第8話
「おわああっ!!」
風を切り、夜の山肌すれすれを魔女は滑空する。眩い光を放つフルミーネが瓦礫と砂塵を巻き上げながら地表を泳ぐ。「ち、近すぎる……!!」セタは顔を青くする。
「顔はもっと向こうね!」
ルカヱルが体を前屈させると、疾風のように箒が加速し、フルミーネを追い上げていく。近寄れば近寄るほど、暗闇の砂塵に混ざり、頭にぶつかれば大けがをしそうなほど大きな石も飛び散ってくる。
しかし石は二人の近くまで飛んでくると、当たる寸前で、跳ね返されたような軌道でどこかへと逸れた。
(ルカヱル様が魔法で守ってくれてるのか?)
――と思ったが、実際には箒が纏う“豪風”によって、重い石すら物理的に弾かれるだけだった。その証拠に箒が地面に近付くと、地面がえぐれて溝を刻んでいく。
「きーもちぃー!! 地表すれすれで飛ばすの久々ぁ!」
「とんだスピード狂じゃないかよ、この人! 落ち着いてください!」
QRAAAxxxx!!!!
竜の咆哮がつんざく。
声が大きく聞こえた。しかし声が大きくなったのではなく、セタたちのほうが「喉」に近付いたのだ。
咆哮がやまびことなり、山間を何往復も響き渡り、セタが耳も塞げずにいた時。
いっそう眩しい光が視界を塗りつぶした。
“ごうっ”と音を立ててセタたちの傍を大きく平たい何かが掠める。「おっと危な!」とルカヱルが箒の穂先を切って、それを避けた。
「今の何ですか、ヒレ?」
「さあね私にはさっぱりです、マナ濃度が高すぎて形分かんなくって!」ルカヱルは声を張って、背後のセタに答える。
セタに一瞬見えたのは、魚のヒレか、結ぶ前の帯のような平たい構造物だった。
それも、顔の方から髭のように伸びている。
「ルカヱル様、このヒレは頭の方に続いてるかも!」
「ははっ、まんまお魚みたいな感じね」
楽しそうに笑いながら、ルカヱルは暴れ狂う長いヒレを避けてその先へと向かう。ルカヱルのよけ方は「予知」に近い精度だった。光の中から襲い来る竜の猛攻を的確に避ける魔女の手際に、セタは驚く。
(そうか――形じゃなくてマナを見てるから、俺よりもヒレに気付くのが早いんだ)
やがて、ヒレの「付け根」を二人は通り過ぎる。風を切る音が背後へと遠ざかって、そして、いっそう眩い光を放つ構造が目に入った。「口」だ。
「――ここ!」
「顔……!」
セタは目を細め、光の中でピントを合わすと、まるで太陽の輪郭を探して陽光を見つめているようで。
暗闇ではなく光の中を手探りで見つめ、そうしてセタは、竜と目があったのだ。
「……!!」セタは息を呑む。
QRAAAxxxx!!!!
「おっと、さすがにやばい!」
慌ててルカヱルが顔から離れる。
すぐにフルミーネはウロコを逆立て、頭を地面に向けてうねり、回転し、地面の奥へ、奥へと潜っていった。
土の下に金の光が埋もれ、一帯があっという間に暗くなる。最後に尻尾の先が地面の下へと消えると、山間は再び夜に包まれた。
「………」「………」
セタはちかちかとする視界を、瞬きで回復するまで数秒を要した。生理的反射で閉ざされた瞳孔が夜闇に対応するまで、およそ1分。
一方、ルカヱルは目を爛々とさせて、顔を紅潮させていた。
「はあー、楽しかったぁ。セタ、顔は見えた? もう私、光の中を泳いでるみたいで見た目のことはさっぱりでした。さすが竜。マナの塊」
「……はい、見えました」
文字通り網膜に焼き付いた金の竜の姿は、脳裏のフィルムにもはっきり記憶されていた。
一言で言えば、“フルミーネは美しい”。
そして、二言めは必要ない。
誰もが伝承のせいで近寄らず、誰もが全貌を知らずにいるのが実にもったいない。セタはそう思った。
「目が潰れるかと思いましたけど……」セタは目を瞬く。
「うん。多分、普通の人だったら失明してたかもね。でも君は私があらかじめ“対策”を打っておいたから、問題なさそうだね」
ルカヱルは箒の上で振り返り、セタと目を合わせて、いたずらっぽく微笑む。セタは「対策」の意味が分からず首を傾げる。
「もしかして、何か魔法を使って守ってくれてたのですか?」
「今朝、君と一緒に呑んだハーブティーだよ。あれに、ちょっとだけ魔法をかけてたから」
「……なんだ、やっぱり
「ほんのちょっとだけだよ。それにいきなりこの旅が挫けたらつまらないし、保険みたいなものです。ね、怒らないで?」
ルカヱルは白い歯を覗かせて、小首をかしげる。
「まあ別に怒っていませんから。それに……」暗い山肌を見下ろして、セタは頬を緩めた。「目が良くなったおかげで、俺は良いものが見れましたよ」
「良いもの? フルミーネの顔?」
「ええ。今度、絵に描きます。俺が図鑑の挿絵担当ですからね」
「どんな顔でしたか? わたし気になる」と興味津々のルカヱル。
魔女の視界では、竜は動くマナの塊として見えないのだ。よって同じ竜を見ていてもセタとは抱く印象も違う。
「綺麗でした」とセタ。
「どれくらい?」
厄介な魔女の
それから。
二人は魔女の家まで戻って来た。ルカヱルはキャプションを考え、セタは挿絵を仕上げる。
図鑑に載せる絵だから、尾、ヒレ、頭部から推定される全身像の挿絵と、顔のアップの二枚をセタは描く。
一方で、ルカヱルはこれまで「黄金」と端的に伝承されていたフルミーネに対し「錬金の竜」という呼び名を与え、土を金属の鱗に変換し、逆立てた硬い鱗で土を掘り進む生態に言及した。
ただし、伝承の地の詳細は伏せ、ヒシカリの秘境のことを敢えて図鑑に記さないことにした。
さっさとひと仕事を終えたルカヱルが袖の下から“じゃらじゃら”とドロップ缶の音を立てて取り出したものを見て、セタは目を丸くする。
「ルカヱル様、それ、まさか……」
「ええ、フルミーネの鱗。実は一枚だけ、キャッチしたのです」
あんな猛スピードの箒に乗っていたのにいつの間に、とセタは驚いた。
「これをちゃんと調べれば、フルミーネの生態に関する仮説を根拠づけられるよね。まあ、また後で良いと思うけど」
ルカヱルは机の上に立てかけられたガラス瓶のふたを取り、その金の鱗を瓶の口に近付けた。すると、サイズ的に入らないはずの鱗がするりと瓶の中に収納され、小さくなった金塊が瓶の中で輝いた。
(ほんとに魔女様の魔法ってすごいな……)
改めて目の当たりにすると、感心させられるセタだった。どれだけ手先が器用でも記憶力が良くても、魔法のように物理法則を覆すほどの事象を起こすのは、当然不可能だ。
宝物を仕舞ったルカヱルは、したり顔のままセタに向きなおる。
「さてセタ。絵は描けた? 私はそれが気になって気になって仕方ない」
「それは光栄ですね」
「見せて!」
促されて、セタは絵を差し出す。
魔女の指定通り、ラフスケッチは木炭だった。だから、モノクロである。
「え……綺麗」
そんな感想が口から溢れたのが聞こえて、それ以上、魔女は語彙を忘れたようにしばらく何も言わなかったので、セタは「フルミーネを正しく書き写せた」と実感したそうだ。
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