14. ネガティブ里美

「すごいな、叔父さん。歌まで歌えるなんて、ハイスペックだね」

 僕の一言に、しかし叔父さんは一瞬だが、顔を顰めた。


「ハイスペックねえ。そんなんじゃねえよ。たまたまカラオケでよく歌う歌だったから、歌いやすかっただけだ」

 否定はしていたが、きっと叔父さんは楽しかったのだろう。

 そして、それは「里美さんが」一緒だからで、叔父さん一人で歌っても、盛り上がるはずもないし、楽しくもなかっただろう。


 人生の不思議さを感じると共に、僕は叔父さんと里美さんのことをもっと知りたくなっていた。


 だが、やはり今回も時間切れだった。


「もう帰れ」

 夜遅い時間になり、追い立てられるように僕は叔父さんの家を出た。


 そして、その次が僕が叔父さんからこの話を聞く、最後の機会になるのだった。


 

 1週間後の8月29日(土)。またも、叔父さんが休みの日を狙って、僕は柏市に出かけた。今回は父や母ではなく、苦手な美桜という姉から預かった土産を持参していた。千葉県産の、ピーナッツだった。


 ピーナッツといえば、千葉県では有名なのだが、実は最近は安い中国産が多い。つまり、このピーナッツはある意味、高級品でもあった。姉の美桜はOLをしているが、そんなに儲かっているとは思えないのに、不思議だった。


 ただ、酒を飲むことが多いだろう叔父さんには、恐らく「酒の肴」にちょうどいいと思ったのだろう。


 そして、やっぱり予想通り、叔父さんは「だらしなかった」。


「おう、また来たのか?」

 相変わらず声だけ聴くと、声優のようにイケボなのだが、容姿だけはまるでホームレスに見えてもおかしくないくらい、汚い。

 これを直せばモテるのかもしれないが、叔父さんは長年、一人だから直す気もないようだった。


「これ、姉さんから」

 ピーナッツを渡すと、叔父さんは殊の外喜んでくれており、


「おお。美桜によろしく言っておいてくれ」

 と言っては、しかも昼間から、棚を漁り、ウィスキー瓶を取り出して、飲み始めた。


(ダメ人間だ)

 と思うものの、今さら感があるので、叔父さんにその日も続きを促すのだった。


「ああ。確か、俺と里美が新宿中央公園でセッションやった後か」

「そうそう」


 ウィスキーの水割りを一口飲んで、ふうっと溜め息をもらし、ピーナッツをかじりながら、叔父さんは回想してくれるのだった。



 2000年4月初旬。この時期は、企業も学校も、「新しい期」が始まる季節。そして、春は「出逢いと別れ」の季節でもある。


 俺は、北海道の美瑛町に赴任するという、妹、いや姉のような存在の秋子を羽田空港まで見送って、その帰り道。


 珍しく、携帯が鳴り、一旦、電車を降りて、かけ直した。着信履歴にはもちろん「里美」の文字があった。


「なんだ、どうした?」

 まるで何事もなかったかのように、緊張感のない俺の声に対し、彼女はどこか焦っているようにも見える、声色に聞こえた。


「あの。相談があるから、今から会えないかな?」

「ああ、まあ、別にいいけど。今、羽田から京急で品川に向かってる」


「わかった。じゃあ、渋谷のライブハウス Zに来て」

「はいよ」

 まあ、この時、俺は自分の発言した内容に、責任を持っていなかったし、正直、緊張感の欠片かけらもなかっただろう。


 だが、実際、渋谷に着いて、ライブハウス Zに着くと。


 彼女は、確かにいたのだが、どうにも雰囲気が「暗い」。まるで「この世の終わりが訪れたかのような」顔をしている。

 やっとわかってきたが、彼女は「双極性障害」のきらいがあるように感じていた。

 要は、簡単に言うと「ハイテンションで活動的なそう状態」と、「憂鬱で無気力な鬱状態」を繰り返すのだ。


 今までの言動を見る限り、一見、躁状態に見える時でも、やたらと酒を飲んでる時は、沈んだ気分を紛らわせるためで、実は本人は「鬱」状態なのではないかという気がしていた。


 そして、今は、わかりやすいくらいの、まさにどん底の鬱状態だろう。

「何だ、何だ? 死にそうな顔してるぞ」

 ライブハウスは、まだ昼だから関係者以外はいなかったが、丸椅子に座って、カウンターの隅でパーカーをフードまでかぶって、鬱状態に見える彼女の顔を間近で覗き込むと、さすがに照れ臭そうに顔を背けてしまった。


 だが、

「何があったか、知らんが、お兄さんにちょっと話してみろ」

 仕方がない。ガラではなかったが、年上ぶって、多少は悩みを解消してやろうと、俺は彼女の隣の丸椅子に座り、試みていた。


「その、私。ここの仕事、首になった」

「はあ? ライブハウスのか」


「そう」

 早い話が、ここでバンド活動をしていたが、解散してソロになったら、売れなくなって、客が来なくなったのだろうということは予想できた。

「そっか。それは……」

 言いかけて、何を言っても「慰め」にならないと判断し、口を引っ込めた。


 代わりに、いかにも死にそうなゾンビのような顔をしている彼女の、小さな頭をパーカーのフードの上から撫でて、

「いい機会じゃないか。どうせアメリカに行くんだろ?」

 と言ったが、彼女は固まってしまった。

 逆効果だっただろうか、と案じていると、


「アメリカ? アメリカに行って何になるの? 日本よりもっと厳しい。私なんか戦力外だよ」

 その一言が、野球好きの俺の心を無意識に刺激していた。


「馬鹿言うな!」

 つい声を荒げてしまい、彼女を驚かせていた。


「マーシー?」

「野茂英雄だってなあ。近鉄からメジャーに行くって言った時に、どれだけ周りに反対されたか。それを押し通して、メジャーに行ったら、どうだ。『トルネード旋風』が吹き荒れたんだ。野茂に出来て、お前に出来ないことはない!」



 一瞬、2020年の柏市。

「いやいや。無茶ぶりすぎっしょ、叔父さん! さすがに野茂と一緒にするのは」

「そうか? 何事も、最初にやる奴は批判されるし、大変なんだってことを伝えたかったんだがな」


「それにしたって、何でも野球に例えるのは……」

「だって、俺。野球以外のスポーツに全く興味ないし」


「あ、そうですか」

「ああ。サッカーなんて、カズと中田しか知らん」

 いやいや。それ、いつの時代のサッカー知識だ。古すぎる。


「わかったから、続きを……」

 何だか疲れてきた。



 再び2000年4月初旬。

「野茂?」

「お前は野茂も知らんのか? 今や日本人メジャーリーガーのパイオニア。お前も音楽界の『野茂』になるんだ」


「いやいや。私には無理でしょ」

 良かった。とりあえずさすがに野茂は知っているようだ。じゃなくて、どうにも感情の起伏が激しくて、扱いづらい奴だった。


 溜め息が漏れていた。彼女の口から。パーカーのフードをかぶったまま、彼女はまるでやる気のない猫のように目を細めていた。

「そもそも私みたいな、ミジンコがアメリカに行ってどうするのよ。もうダメだ。死ぬしかない」

 ああ、面倒臭いなあ、と思いつつも、俺には起死回生の逆転ホームランを打って、彼女を元気づけるような手段が思いつかなかった。


 しょうがないなあ。ここは「正攻法」で攻めるか。奇をてらって、相手の苦手コーナーをつくような、名キャッチャーの、古田みたいなことはできん。


「もっと自信を持て、里美」

「無理。私はミジンコ」


「お前の歌はすごいぞ。人を感動させられる」

「それはない。やっぱりノストラダムスの大予言で人類みんな死ねば良かったんだ」

 言うに事を欠いて、何てことを言いやがる。さすがに少しだけ腹が立ってきていた。ネガティブシンキングすぎるんだ、こいつは。


 正確には、ポジティブとネガティブが交互に現れるのだが。今の、まるでストーカーみたいな暗い状態は、非常にマズい。


 そんな中、俺は「奇策」を思いつくのだった。



 再び2020年。

「やっぱ、あれだろ。正攻法より、相手の裏を突くようなID野球的な配球をだな……」

「わかった、叔父さん。もう野球に例えなくていいから」


「お前だって、野球好きだろ?」

「好きだけど、わかりづらいよ!」

 叔父さんの面倒臭い、野球を例えにする話は、まだ続くのだった。

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