15. 起死回生のノーヒットノーラン?

「で、何をしたの?」

「簡単さ。カラオケに連れて行った」


「カラオケ? それだけ?」

「それだけだけど?」


「全然、ID野球関係ないじゃん!」

 盛大に突っ込む僕に、2020年の叔父さんは、首を横に振るのだった。

「まあ、見てろ」

 そう言って、回想するのだが、そのドヤ顔を辞めてほしい、と僕は願っていた。



 2000年4月。

 俺は、潜水艦のように、海中深くに沈んだまま浮かんでこない、ネガティブ里美を連れて、カラオケに向かった。


 カラオケボックス自体は、今も昔ももちろん、都内には一杯ある。

 別に場所はどこでも良かった。


 ただ、出来れば「採点ができる機械がある方がいい」と思い、渋谷センター街にある、一軒のカラオケボックスに彼女を連れて行った。

 そこのカウンターで聞くと、採点機能はついていることがわかった。


「よし、行くぞ」

「はいはい」

 いまいち、いや全然やる気が感じられない彼女を連れて、ボックスに入る。


 里美は、注文はもちろん、歌詞コードが書いてある本すら手に取らず、マイクも持たず、ただソファーの背もたれに身を預けて、タバコを吸っていた。

 ダメだ。このお嬢ちゃんは。


 仕方がない。ここは一つ、俺が一肌脱いでやるか、とマイクを取り、入れた曲。


 福山雅治の「HELLO」だった。確か1995年頃の歌でドラマ「最高の片思い」の主題歌だったはずだ。


 俺は、一生懸命歌ったさ。下手ながらも、一応は「渋い声」と言われることもあったから、福山を真似て。


 だが、

「下手。顔が似てないのはしょうがないけど、歌も全然似てない」

 歌い終ったらばっさりと、里美に斬られていた。

 どうも、ネガティブな時は、容赦ないな、こいつは。


 そう思いながらも、悔しいから、彼女に声をかけた。

「じゃあ、お前も何か歌え」

 と。


 それも一応は作戦のうちだったが、どうも彼女はやる気が出ないのか、マイクに近づこうともしない。


 仕方がないなあ、もう。

 ネガティブな彼女を元気づけるために、ポジティブな曲。いや、それじゃ単純すぎるか。

 ネガティブなんだけど、ポジティブ。いや、ポジティブな中にもネガティブな曲を選ぼう。


 と、本をぱらぱらとめくって、「さ行」のところで、止まった。


 これだ!


 高橋洋子 「残酷な天使のテーゼ」。同じく1995年。世に一大「エヴァンゲリオン」ムーブメントを起こした、名曲中の名曲。


 そして、歌はテンションが高いが、作品は、ネガティブ。



「いや。子供騙しじゃん。そんなの効くわけないでしょ、双極性障害でしょ」

 2020年の僕が、盛大に突っ込むが、叔父さんは、ドヤ顔のまま笑っていた。

「そう思うだろ? ところがな」



―残酷な天使のテーゼ 窓辺からやがて飛び立つ―


―ほとばしる熱いパトスで 思い出を裏切るなら―


―この宇宙そらを抱いて輝く 少年よ神話になれ―


              『高橋洋子』 『残酷な天使のテーゼ』より引用


 歌っていた。まるで操り人形のように、突如、この曲のイントロが流れた後、何か見えない力に誘導されるかのように、里美はマイクを握り、そして歌い始めた。


 しかも、その歌唱力は絶大で、俺は途中から自分の下手な歌を聞くのも憚られ、マイクを置いて、彼女の歌声に聞き入った。


 まだ暑苦しいパーカーのフードは脱いでいなかったが、フードの下から垣間見える瞳が、爛々と輝いているように見えた。


 そして、


「99点! マジで!」

 俺は、採点機が示した点数に、驚愕していた。こんな点数は見たことがなかった。所詮、機械だから「上手く」、つまり「それっぽく」歌えば、この採点機の点数は上がるのだろうが、それでも上手いことには違いがないのだ、きっと。


 と、拡大解釈をした俺に対し、彼女は、その後、俺が頼みもしないのに、勝手に歌い始めた。


 スピッツ 「ロビンソン」(1995年4月5日リリース)

 サザンオールスターズ 「TSUNAMI」(2000年1月26日リリース)

 倉木麻衣 「Love,Day After Tomorrow」(1999年12月8日リリース)

 宇多田ヒカル 「First Love」(1999年3月10日リリース)

 安室奈美恵 「CAN YOU CELEBRATE?」(1997年2月19日リリース)

  

 などなど。

 女の歌だけでなく、男の歌まで難なく歌いこなしていた。


 まるで「魂が入った」かのように、彼女は無心でそれから1時間以上は歌い続けていた。


 そして、最後に歌った曲が、とても印象に残ることになる。


 その曲とは。


 林原めぐみの「Give a reason」(1996年4月24日リリース)だった。


 当時は、今のようにアニソンがたくさん溢れているわけではなかったし、そもそもアニメオタクが理解されなかった時代だ。

 だが、アニソンとはいえ、この曲は名曲と言われた曲だった。しかも、その名曲の歌詞が、まさに今の彼女の「在りよう」を体現しているように思えたのが、印象に残ったのだ。


―傷つく事は怖くない だけどけして強くない―


―ただ何もしないままで 悔んだりはしたくない―


―Here! we go! go! 走り続ける―


―誰にも止められはしない―


―未来への自分へと―


―give a reason for life 届けたい―


                 『林原めぐみ』 『Give a reason』より引用

 

 そして、いつしかずっと聞き役に回っていた俺に対し、いつの間にかパーカーのフードを脱いでいた彼女は、ようやく笑顔を見せたのだった。


「やっぱ歌って、楽しいね!」

 と。


 方法はともかく、こうして、彼女の「鬱」状態を脱することに成功した俺は、その後、彼女とレストランに入り、食事を摂ることになった。

 ただの安い大衆的なイタリアンレストランだったが、その席上、彼女はギターを大事そうに抱えて、呟くように言った。


「これからどうしようかな」

 と。


 それは自分自身に対する問いでもあり、同時にきっと俺に対してもぶつけていたのだろう。


 しかし、俺の回答はすでに決まっていた。

「アメリカに行け。それ以外ないだろ?」

「やたらアメリカに行かせたがるねえ。マーシーは、そんなに私と離れたいの?」


「違うよ。お前みたいな才能がある奴には、この日本は狭すぎるんだ。さっさとアメリカに行って、成功して帰ってこい」

 その言い方が、乱暴すぎたためか。彼女は拗ねたように顔を背けて、


「わかってるよう……」

 と言ったきり、黙ってしまった。


 勘違いかもしれんが、どうもこの女の中で「アメリカに行く」という出来事で、複雑な感情が渦巻いているように見えていたが。この女は、そんなにアメリカに行きたくないのだろうか。



「ちょっと待って、叔父さん」

「何だ?」

 再び2020年に戻る。


「どこが『複雑な感情』なの? 叔父さんのことが好きだから、離れたくないってわからない?」

「いや、それは違うだろ。どっちかというと『アメリカに行っても、野茂みたいに活躍できないし、ノーヒットノーランもできそうにない』って心配してんだろ」


「野茂関係ないから! あと、音楽でどうやってノーヒットノーランするの!」

「例えだろ。そんなに向きになるな」


「わかりづらいよ!」

 ああ、もうこの人は、面倒臭い、と僕は改めて思うのだった。


「ちなみに、野茂が1回目のノーヒットノーランをしたのは、1996年9月17日、ロサンゼルス・ドジャースにいた時。対コロラド・ロッキーズ戦で……」

「野茂の話はいいから! さっさと続き!」


「はいはい」

 だんだん、僕も叔父さんの「いなし方」がわかるようになってきている。そんな自分に嫌気が差していた。



 再び2000年4月。

「とりあえず、アメリカには行くけど、最後に見送りに来て」

「ああ、まあ。いいけど」

 レストラン内で、イタリア料理を食べながら、俺と彼女は、そんな「近い将来」のことについて、話すのだった。


 そして、実際の日取りが決まる。


 2000年4月29日(日)。世の中が、ゴールデンウィークという長期休暇に入る最初の1日目。

 事件は起こったのだ。

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