9. 同棲の行方
「マジで! 叔父さん、すげえ! ギャルと同棲してたの? っていうか、秋子さんはどうしたの? 知られたら修羅場じゃね?」
僕が予想以上に食いついたのが、叔父さんにもわかったのだろう。
彼は、開け放った窓の外、ベランダからタバコの箱を持って、部屋に戻ってきて、窓を閉めていた。
そして、
「今日はもう帰れ。また今度話してやる」
もったいつけて、そう言ってくるものだから、僕は尚更、続きが気になって仕方がないのだった。
だが、この「やる気のない」叔父さんの性格から、無理に聞き出そうとしても、失敗するのは目に見えていた。
「わかったよ」
と言いつつも、すぐに次の約束を取り付けるのだった。
1週間後。さらに、真実が明らかになる。
8月15日(土)。お盆だ。だが、このコロナ禍全盛期においては、帰省自体が全体的に自粛ムードで、ほとんどの人間が、「実家に帰らない」ことを選択していた。
従って、この年ばかりは、首都圏から地方に流れる「帰省ラッシュ」はほとんど発生しなかったのだ。
もちろん、叔父さんも本来なら、実家のある群馬県高崎市に帰省する予定だった。そこには、叔父さんと父の両親、つまり僕にとっては父方の祖父母が住んでいる。
だが、コロナ禍と、まだワクチンの1回目すら供給されていない頃だったから、叔父さんも父も実家には帰省しなかった。それは、高齢者にコロナが感染すると、死につながる恐れがあるから、という配慮もあった。
従って、まだ若い僕は、高齢者でもなく、密集することもない、叔父さんの家に行くことにした。
例によって、母から土産を託されて。
今回は、青森県産の桃だった。何だかこの「土産」という代金で叔父さんの「青春話」を引き出しているようにも思えてきた。
だが、僕は純粋に好奇心から知りたかったのだ。
あの「モテない」叔父さんが、同棲したという事実と、その内容について。
「おお、海斗か」
相変わらず、汚らしい格好というか、今度はもっとひどく、上半身裸で、脂肪のついた腹を出した状態で、ドアを開けてきた叔父さん。
「叔父さん。さすがに服、着ようよ!」
突っ込むと、彼は何とも世知辛い回答を出してきた。
「いや。金なくて、今クーラーをケチっててさ。扇風機しかないから暑いんだよ」
「マジで! この猛暑にクーラーなし。熱中症で死ぬよ。外に行こう?」
「嫌だよ、暑いし」
「ここのが暑いよ!」
実際、マンションには熱が籠っていて、建物自体が熱した状態で、僕にはまだ外の方がマシに感じるほど、湿度や温度が滞留しているように感じていた。
「わかった、わかった。ちょっと着替えるから」
そう言って、叔父さんは、プラスチックの衣装ケースから、夏用と思われる薄手の緑色のTシャツを引っ張り出し、ようやく醜い腹が視界から消える。
次いで、ずっと洗濯していないような、汚いスウェットを脱いで、短パンを履き、これも同じく百均で買ったような、安いサンダルで家を出る。
柏駅前の繁華街まで歩くだけで、汗だくになるくらいに、猛烈に暑い日だった。
やっとのことで、喫茶店に入る。
さすがにそこは、クーラーががんがん効いており、涼しい。
「アイスコーヒーと、ナポリタン」
「僕は、アイスコーヒーと、サンドイッチ」
二人が注文したところで、いざあの続きを、と思っていたら。
叔父さんの「脱線」が始まった。
「知ってるか、海斗? 昔の喫茶店には、クリームソーダって物があってな……」
「はいはい。クリームソーダは僕も知ってるから、さっさと続きを」
「せっかちだな」
愚痴りながらも、叔父さんは妙に真剣な表情を浮かべ、テーブルに頬杖を突いた。
1999年12月11日(土)。俺にとっては、人生初の女性との同棲生活が始まった。
だが、実は彼女は「優秀」だった。家事についてはである。見た目こそギャルのくせに、家事全般はほぼ完璧にこなし、掃除・洗濯・炊事のほとんどをやってくれた。
そのため、バイト先から家に帰ると、いつも食卓に暖かい飯が並ぶことに、俺は妙な感動を覚えていたのだ。
こんなことは実家にいた時以来だ。いや、これから先の人生で何度こんなことがあるのだろうか、と悲観的な考えさえ頭に浮かんでいた。
ある時、食卓を囲んでいた時だ。
「お前。すごいな。こんなに料理が出来るなんて思わなかったぞ」
食卓に並んでいたのは、色とりどりの野菜炒めと、チャーハン、それに
家庭的な和食でありながら、栄養バランスもいい、「お袋の味」のような料理だった。
「そう? ウチは母子家庭だから、自然に出来るようになったけど」
見た目、頭が悪そうなギャルの割には、妙に家庭的なところがあり、
「将来、いい嫁さんになりそうだ」
と呟いたら、心なしか目を逸らしていた。
そして、
「ふつかものですが、よろしくお願いします」
三つ指を突いて、頭を下げてきたので、さすがに、
「それは嫌だ。24日には出てけ」
と冷たく言うと、
「ケチー」
と口を尖らせていた。
だが、実際、俺たち二人は、「同棲」しながらも、不思議なほど「何もなかった」。男女の関係になること、つまり一線を越えることはなかった。
それはお互いに同じ空間で生活しながらも、「生活時間が違う」というのもあり、朝から大学に行き、夜はバイトをしていた俺と、朝から家事をやって、午後からたまにバイトやライブ活動をしていた彼女とは、なかなか「時間が合わなかった」からだった。
「マジで? ホントに何もなかったの、叔父さん?」
2020年の世界で、僕は懐疑的な表情を浮かべ、内心、期待を込めながら、叔父さんに聞いていた。
叔父さんは、少し困ったような表情のまま、言い淀んでいたが、
「まあ、全く何もなかったか、と聞かれたら、否定はできないかもだが……」
と、言いつつ渋々ながら、語ってくれるのだった。
同棲して1週間が経った、12月18日(土)。
それは起こった。
俺はその日、バイトから帰宅した深夜に、ふらふらになりながら、帰宅と同時に倒れるようにして、布団に沈んでおり、彼女は翌日までいなかった。
翌12月19日(日)の朝。
目が醒めると、俺の頭の上に、冷たいタオルが乗せてあり、お世辞にも耳に心地よいとは言えない、妙に明るい音楽が流れてきており、それで目を醒ましたと気づいた。
見ると、布団の横には、ジーンズを履いた彼女が足を崩して座っていた。
一瞬、音楽と思ったのは、実際には彼女がアカペラで歌っていた「歌」で、モーニング娘。の「LOVEマシーン」だった。確か3か月くらい前にリリースされていた。BGMは流れていないのに、その明るい節を上手に歌っていたのが耳に残った。
―
―世界がうらやむ (Yeah Yeah Yeah Yeah)―
―恋をしようじゃないか! (Wow Wow Wow Wow)―
―Dance! Dancin' all of the night―
『モーニング娘。』 『LOVEマシーン』より引用
「お前。こんな時になんでその歌……」
そう言いかけて、俺は自分の喉の奥が熱く感じて、激しく咳き込んでいた。
彼女はすぐに気づいたようで、歌うのをやめ、布団に近づき、
「ほら、寝てなきゃダメだよ」
と俺を布団に押し戻してきた。
「何だ、風邪か?」
「そうだよ。政志くん、暖房代ケチりすぎ。体温38度くらいあったよ」
そうか。昨日、ほとんどふらふらで帰ってきて、何だかダルいし、体が重いし、節々が痛い、と感じていたのは、風邪の影響だったようだ。
しかも38度もあるとは。彼女は看病してくれていたらしい。移るかもしれない、と思うとそれはそれで感謝したいし、人間、病気になった時に、誰かが傍にいるだけで心細くなくなるものだ。
それにしても、歌は上手いが、ある意味「労働者の歌」とも言える「LOVEマシーン」とは、何ともタイミングが悪いというか、彼女らしいというか。
この状態では、彼女に何かするなんてことは元々出来やしない。俺はただ天井を見上げながら、うわごとのように話していた。実際、会話の内容についてはあまり覚えていなかった。
「お前。せっかくそんな可愛いんだし、歌も上手いんだ。ギャルなんて辞めて、マジで歌手を目指せばいいだろ」
「えっ。もう一回言って」
彼女は、俺の一言に反応し、身を乗り出して、俺の布団の真横に来て、まるで覆いかぶさるようにして、顔を覗き込んできた。どうでもいいが近い。
熱に浮かされていた俺は、何か出来るわけではなかったが、綺麗な瞳だと思って、見つめてはいた。というより、体勢的には、「俺が襲われている」に等しい状況だったし、彼女の顔がわずか数センチ先にあった。
「だから、歌も上手いんだし、歌手を……」
「その前」
「その前? 可愛いんだし」
「私、可愛い?」
「可愛いだろ」
その瞬間、彼女の頬が少しだけ赤くなったように見えていたが、熱に浮かされて正常な判断力がなくなっていた俺には、ほとんど「夢」みたいにふわふわとした記憶しか残っていなかった。
「そっかー。まあ、政志くんが言うなら、しょうがないな。いいよ。マジで歌手を目指すよ。ギャルも辞めるし。って……」
だが、この時、熱にうなされていたような俺は、彼女がそこまで言っていたのを、気づくことなく、いつの間にか意識を失い、眠りについていた。
「寝るなよ、マーシー」
その時、俺は夢を見ていた。
かの有名な80年代のパンクロックバンド、「THE BLUE HEARTS」。夢の中で、俺は「終わらない歌」を聞いていた。
ボーカルの甲本ヒロトの、特徴的な声が響き、ギターの真島昌利のギターリフが聞こえる。
そう言えば、真島昌利のあだ名は「マーシー」だった。
「って、それだけ?」
2020年の世界に意識を戻し、僕は尋ねていた。
叔父さんは、珍しく、言いにくいことを仕方がなく呟くように、ボソッと小さな声で、真相を明かしてくれるのだった。
「まあ、寝てたから詳しくはわからない、が正しいが。夢の中で、何か妙に暖かい物が俺の唇に当たった気がした」
「つまり、キスされた、と?」
「わからん。そんな気がしただけだ。真相は彼女しか知らん」
「それにしても、なかなか羨ましいシチュだね。叔父さんも、やるね」
「だから、熱でよくわからなかったんだよ」
「またまた〜」
照れ臭そうに怒り出す叔父さんを、なだめている僕だった。
そして、同棲はしばらく続いたという。
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