【2】2000年

11. 幻のデビュー

 再び2020年。


 僕は、明らかにこの「里美さん」が叔父さんに好意を抱いていると感じていたが、どうも叔父さんにそのことを伝えても、彼はあまりいい表情を浮かべていなかった。


「そうかなぁ?」

「それ以外あるっていうの? 里美さんは、それからどうしたの?」

 続きを促すと、渋々ながらも語ってくれるのだった。



 年が明けて、2000年(平成12年)。心配事になっていた「コンピューターの誤作動」、つまり「2000年問題」は結局起こらず、杞憂に終わる。

 無事に、20世紀最後の年を迎えたこの年。


 2000年2月。

 一度、家を出ていったはずの彼女が、ある時、ふらりと俺の元にやって来た。正確には、家ではなく、またファミレス、それも同じように深夜だったが。

 ただ、格好だけは、ガングロギャルではなく、普通のセミロングに、頭も黒く染めていたが。

 というより、この辺りから、里美はガングロではなくなっていたし、ギャルっぽい格好もしなくなっていた。


「相変わらず酒臭いな、お前。このダメ人間」

 入ってきて早々、酒臭い匂いを漂わせて、喫煙席に向かって、座った途端に、ライターで火をつけて、タバコを吸う彼女。


 相変わらずだらしがなかった。ちなみに、幼なじみの秋子は、もう去年の12月一杯で、このバイト先を退職しており、春から始まる本格的な教師デビューに向けて、熱心に勉強に励んでいた。


「おー、政志くんじゃないかぁ。今日のライブは、チョベリバでね。っていうか、相変わらずきしょいな、君は」

 きしょい=気持ち悪いだから、何気に、ひどいことを言われていたが、まあ、そもそもがシラフではない、酔っ払いのタワゴトだ。放っておこう、と思い、一応注文を聞いて、後は閉店になったら、さっさと追い出すつもりだった。


 ところが、注文を届けに行くと妙なことを聞かれていた。

「君もそろそろ携帯買いなよ。ねえ、ほらここなんて、バリサンだよ」

 バリサン、つまり携帯電話の電波がフルに使えること、を意味する、一種の「ギャル語」だった。


「一応、買ったぞ」

 そう。この時、俺は親に言われて、仕方がなく携帯電話を買って、契約をしていた。確かに、携帯電話らしきものは持っていた。

 持っていたのだが。


「マジで? じゃあ、連絡先、交換しようよ」

「忘れた」


「はっ?」

「だから、家に忘れてきたって」


「携帯の意味ないじゃん!」

「そう言うな」

 スマホが必須になった現代社会では、考えられないことだが、当時は、普通に「携帯電話を携帯せずに忘れる」人間が多くいた。

 学校、会社、自宅。せっかくの携帯電話も簡単なメールと電話機能、時計くらいしかついていなかった当時、別になくても困るものでもなかったのだ。

 それに最悪、テレホンカードというものがあり、公衆電話から連絡が出来た。


 まあ、それはともかく、この「携帯電話を買った」ことで、事態が思わぬ展開へと発展していき、ある意味、携帯電話のお陰で、俺と彼女は「助かった」のだった。


 それから2週間後くらい経った頃。

 結局、彼女と連絡先を交換していた俺は、滅多にかかってくることがない携帯電話が、明滅していることに気づいた。


 それも深夜0時。バイトが終わって、帰宅するタイミングだ。


 一瞬、逡巡したが、どうせ「夜型」のだらしない彼女のことだ。まだ起きているだろう、と思い、コールした。


 すると、

「おお。マーシーかい。今日の私は、気分がいい。『BE TOGETHERビートゥギャザー』だよ、まったく」

 妙に明るい声が響いてきた。ちなみに「テンションが高い」という表現自体が、まだこの頃には流行っていない。


「どうでもいいが、マーシーじゃねえ。あと、あみ〜ゴかよ」

 あみ〜ゴ。当時、大流行になっていた鈴木あみの愛称で、『BE TOGETHER』というのは、1999年にリリースされた、彼女の代表曲として知られている。


 だが、俺はその妙に明るすぎる里美から、「変な気配」を感じていた。


「何があった?」

 探りを入れてみた。


「それがね、実はメジャーデビューが決まりそうなんだ」

「マジ! すげえじゃん!」

「サンキュ!」


 とは言っていたが、どうにもその話を詳しく聞いてみると、「胡散臭い」匂いがプンプンしていた。

 電話で話した限りだと、里美をスカウトした会社は、秋葉原にある音楽会社で、「電脳何とか」とかいう聞いたこともない会社だった。

 おまけに、スカウトされたのは、路上で、ロクに彼女の歌すら聞いておらず、ほとんど容姿で採用したようなものと来た。


(怪しい)

 この手の胡散臭さには、多少は敏感だった俺は、彼女が明日、その会社に行って、正式に契約するという言葉に「待った」をかけ、一緒について行くことにしたのだった。


 翌日は、たまたま土曜日だった。

 この頃の秋葉原は、毎週土曜日に、中央通りが歩行者天国になっており、後の2008年6月8日に、秋葉原で発生した「無差別殺傷事件」まで毎週続いていた。


 もっとも、2000年代初頭の秋葉原は、まだ「オタク街」としての側面より、純粋な「電気街」としての顔の方が強かった。

 そのため、俺は、「胡散臭い」と思ったのだ。


 通常、アイドルでも歌手でも、バンドでも、その手の芸能事務所が多く集まるのは、渋谷、六本木、新宿界隈だろう。

 ここ秋葉原は、どちらかというと「ディープな」側面があるから、その手の事務所自体が圧倒的に少ない。


 にも関わらず、里美をスカウトした会社は、この秋葉原にあるという。


 朝、10時に会社に集合ということで、9時50分頃に秋葉原駅の電気街口で彼女と待ち合わせをした。

 まだ当時は、駅前にアキハバラデパートがあり、ラジオ会館やサトームセンがあり、駅舎も改装前の古いままだった。


 電気街口の様子は、今とあまり変わらないが、ただ違うのは「アニメ」や「オタク文化」よりも「電気」を前面に押し出したような広告が多かったことだ。


 その手の、「アマチュア無線」やら「パソコンオタク」が集まる街という方が一般的で、後年に乱立し、メイドが中央通りに溢れるようになる時代とは違い、メイド喫茶自体がまだ秋葉原にはなかった。


「おっはー」

 相変わらず、変なテンションの里美が、今日もギターケースを背中に背負っていた。少しだけ酒が残ったような顔をしているから、また飲み歩いていたのかもしれない。


「おう。会社はどこだ?」

「マーシー。暗いなあ」


「マーシーって言うな。芸人みたいじゃねえか」

「あはは。私が言ってるマーシーは、そっちじゃなくてブルーハーツの方だけどね。今度、バンダナしてきてよ」

「嫌だよ」

 俺が言った「マーシー」とは田代まさし。後年、東京都迷惑防止条例で捕まり、その後、覚せい剤取締法違反法で捕まり、テレビ界から消えるが、この時はまだ活動していた。

 彼女が言った「マーシー」とはもちろん、「The Blue Hearts」の真島昌利。結局、この後、彼女はずっと俺のことを「マーシー」呼ばわりすることになるのだが。

 もっとも、別に俺は「マーシー」ほどカッコよくはなかったが。


 それはいいが、彼女に従って、会社のある建物に着いた。歩いて5分ほどの場所にあり、中央通りから一本筋道に入った、細い路地裏にある雑居ビルだった。


(怪しい)

 まず、見た目からして、物凄く怪しかった。


 ほとんど違法風俗店か、もしくは当時、悪い意味で流行していた「エウリアン」と呼ばれた、「絵」を法外な値段で売りつけ、事務所に連れて行って監禁すれすれで買わせる手口をする店のようにも見える。


 何故なら、ビルの表側には「看板」の類が見当たらなかったからだ。

「なんて、会社だっけ?」

「えーと。電脳芸能管理事務所だね」


「何だそりゃ。電脳戦機バーチャロンかよ」

「ばーちゃろん?」

 きょとんとした表情の彼女には、全くわからないだろうが、男のゲーマーの間では有名だった、1990年代中盤から2000年代初頭に流行った、セガの3D対戦ロボット格闘ゲームのことだ。


「とにかく行くぞ」

「アイアイサー」

 相変わらず、妙に明るい彼女を連れて、建物内に入る。

 一応、1階の郵便ポストには4階部分に「電脳芸能管理事務所」と小さく記載があった。階段を上り、その事務所らしき場所に着く。擦りガラスの表から中が見えないドアに「電脳芸能管理事務所」と記載があった。俺は意を決してノックをした。


「はい」

 しかし出てきた男は、明らかに「カタギ」の類ではなかった。スーツを着てはいたが、色物の紫色のYシャツに、白いスーツ。どう見ても、「ヤクザ」の類が好む格好だったし、おまけにガタイが良くて、筋肉質で、体格が大柄で180センチはあった。

 しかも、彼女ではなく、俺が前面に出たことで、態度が明らかに「硬化」していた。


 まるで、ヤクザが下っ端を睨みつけるかのような形相で、

「何かご用でしょうか?」

 口調と、態度が全く正反対の威圧的な言動で迫ってきていた。


 俺の背中に隠れるようにしていた、里美の姿を見つけた、男は、

「おお! これは里美さんではないですか? すると、この男は連れですか? では、見送りご苦労様。ここでお帰り下さい」

 急に態度を軟化させたが、相変わらず俺にだけは、氷のように冷たい瞳を向けてきた。


「申し訳ないのですが、この件を断りたくて、来ました」

 俺は、なけなしの勇気を振り絞って、彼女をかばうように前に出ていた。彼女は珍しく、怖いのか、いつの間にか俺の服の袖を、右手でつまんでいが。


「断る? 何で?」

「何ででも、です」


 その途端、男の態度が急変する。

「そりゃあ、どういう意味ですかな? とりあえず事務所で話を聞きましょうか」

 無理にでも部屋に入れようとするのが、わかった。

 マズい。


 これは、ある種の「恐喝」だ。

 恐らく部屋に入ったが最後。恐喝まがいの脅しを受けて、契約しないと絶対に部屋から出さないつもりだろう。

 当時、秋葉原に限らず、こういう違法店は実際に都内にいくつもあった。


「里美! 逃げるぞ!」

 咄嗟に、駆けだした俺に反応し、彼女は追ってきた。

 当然、男も追って、階段を駆け下りてくるが。


(ヤバい! これじゃ追いつかれる!)

 男が女を連れて逃げる場合、どうしても女の脚力が「足手まとい」になる。


(仕方がない。使いたくないが、使うか)

 俺は、一旦、4階から3階へ続く階段の踊り場で足を止めて、彼女を後ろにかばうと、追ってきた大柄な男の、足のすねを思いっきり靴の先で「蹴った」。かわされたら終わりだから、一種の「賭け」だったが、運よく当たっていた。


「っっっ!!」

 声にならない悲鳴を上げて、うずくまる男を置き去りにして、里美を連れて、ダッシュで階段を駆け下りて、そのまま走り、気がつけば秋葉原中心部からだいぶ離れた、どちらかというと御茶ノ水に近いところまで来ていた。


 そこには長い石段があり、「明神男坂」と書かれてあった。神田明神へ続く石段の坂道だった。

 さすがに走り続け、ヘバっていた俺は、そこで足を止めて、石段に座り込んだ。俺の服の袖を掴んでいた里美もまた、同じように座り込むが、彼女は何故か満面の笑顔だった。


「あははは! 楽しかったねー!」

「全然楽しくねえよ! 死ぬかと思ったわ!」

 実際、あれをかわされたら、俺は死んでいたかもしれないし、もうしばらく秋葉原には来れないと思っていた。


「まあまあ。でも、ありがとう。助かったよ。きっと私一人じゃ、ダメだった」

 そんな彼女の一言に、俺はとある一つの決意を決めており、座ったまま、隣の彼女の肩を両手で、掴んでいた。


「里美」

「は、はい」

 何故か彼女の声が上ずっている。


「一度しか言わないぞ。俺はお前のこと……」


 そこで、叔父さんの回想は止まっていた。見ると、彼は眠りについていた。

「ちょっと、叔父さん! 起きて! 一番大事なところだから」

 話は一番大事なところで中断になるのだった。

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