13. 新宿リサイタルとセッション
あれから、「彼女」はどうなったのだろうか。
そう、里美のことだ。
だが、残念ながら、2月のあの出来事以来、俺たちは「すれ違って」いた。あの一言が「彼女の心を傷つけた」と内心、わかっていつつも、俺は素直に謝れていなかった。
何故なら、俺から電話をしても拒否されていたからだ。
向こうも「俺なんかとは会いたくない」と思っているのかもしれない。そう考えると、いくらモテない俺でも、いやモテない俺だからこそショックだった。
そして、約1か月が経った。
2000年3月25日(土)。23時、新宿駅西口。
当時、巨大な小田急と京王の百貨店がここにあった。
現在ももちろんあるが、ここに新たな施設を建設し、新宿駅西口が生まれ変わる計画だと聞いたことがある。当時は、今よりもっと賑やかなもので、週末ともなれば、ここに多数の「屋台」が並び、路上ライブをする若者がいたし、人通りも多く、雑然とした雰囲気があった。
そして、俺はその日、沈痛な面持ちで、そこを通りかかったのだった。
理由は、簡単だ。
その前日の金曜日。恐らくその「期」最後となる、就職面接試験を受けていたが、それが散々な出来で、「答え」が来る前に、落選は見えていたからだ。
飲まずにはいられない、そんな気分で、新宿駅東口で飲んでおり、真っ直ぐに帰ろうとしたら、酔っていて、たまたま間違って、東口から西口への地下通路を抜けて、西口側に出てきたのだ。
頭は痛く、酔いが回っていたから、さっさと帰ろうと思い、
「~~~!」
その声に聞き覚えがあった。
いや、聞き間違えるはずのない、ハスキーボイス。
歌っていた歌は、つい10日前に発売されたばかりの、倉木麻衣の2作目のシングル曲「Stay by my side」だった。
しかも、めちゃくちゃ上手いから、自然と足を止めて、俺は引き戻され、その輪の中心に向かって行った。
輪は、新宿駅西口のバスターミナルに続く横断歩道の少し手前の一角に出来ており、同心円状に綺麗な輪になっており、中心にギターを抱えて、リサイタル、つまり「独奏」をする彼女がいた。
今日は、珍しく白いパーカーを着て、チノパンを履き、頭には黒いハンチング帽をかぶっていた。ギターも、いつも持っているエレキではなく、アコースティックの、弦が太いギターだった。
歌と演奏、その両方に集中している彼女は、俺には気づかなかったが、彼女は人気があるようで、大勢のサラリーマン、若者、女子高生らが輪に加わって、演奏と声に聞き入っていた。
ハスキーがかった綺麗な声が、辺り一帯に響き渡り、しかもカラオケなどの「真似事」には思えないくらいに、歌が上手かった。
当時は、もちろん「You Tube」のような動画サイトはない。現代だったら、それを動画配信しただけで、金が稼げそうなくらい上手かった。
4分半ほどの歌が終わると、拍手と歓声が響き、彼女が地面に置いていた、ギターケースに銭が投げ入れられていた。
今よりも、少し昔の、路上「弾き語り」ライブ。
そんな中、立ち去って行くサラリーマンや若者の影が消え、やがて女子高生も消えた。
俺と彼女の目が合った。
「ちょっ!」
声にならない声を上げて、逃げ出そうとした彼女の右腕を捕まえていた。
「離して!」
「何で逃げるんだよ!」
まるで痴話喧嘩のようになっていたためだろう。
いつの間にか、警察官が2人やって来て、
「こら、君。何をしている?」
俺は取り押さえられていた。その瞬間に、彼女の腕が離れる。
「いや、違います! 何とか言ってくれ、里美!」
声を上げて、警察官を振りほどこうとするも、強力な力で抑えられ、その上、彼女は荷物をまとめて、さっさと立ち去ってしまうのだった。
俺と里美は、「すれ違い」、そして俺は深夜0時を越えるまで、警察官によって、交番で事情聴取を受けることになる。
やっと説明を終えて、解放された時には、とっくに終電がなくなっている午前1時を回っていた。
新宿で一人取り残されていた俺。
しかし、こうしていても仕方がない。東口にある漫画喫茶に行って、始発まで過ごそう。
そう思って、西口から東口に抜ける、新宿大ガードをくぐった時だった。
「離して!」
どこかで聞いたことがある声が聞こえたと思ったら、これも全くのデジャブだが、彼女がホストらしき男に捕まっていた。
当時、実際に新宿・歌舞伎町は治安が悪かった。それにしても、二度も同じ目に遭うとは、不幸な女だ、と同情を禁じ得ない。
仕方がない。
俺は、無言でダッシュをして、男に体当たりをかまし、そのまま彼女の手を取って、走り出した。
まったく、出逢った時と全く同じ構図だ。
「待て、こら!」
やっぱり予想通りに追いかけてくる始末。
「ちょ、マーシー!」
「いいから走れ!」
俺が命じると、さすがに危機感を察した彼女が走り出した。
大ガードから、西口の高層ビル群へと。
深夜の西新宿高層ビル群は、かなり不気味だった。
何しろ、ほとんど灯りがついていない、巨大な、見上げるほどの鉄の塊が、空高くから、見下ろしているようなものだからだ。
追手は、さすがに途中からついてこなかったが、俺たちはいつの間にか、都庁ビルを抜けて、新宿中央公園の辺りまで来ていた。
当時、この辺りには圧倒的に「ホームレス」が多かった。多くのホームレスが、ブルーシートを張り、段ボールで簡易的なテントを作って、生活する一種の「村」状態が出来ており、ある意味、ホームレス以外の余所者の来訪を拒んでいた。
そこに差し掛かって、ようやく俺は足を止めた。
「何で、逃げるんだよ、まったく」
呟く俺の声が悲愴に聞こえたのだろうか。彼女は、小さく、
「ごめん。何か会いづらくて……」
と、俯き加減に呟いた。
俺たちは公園のベンチに並んで座り、互いのこれまでのことをゆっくりと話すのだった。
俺は、秋子を見送ったこと。里美は、デビューこそ出来なかったが、すれ違いからバンドを解散して、ソロ活動をしていること。
「ソロ? デビューは?」
「さあ。いつになるかわかんない」
「がんばれ。あの歌声ならきっと行けるよ」
「ありがとう。でも……」
「でも?」
「この国じゃ無理かな。規制が厳しいというか、イノベーションがないんだよね」
今でこそ珍しくない言葉だが、当時としては先進的な言葉だ。
「イノベーション?」
「技術革新だよ。ビジネスに新しい価値を生み出すことっていうのかな。日本は、どうも古臭くて、しきたりが厳しすぎるというか。横並びが好きすぎて、個性が育たない。私みたいな、個性的な性格には向かない」
なるほど。彼女の言いたいことはわかった。確かに、自分でも言っていたが、彼女は非常に「個性的」な部類だろう。
性格も、歌も、思考パターンも、夢も変わっていると言っていい。
横並びが大好きな日本人的じゃないし、だからこそ「同性に嫌われて」いたのかもしれない。
常識に囚われない、頭の柔軟性があるが、反面、「きっちり、かっちり」していることを好むこの日本という国では合わないだろう、とは俺も内心、わかっていた。
「じゃあ、アメリカに行けば?」
「アメリカ? 宇多田ヒカルになれ、とでも?」
「違うよ。宇多田ヒカルはアメリカ生れの、日本デビューだ。お前は純粋に音楽でアメリカに進出すればいい」
「簡単に言うね。第一、英語なんて苦手だよ」
当時は、今のように簡単に翻訳ソフトなんてなかったし、英語を正確にしゃべるには、猛烈に勉強するしか手段がなかった。自動翻訳なんて技術自体がない。
「それくらいで諦めるなよ。さっきの歌、良かったぞ。俺はいつまでも応援してる」
そう告げたのは、俺にとっては何気ない一言で、単に「応援したい」という気持ちから来るものだったが。
彼女の反応は違っていた。
「ズルい。こういう時に、そんなことを言われたら、反論できないじゃん」
泣きそうな顔をして、目を逸らしていた。
やれやれ。泣きそうな顔をしている女を放っておくのは、どうも寝覚めが悪いというか、気分が落ち着かない。
仕方がない。
俺はこの、一種のホームレス村の土曜日の深夜に、周りを驚かせるような提案を彼女にそっと耳打ちした。
「えっ。それはダメだよ。みんなびっくりするから」
「出来ないのか?」
「いや、出来るけどさ」
「じゃあ、いいじゃん。俺が歌うから、お前は弾くだけでいい」
「……わかった。けど、怒られても知らないよ」
「いいさ。俺が代わりにいくらでも謝ってやる」
俺たちは、こっそり話し合い、その「出来事」を勝手に決めた。
幸いにも、深夜にも関わらず、このホームレス村の住人の多くが、酒を飲んで起きていた。それは土曜日から日曜日にかけてということと、その時が「花見」シーズンで夜桜を見ながら酒を飲んでいた連中が多かったことも関係していたが。
「皆さん。突然ですが、即興ライブをやります」
俺が公園の一角にある、円錐状の柱が六本建っている、真ん中に立つ。ちょうどそこは小さなステージのようになっており、隣で彼女がギターを構えた。
そこは、「旧淀橋浄水場六角堂」と呼ばれている、ちょっとした歴史的建造物でもあった。古代ギリシャ風の建物にも見える。
幸い、その周りにはホームレスのテントはなかったが、まばらに人がいた程度。しかも、ちょうど花見の時期だから、いつも以上に人がいた。
何が始まるかと期待してきた、千鳥足の老人や中年が少しだけ集まる中。
彼女の演奏が始まった。
本来は、エレキギターで弾くべき曲だが、その日、リサイタルに持ってきた彼女のギターは、アコースティックギターだけだったから、原曲とは違う雰囲気になるが、深夜だから、かえってその方が良かった。
特徴的なギターリフから始まる、短いが、鮮烈な印象を残す、The Blue Heartsの名曲中の名曲、パンクロックの王道的な曲でもある「終わらない歌」だった。
1987年リリースという古い曲ながら、このあまりにもセンセーショナルにして、直感的な批判めいた、というよりも「元気が出る」歌詞が有名で、誰もが口ずさめるような簡易的なフレーズは今でも秀逸だ。
しかも、だんだんと盛り上がり、ホームレスどころか、近隣を歩いていた連中や、客待ちをしていたタクシーの運転手まで集まって来た。
―終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため―
―終わらない歌を歌おう 全てのクズどものために―
―終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため―
―終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように―
―世の中に冷たくされて 一人ボッチで泣いた夜―
―もうだめだと思うことは 今まで何度でもあった―
―
―逃げ出したくなったことは 今まで何度でもあった―
『The Blue Hearts』 『終わらない歌』より引用
短い曲で、同じフレーズの繰り返しだが、俺はこの歌を、「マーシー」こと真島昌利のようなギターリフも出来ないし、甲本ヒロトのように、いい声で歌うことも出来ない。
だが、精一杯気持ちを込めて、歌うのだった。
結局、音楽は「楽しむ」もので、気持ちが伝わればいいというのが、俺のモットーだから。
ちなみに、ギターコード的には、G、C、D、G、あるいはA、D、E、Aの繰り返しが多く、単調なため、この曲を弾くのは、割と簡単なのだそうだ。
そして、終わってみると、
「いいぞー! 兄ちゃん!」
「姉ちゃんの演奏もよかったぞ!」
予想外の大盛り上がりで、拍手と歓声に包まれ、パフォーマンスは、盛況の中、終結する。
俺と、里美は顔を見合わせて、ハイタッチをして、互いに笑顔を見せるのだった。
2000年、春先。夜桜の花びらが舞う中、深夜の新宿で、俺たちは最初で最後の「セッション」をしたのだった。
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