デルアリア
第9話
フルミーネの図鑑頁を仕上げたセタとルカヱルは、一度それを「サンプル」として提出することにした。提出先は、セタに挿絵をアサインした役人トーエである。
セタがサンプルを提出する、という旨を伝えると、トーエは目を見開いた。
「もう一枚できたのか、昨日の今日で」
「はい。時間ありますか? 確認してほしくて」
トーエは快く頷いた。「良いぜ。ちょうど、お前さんに伝えておきたいこともあったしな」
彼は席から立つと、セタを連れて会議室へと向かった。入るや否や、席に座る前に「じゃあ、絵を見せてくれ」と彼は言う。
「どうぞ」
と、セタは紙を3枚手渡した。うち1枚はルカヱルが書いた竜のキャプションだったが、残り2枚は竜フルミーネの全身像と、ヒレや顔などのアップだった。
トーエは一目見て口角を上げて、「さすが……」と呟いた。
「どうでしょうか?」
「かなり良いんじゃねえか? この緻密なスケッチはさすがの手前って感じだな、セタ」
「は、はは……」
と、セタは語尾を濁すような笑いを返す。
「それにしても、最初が“フルミーネ”とはな。俺は人生で1度しか聞いたことのない竜だよ。こんな嘘みたいな竜、本当にいたんだな。エダには竜がいないから真偽を知る奴もいないしな……」
ただし、「竜の伝承がほとんど知られていない」=「竜の災害がない」という意味になる。安全なエダの地に役人の機関が集結しているのは、そういった事情があった。
トーエは、もう一枚のルカヱルの執筆にも目を通す。
「ルカヱル様のキャプションも良さそうだ。竜がいつ現れ、どんな動きをするのか想像できる。これくらいの字数なら、印刷も問題ないだろ」
「絵は印刷できそうですか?」とセタは一応聞く。トーエは一瞬セタを窺うと、絵の方に視線を移した。
「担当者にも確認するが、印刷技術の向上のおかげで絵の印刷も正確になってるからな。ステンシルってやつさ。お前さんも良くご存じの」
「ステンシルは知ってますけど……」と、セタは語尾を曖昧に濁して応じる。
ステンシルは、薄い金属板で作られた金型のようなものだが、セタがステンシルを知っているのは、かつて使ったことがあるからだ。
「この絵を書き写して、出版するんですか?」
半ば話を逸らすつもりでセタは尋ねる。自分の作った挿絵が載った図鑑が市民に流布されることになるのだろうか。
トーエは肩を竦めた。「各要所で竜図鑑を持てるよう、原本のレプリカは作る予定だ。それで防災体制を強化しようってことさ。ただ一般にまで回るほど出版するかは微妙だ――かなり高価な出版物になるだろうからな」
「なるほど。まあ、ですよね」
「で、今日はお前さんに話があるんだ。基本的にルカヱル様とお前には、世界に棲息する竜全般についての図鑑を作成してほしい。さらに前に言ったように、このプロジェクトは周辺国を通して、世界全体で進められていく」
「つまり、他の魔女様たちも動いているってことですよね」
「ああ。だが、ジパングから離れる前に、プロジェクトの一拠点であるエダにいったん情報を集約して欲しい。理由は、“バックアップ”を保存するためだ」
「バックアップを保存? ……って、どういう意味ですか?」
「大きな声ではっきりと言いにくいが……、お前さん相手だから、もうズバッと言っておくぜ」
トーエはセタに顔を近づけて声を潜める。
「お前さんとルカヱル様が、竜の攻撃で旅路半ばで力尽きた時、図鑑情報だけでもこの世に残すためだ」
「……なる、ほど……」
と、ぎこちなくセタは答えた。
フルミーネの“観察”の体験に基づくと、ルカヱルはともかく、自分が息絶える可能性は割とありそうで困った。
しかしトーエは、ふっと頬を緩める。
「ま、そこまで深刻に考えなくて良いとは思うがな。気休めを言う気はないが、ルカヱル様のことだ。お前さん一人を守るくらい、造作もない。お前さんは竜の観察に努めな」
「わ、分かりました。遺作にならないよう気を付けます」
「くくっ、おもしれーな、それ」とトーエは冗談を鼻で笑い飛ばす。「ただ、この件はお前さんのような特殊な人材は必須だ……観察力と描画技術、そして身軽さと度胸。それらを兼ね備えてる。本件でお前さんを無下に使い捨てる意図は全くない。そこで」
トーエはバッジを2つ、セタの前に置いた。簡単には複製できそうもない凝った意匠の赤いバッジだった。小さなものだが、芸術品としての側面も兼ね備えていた。
「これは?」セタは顔を上げる。
「身分証だ。お前さんとルカヱル様のな。素材と模様は指定してある」
「身分証?」
手に取ってみると、思いの外軽い。塗料の下は、どうやら木材か何からしい。
「なんのために?」
「お前さんはこれから、世界を旅する。その際、竜の図鑑編纂プロジェクトの重要人物であることを証明するためのものだ。もし役所にこれが提示されたら、国境を検閲なく通し、滞在中は待遇に気を遣い、丁重に扱うようにとな」
そう聞くと、一気にバッジが貴重なものに見えた。
「一応、お前さんの顔も一緒に伝えてある。バッジが無くても話は通じるとは思うがな」とトーエは続ける。
「でも良いんですか? 俺みたいなものが、そんな待遇で」
「まあ報酬の一環とでも思いな。それと、お前さん向けと言うより、全てルカヱル様のためのVIP待遇だと思っておきな。あまり手厚く扱われると、俺やお前みたいな一般人はすぐ調子を狂わされるからな――おまけにあやかる、くらいのスタンスでいっとけ」
とつげてから、トーエは挿絵のデッサンをかかげる。
「このフルミーネの情報はいったん預かっておく。さっきも言ったように、バックアップを取るときも改めて戻って来て、俺に図を渡してくれ。レプリカを作ったら、
「いえ、一応ルカヱル様の手持ちの手帳にも同じ情報を書き写してるので、大丈夫です。保存しておいてください」
「分かった」と頷いて、トーエは立ち上がる。これで話は終わりか、とセタは判断して一緒に席を立った。
その途端、トーエに肩を叩かれた。
「今後も期待してるぜ、幽霊画家」
その名で呼ぶな、とセタが目で抗議すると、トーエは可笑しそうに笑った。
――という話を次の日、セタはルカヱルに伝えた。
「ふふーん、こりゃ良いですね」と、ルカヱルはバッジが気に入ったらしく、どこかに付けるでもなく、しばらく見つめていた。
「しばらくはジパング周辺の竜の図鑑情報集めになるだろうけど、ここを出たら使いどころがありそう」
「ジパング周辺の竜ですか……。ちなみになんですが、ルカヱル様が伝承を知ってるジパングの竜はどれくらいいるんですか?」
「伝承が世界に普遍的に知られている竜を除けば、とりあえず3体くらいです。ジパングを出る前に、その固有種数体の情報は整理しないとね」
固有種の情報が優先される理由は明らかだ。固有種ほど異国では生態が知られておらず、生息域を移動した際の被害が大きくなる可能性が高いからだ。
「なるほど。……ちなみに、次はどこへ?」
「海にいる竜にしよう。最近暑いからね」
「それまさか、選んだ理由ですか?」
「乱流“デルアリア”。東の島の海辺に伝わる伝承です――箒で海を渡るので、天気の良い日にしよう。海で遊べないし」
「そうですね。海が荒れると危険ですし」
「よし、方針は一致したね」
一致してるか微妙だったが、セタは「まあもう良いか」というような境地で頷いた。結局のところ、ルカヱルの至上目的は暇潰しなので、多少面白いことが見込めないとモチベーションに繋がらないようだ。
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