まで水に濡れてしまう。

「きゃあああっ!!?」と、異形の影も悲鳴を上げて尻餅をつき、盛大に水しぶきを上げたのだった。

 ――その拍子に、謎の生物の頭にくっ付いていたタコが剥がれて海面に落ち、すいー、と海の向こうへ姿を暗ます。結果として、そこに残ったのは普通の人間だった。彼女は息を切らしながら、涙目で、セタとルカヱルを交互に見ている。

「……」

「……」

「……」

 三者が「何が起こっているのかさっぱり分からない」といった面持ちで沈黙し、しばらく、波の心地の良い音だけが緩慢に響いていた。

 ようやくセタは我に返り、とりあえず重要人物の安否を確認することにした。

「はっ……る、ルカヱル様、大丈夫ですか?」

「は、はい……」

 しおらしい様子で魔女は頷く。

 一方、それと対峙していたタコに似た人型の化け物――もとい、少女は「はっ!」と声を上げた。

「あ、貴方たち、だれ!? どうしてこの漁場に? 船も無いのに、どこから来たの……!?」

 長柄の得物を浜について、ふらふらとしながら立ち上がる。服装は特徴的で、とても“服”とは言えない。いわゆる水着だ。手に持っていた槍も、よく見ればもりだった。

 船を使わない彼女は、いわゆる“海人あま”と呼ばれる類の漁師らしい、とセタは察した。褐色の肌を見るに、日常的に漁に出ているようだが、どうやら船を出さずに己が体一つで海に漁に出ているらしい。

(この人もしかして、この辺の住民か?)と、セタは勘付いた。近くに定住していなければ、そんな漁は不可能だろう。

「俺はセタ、役人です。こっちはルカヱル様。魔女様です。その、俺たちは竜の調査に――」

「役人? “るかえるさま”……?」

 セタの話の途中で目を細めたかと思えば、すぐに目を見開いた。

「る、“ルカヱル”様!? えっ、あの魔女の……! 本当に?」

「うん、本当よ」

 ルカヱルは頷きつつ、立ち上がる――と同時に蒸気が立ち上り、ローブは瞬く間に乾いた。

「私はルカヱル。こんな遠い島でも知られていて、うれしいよ」

「……!!」

 魔女が起こした分かりやすい超常現象を目の当たりにして、少女は呆然と立ち尽くし、髪の先から海水が静かに滴った。


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