10. 現れた彼女と、有馬記念

「でも、すごいね、叔父さん。もうこれ、絶対くっつくパターンでしょ」

 僕は興奮気味に、声をかけると同時に、こんなことがあったのに「何故、叔父さんは未だに独身なのか」が気になって仕方がないのだった。


 それは、遺伝子的に「近い」存在でもある叔父という立場から、「叔父がモテない=自分もモテない」人生を送りそうだという、一種の変な危機感もあったが。


「それがなあ。まあ、そうもいかなかったんだ」

 叔父さんの回想は、妙な方向へと進んで行った現実を映し出していた。



―ピンポーン―

 以下は、実は俺が「寝ている」時に起こった出来事で、後から里美に聞いた話だった。つまり里美の回想録になる。


「はい」

 里美がドアを開けると、そこにはまるで「この世の終わり」を見たかのような、鬼気迫る形相の、「秋子」が冬物のダッフルコートを着て、立っていた。


「あ、あの。あなた。何でここに?」

「あー。その。今、居候いそうろうしてまして」


「い、居候?」

「ええ。その政志くん。いや葦山さんが、家賃滞納で追い出された私を哀れに思って……って、ちょっと!」

 里美は、無言で立ち去ろうとする秋子の腕を掴んで引き戻していた。


「離して!」

「いや、絶対勘違いしてるって。別に何でもないんです、私たちは」


「何でもないわけないでしょ。私に隠れて、二人で同棲なんて、いやらしい」

 さすがに、ここでは近所迷惑になるし、下手をしたら、政志が起きてしまうかもしれない。


 仕方がない。里美は決意し、

「詳しく、ちゃんと説明するので、待ってて下さい」

 そう言って、冬物の唯一のコートを着て、外に出た。


 彼女、秋子を連れて向かったのは、いつぞや里美が政志と深夜に語り合った、あの児童公園だった。


 ベンチに並んで座り、居心地が悪そうに佇む秋子に、自販機で買ってきた暖かい缶コーヒーを渡していた里美。

「ありがとう」

「いえ。これくらい」


「さて」

 どこから話そうか、と悩んでいると。


「好きなの?」

 いきなり核心を突く一言が、隣の彼女から飛んできた。


「さあ。わかりませんね。これを恋心と呼ぶのか、呼ばないのか。ただ……」

 言い淀む里美に、秋子は鋭く目線で訴えてきた。続きを話せ、と。


「あの人は、私を応援してくれたんですよ。歌手になれって、私の夢も馬鹿にしなかった。そんな人に会ったのは、初めてです」

 彼女、秋子は、それを聞いて、何やら考え込んでいるようだったから、今度は里美の方が尋ねていた。


「そういうあなたは?」

 と。


「私は……」

 言い淀む、というか、言い方を「迷っている」ような彼女。


「あの人のことは、中学時代から知ってるし、幼なじみみたいなもので、まあ、弟みたいなものね」

「弟?」


「あ、私には兄弟がいないから、尚更ね」

「恋愛感情はないんですか?」


「ない、のかなあ? でも、放っておけないっていうか」

「わかりました」

 里美は気づいてしまった。同時に、恐らく秋子も気づいてしまったのだろう。

 互いに、妙に納得したような、問題が解決してすっきりしたような表情を浮かべていた。


 そして、

「私は、もうすぐ出て行きますから。そうしたら、後は正々堂々と、勝負しましょう」

 里美がそう言って、手を差し出し、秋子はおずおずとしながらも、握り返していた。


 それが、何を意味するのか、真相はこの二人にしかわからなかった。


 そして、俺の風邪はその2日後には回復。


 運命の日がやってくる。

 12月24日(金)。


「さあ。出ていってもらおうか」

 追い出す気満々の俺は、彼女の荷物をまとめて、玄関先に追いやっていた。

 まったく躊躇しない俺の態度に、彼女はしかしながら泣きそうな顔で訴えていた。


「ご、ごめん。あと2日でいいから、いさせて!」

「ダメだ。24日って言っただろうが」


「そこを何とか、お代官様」

「黙れ、ダメ人間」

 さすがに呆れてきたが、一応、理由だけは聞いてやる、と促すと、伏し目がちになった彼女が、おずおずと口を開いた。


「先週の日曜日、GⅠのスプリンターズステークスがあったじゃん」

「いや、知らねえけど」


 もう想像がついていた。

「まさかブラックホークが来るとは思わなくてさ。私は、キングヘイローの単勝一点買いだったんだ」

「いや、だから知らんって」

 ちなみに、当時は、短距離GⅠの「スプリンターズ・ステークス」は12月に行われていた。現在は10月1週目だが。


「呆れた奴だ。この期に及んで競馬か。お前、もう生きる価値ないぞ」

 ゴミ溜めを見るような視線を送る俺に、彼女は、まるで神様を拝み倒すかのように、手を合わせて、土下座した。


「26日の有馬記念! それだけやったら、結果がダメでも出て行くから!」

「また競馬か。お前、心底ダメ人間だな」



 再び一旦、2020年。

「で、許したの、叔父さん?」

「ああ」


「お人好しすぎでしょ! っていうか、里美さん、めちゃくちゃだね」

「そう思うだろ? ところがな」



 1999年12月26日(日)。運命の日。


 彼女に言わせれば、「この年の有馬記念はすごかった」だそうで、俺も仕方がないから、彼女と並んで、アナログテレビで、競馬中継を見ていた。


 もちろん、今のように即PATで馬券を買えないので、彼女はわざわざ昨日、中山競馬場まで行ってきたらしい。


「すごいね。グラスワンダー、スペシャルウィーク、テイエムオペラオー、ナリタトップロード、ファレノプシス、フサイチエアデール、ステイゴールド。どれが勝ってもおかしくない。まさに年末ドリームレース!」

 異常なくらい興奮している彼女が、出走前の「馬」のように思えていた俺は、実は競馬にはそれほど詳しくはなかった。


 だから、聞いてみたのだ。

「どれに賭けた?」

 と。


 彼女は、目を輝かせて、答えるのだった。

「もち、グラスワンダー! あとスペシャルウィーク。この2頭は絶対来るね。でも、勢いがあるテイエムオペラオーも捨てがたいなあ」

 彼女曰く。


 グラスワンダーは、この年の安田記念で2着、宝塚記念で1着。さらに前年の1998年の有馬記念も制している。

 一方のスペシャルウィークは、この年の天皇賞春で1着、宝塚記念で2着、天皇賞秋で1着、ジャパンカップで1着。そして、この有馬記念が引退レース。

 テイエムオペラオーは、この年のクラシックで皐月賞を制し、GⅠ勝利は1勝だけだったが、多くのレースで3着以内に入っており、この翌年の2000年に、「年間無敗」という、テイエムオペラオー不敗伝説の全盛期を作ることになる。


 実は、この当時の競馬にはまだ「3連複」や「3連単」がなく、単勝、複勝、馬連、枠連、ワイドしか種類がなかった。


 彼女、里美は馬連で3-7、つまり3番のスペシャルウィーク、7番のグラスワンダーに賭けており、賭け金は、2万円だという。


(競馬に2万円も突っ込むなよ)

 と、ギャンブラーとしての彼女に呆れていたが。


 実際にレースを見ると、そのスペシャルウィークは、ほとんど最後方からのレース展開になっており、全体的にスローペースで進んでいた。


 そして、最終の4コーナーを回って、最後の直線に入ると。

「グラス来た! スペシャルも来た! よし、よし!」

 めちゃくちゃ興奮して、テレビに向かって、握り拳を上げて、里美が叫んでいた。実況中継を見る限り、混戦状態だったが、確かにグラスワンダーとスペシャルウィークは上がってきていた。

 彼女に言わせると、


「2万円も賭けたんだから、気合いが違うんだよ」

 だそうだが、反面、勝負師としての彼女にはこのレースに勝つ「自信」があったらしい。


 スペシャルウィークは、最後の直線で溜まった末脚を出し、一気にグラスワンダーを捉えた地点がゴール付近だった。体勢はスペシャルウィークが有利であり、勝利を確信した、スペシャルウィークの騎手である武豊はウィニングランを行っていた。


 しかし写真判定の結果、首の上げ下げの、わずか4センチ差で2着に敗れていたことが判明。


 だが、どちらにしろ、馬連の3-7で、彼女は当たっていたのである。

「やったー!」

 彼女は、嬉しさ余って、俺に抱きついて、大喜びしており、速攻で換金額を電卓で計算していた。


 馬連の3-7が470円で、約94000円。20000円賭けたから、儲け額は「74000円」。決して多くはないが、それでも家賃分くらいにはなるだろう。


 無事に彼女は、その日、家を出て行った。

 しかし、こんな大事なことを「競馬」で決めてしまうあたり、俺は彼女の本質は「真のダメ人間」と思うのだった。


 俺は、年末に22歳の誕生日を迎え、時は2000年、ミレニアムへと移り行く。

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