第10話

 東方の島には“乱流デルアリア”の伝承がある。

 曰くデルアリアはつねに海に生きる竜であり、ときに穏やかな凪の中に突如として渦を生み出すことも、海流を逆転させるほどの流れを伴って泳ぐとも伝わる。

 デルアリアは実に直接的な災害をもたらす存在と謳われていて、その竜が近くにいるときは海が荒れ、潮も読めなくなるため、漁に出ることはできない。

 だからこそ我々は、東の海に出るなら、天気よりもデルアリアの機嫌を知るべきだ。

 というのは、現地の漁師の鉄則だそう。



「気になったんですが、これまでルカヱル様は、どうやって竜の伝承を集めたんですか?」

 セタの質問に、魔女は1秒ほど答えを探す時間を要した。

「長く生きてたおかげですかね。集めようと思ったわけじゃなくて、いろんなところで、いろんな話を聞いてきたから。違う場所で同じ話をふと聞いたりね」

「じゃあ、あまり意識していたわけじゃない、と?」

「うん。それに結構根無し草の時もあったし、長いことあちこちウロウロしてたんですから。ジパングにたどり着いたのは、ここ二、三百年のことだよ」

 てっきり、ずっと同じ家にいると思っていたセタだったが、考えても見れば、魔女は優に千年を超える寿命があって、ずっと同じ場所にいるとは限らない。まさしく、竜と同じように。

「これからは、もうどこかに移動しないんですか?」と、セタは問う。

「どうだろう。どこかで面白いことがあったら、移動するかも」

 ルカヱルは言う。徹頭徹尾、暇潰し至上主義らしい。

「さて、今回は前のフルミーネみたいに簡単にはいかないよ。探すのは海。しかも、東の島一帯ですからね」

「分かりました。準備はできてます」と言って、セタはバックパックを背負い直す。「ルカヱル様、一応バッジを持っておいてください。まあ、貴女はなんでも顔パスで通るとは思いますが」

 そもそも、大陸から離れた東の島という辺境の地でもバッジが効果を発揮するかは微妙だった。

「ふふっ、でも私、このバッジお気に入りだから。持っておくよ」

と言って、ルカヱルは宝物おきにいりを入れる試験官をどこからともなく取り出した。その小瓶の中で、艶やかにバッジが光る。

「行きましょうか。今日も箒でね」

「箒で海を渡るんですか?」

「うん。あ、今日は落ちても水だから大丈夫かも、ふふっ」とルカヱルは笑ったが、セタは笑えない。

 一方で、少し気になることがあった。魔女は寿命が長いというのは有名だったが、「死ににくい」のだろうかと。高いところから落ちたり、おぼれても大丈夫なのだろうか――

(でも昔、“神話の竜”が出たときは魔女が一人死んだって言ってたはず。じゃあ、死ぬこともあるんだよな……?)

 ところが、そんな質問しにくいことを口にできるはずもなく、二人は家の外に出る。

「じゃ、行くよ!」

 魔女の合図とともに、箒が飛び上がり、今日は東へ向かって進みだした。


 箒の速度で進むと、すぐに地上が無くなり、一面の水面が姿を現す。水平線の彼方で快晴の陽光が反射されて、白く輝いた。

 あまり海になじみがないセタにとって、絶好の日和で飛行する大海原は絶句するほどの感動を与えるものだった。

(けど、この光景はどうあがいても木炭だけでスケッチできそうにないな……)

 輪郭ではなく、色彩とコントラストこそが海の真骨頂らしい。空と海を隔てる線一本しか、この視界にデッサンできるものは無かった。そのうえ、海上では地図も役に立たない。セタは今日、ガイド役もできなさそうだった。

 一方で、ルカヱルの方はとても楽しそうだ。

「相変わらず、海は最高ですねぇー! ここには鉱石と植物がないので、世界が良く見えるの!」

「ああ、なるほど……」

 セタは腑に落ちて頷いた。海の上では、セタとルカヱルの目に映っている景色は同じなのだ。

(確か、鉱石と植物のマナは煙みたいなもの……、って言ってたか)

 金と鉄鉱石のマナは違うとルカヱルの発言からさらに察するに、世界が色とりどりの煙で覆われたような状態なのかもしれない、とセタは思った。なるほど、なかなか、それは鬱陶しい。

「あ、そうだ」

 何かを思いついたらしく、ルカヱルはすこしトーンの高い声色で呟いた。

 そして、箒は高度を下げていく。水面が近づいて来る。すぐそこまで近づく。セタは反射的に自分の膝を曲げて海面から足を遠ざけ、魔女は逆に、つま先を水面に近付けた。彼女の指が水面に触れた瞬間、魔女の足先の爪が海面をまるで紙のように裂いて、白い水しぶきが上がる。

「きもちー!!」

「うん……。やっぱりどうもこの人、スピード出すと性格変わるらしい」

「セタもどう! 冷たくて気持ちいよー!」

「いや、俺は靴履いてるんで――あっ、というか、ルカヱル様はいつの間に靴を脱いだんですか?」

 普段はサイズの大きな革製のロングブーツを着ているのだが、消えていた。

 しかし魔法が使える魔女に不思議な現象の理由を聞いても無意味らしく、「さあー?」などという適当な返事がなされた。ともかくルカヱルの足は裸足だった。

「もー、しょうがないですねぇ」とルカヱル。

 魔女はセタの靴を目掛けて指さし、何かに「引っ掛けた」ように人差し指を動かして、それを素早く引いた――すると、セタの足から靴が消えたのである。

「あっ?」セタは声を上げて、足を見た。素足になっている。

「ほら、脱がせてあげましたよ! セタもどうぞ!」

「――ははっ、やれやれ。あとで返してくださいね」

 魔女の参画する竜の図鑑編纂プロジェクトの助手としてあたっていたはずだったが、今の状況に限って言えば、子守りをしているような気分のセタだった。

 セタが足を下ろすと、海面がめくりあがり、足の甲を冷たい水が這って、背後に白いしぶきを上げていく。これは確かに気持ちいいと、素直に彼は思った。

 それから海の上すれすれを飛行し続けること小一時間。二人の前に次の地平が見えると、ルカヱルは箒のスピードを徐々に緩める。

(今日は地図が読めなかったけど、ここが伝承の地なのか)

 セタはそう思いつつ、砂浜を見つめる。すぐ近くに人気ひとけはなさそうだった。

「あ、伝承の地って、この辺で合ってるかな?」と、ルカヱルはふと疑問調の声色で零す。

「……えっ、まさか適当に飛んでたんですか?」

「まあまあ、いったん降りてみよう」

 ルカヱルはそう言って、まもなく砂浜に着地した。


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