8. 押しかけ女房

「へえ。やるじゃん、叔父さん。何もしなくてもモテるなんて。是非、秘訣を教えて欲しいね」

 その僕の一言が、かえって叔父さんを傷つけたのか。

 彼は、どこか遠い目をして、呟くのだった。


「秋子は、違うよ。あいつは、まあ。妹みたいなもんだったしなあ」

 だが、僕はその発言自体に、溜め息を突く。


「叔父さん。そんなだから、まったくモテないんだよ。女心がわかってない」

「じゃあ、お前はわかるのか? 今、付き合ってる彼女は?」


「いないけど」

「何だ、いないのか」


「いなくても、女心はわかるよ」

 反論されていたが、叔父さんの方が一枚上手うわてだった。


「へえ。わかった。じゃあ、ちょっと美桜みおを呼ぶか」

「ああ! それだけはダメ!」

 叔父さんが、悪魔のようにほくそ笑んでいた。

 美桜とは、僕の3つ年上の姉に当たるが、彼女は僕について、色恋事になると、色々と突っ込んでくる。というか、むしろ楽しそうに語って、要は「おもちゃ」にしてくるから苦手なのだ。


 勝ち誇ったような叔父さんの笑顔が憎たらしく見えた。

「姉さんのことはいいから、続きをお願いします」

 屈したようにそう告げると、叔父さんは憎たらしい笑顔のまま、続きを語り始めた。



 1999年12月11日(土)。

 世の中は、「ノストラダムスの大予言」が外れて、ホッとしていたが、IT企業関連に勤める人間にとっては、来たる「2000年問題」をどう対処するかで、躍起になっており、残業時間が増えていた頃。


「寒い」

 俺は、その頃、世田谷代田のボロアパートで震えていた。


 暖房は一応、エアコンと電気ストーブはあった。あったが、常に金欠の俺は、金がなく、ついには食費まで削っており、当然ながら、電気代に回す余裕がない。


 かと言って、家でただ震えて寝るだけでは、生きている価値もないと思い、室内なのにジャンパーを着込み、自宅にあったメガドライブを起動し、セガのゲームを遊んで、年越し前を過ごして、次のバイト代が入るまで耐える計画だった。


 当然、バイトのシフトは増やしていたから、自宅以外にいた時の方が、まだ「寒くない」という状態。

 家は、築30年は越える、木造のボロアパートだから、隙間風が入り、猛烈に寒かった。


 結局、あの「歌うガングロ少女」、里美とはあれ以来、あまり会うことがなくなっていた。

 彼女自身が忙しくライブ活動をしていたのと、俺もまた半ば諦めてはいたが、就職活動らしきものは行っていたからだ。


 もっとも、俺は面接にほとんど「落ちて」いたが。

 そして、そんな忘れていた時。


 「嵐」が向こうからやって来た。


―ピンポーン―


 呼び鈴が鳴った。

 この古いアパートには、呼び鈴と言っても、もちろん高性能なモニターも、インターフォンもなかった。

 文字通り、ブザーのような音が鳴るだけで、せいぜいドアにつけられている「覗き穴」から外の様子を見ることが出来るだけ。


(どうせ新聞勧誘だろう?)

 くらいに思いながら、俺は無視して、居留守を使い、アナログテレビの音量を下げて、ゲームを続けていた。


 すると、

「ちょっと! いるんでしょ、政志!」

 どこか聞き覚えのある、怖い声が聞こえてきた。


 てっきり、これは秋子の仕業だろう、と思い、面倒に思いながらも、ドアを開けたら、

「おっはー」

 そこには、秋子の声真似をして、舌を出して笑っていた里美が立っていた。しかも絶妙に上手い物真似だったから騙されていた。家の位置自体は、前に教えたことがあったが、まさか本当に来るとは思っていなかった。


「お前かよ。おっはーって時間じゃねえだろ」

 携帯なんてないから、自室の壁時計に目をやると、昼の12時くらいだった。それにしても、その日が土曜日とはいえ、何ともだらしないパジャマのままで、風呂にすら入っていなかった俺は、さすがに閉口して、彼女の用事だけ聞いて、さっさと追い出そうと思っていた。


「ああ。ちょっと話があるから、入れて」

 いつになく、強引に彼女は、文字通り「乗り込んで」きて、上がったのだった。


 その日は、いつものようなガングロではなかったが、髪の毛は染めたままで、やはりギャルっぽい格好というか、セーターの上にジャケットを着ていたが、下はこの寒いのに、膝くらいまでの丈の短いミニスカート姿で、厚底ブーツを履いていた。

 その女物の厚底ブーツが、我が家の玄関にあるのが、何とも不思議に見えた。


「何だよ、何もないぞ」

 そう言っても、一応はコーヒーくらいは出してやったが、部屋の真ん中にあるちゃぶ台を前にして、彼女は固まっていた。


「すごい部屋だね。時代を超越してるよ。ここだけ昭和?」

 固まっていた理由は、俺には想像がつく。


 我が家にあったものは、アナログテレビ、メガドライブ、年代物のミニコンポ、時代遅れの炊飯器、壊れそうな電子レンジ、今時珍しい黒電話、ドラム式洗濯機など。その全てが「昭和」なものだった。

 もちろん、金がなかったからだが。


「で、何だ?」

 ちゃぶ台を前にして、向き合い、俺もコーヒーを淹れて飲みながら聞いたら。


「あー。これからここで生活させて?」

「ぶっ」

 コーヒーをちゃぶ台に吹きこぼしていた。


「きたなーい」

「何て言った?」

 コーヒーの汁をティッシュで拭いながら、彼女に改めて、その「恐ろしい」一言を聞いてみた。


「だから、これからここで生活させて? って」

「何でだよ?」

 恋人でもないのに、いきなり同棲とか意味がわからん、というのがまずは常識的な考えだし、そもそも若い男女がこんな狭い一つ屋根の下で生活して、何か問題が起こらないはずがない。


「部屋をね。追い出されたんだ」

「だから何で?」


「家賃滞納」

 俺は、頭を抱えていた。


 詳しく事情を聞いてみると、どうも彼女は、一人暮らしをしていて、先日いきなり高校を中退して、今はフリーターをやっているらしいのだが、家賃が足りなくなって、払えなくなり、それが2か月続いて、ついには大家に追い出されたらしい。


「いや、そもそもお前。ライブ活動で稼いだ金があるんじゃないのか? そんなことしなくたって」

「わかってないなあ。ライブ活動なんて、ほとんど赤字だよ。チケットをさばけないと、ほとんど利益なんて入らない」


「そうなのか?」

「うん」


「それにしたって、ちゃんとバイトしてれば、家賃払えないとかないだろ? 何かしたのか?」

「うーん」

 言い淀んでいる以上、これはきっとロクでもないことだ。と、俺の第六感が告げていた。


「け、競馬でちょっと……」

「馬か! 最悪だな、お前」

 予想が的中していた。


「そんなこと言わずにさー」

 最悪の予想結果だ。つまり、こいつは高校を中退したフリーターでありながら、競馬に夢中になって、稼いだ金をつぎ込み、負けて「すっからかん」に近くなったのだろう。

 典型的な「ダメ人間」の生活だ。ギャンブルですり減らしたということは、俺以上にひどい。

 ちなみに「馬券」自体、「学生と20歳未満は買えない」ことにはなっていたが、今ほど規制が厳しくなかったから、実際には「事実上、買えた」のだった。


「第一、そういうのは、女友達のところに行くだろ、普通。何で、俺のところに来る?」

「だって、私、同性から嫌われてるから」

 意外と言うか、それとも男と女では考え方が違うのか。


 このガングロ少女は、どうも同性に友達がいないようで、困った挙句にここに来たらしい。

 まあ、「かわいそう」ではある。そんな「思いやり補正」が働いてしまったのがまずかった。

 だが、


「そもそも、男の俺の家でいいのか? お前を襲うかもしれないんだぞ。それに俺に彼女がいるかもしれんだろ」

 そう言って、脅したつもりだったが、彼女はあっけらかんと、


「それはない。君にそんな度胸ないし。それにこの部屋、見たら女がいないのわかるから」

 何気に、ものすごく傷つく一言をさらっと言ってくるのだった。

 男のプライドが傷つく一言だが、まったく反論できないのが、悔しいというか寂しい。


「しかしなあ……」

 なおも渋る俺に、彼女は土下座して頼み込んできた。


「お願い! 2週間だけでいいから。そしたら、次のバイト代が入るし」

「25日頃か」


「正確には24日」

 壁にかけていた紙のカレンダーを見る。


 その日は、12月11日(土)だった。

 あと約2週間後の12月24日(金)。クリスマスイブ。まあ、それはどうでもいいが、給料日の25日が土曜日だから、繰り上がって24日に支給ということだろう。


「家事を手伝え」

「わ、わかりました。掃除、洗濯、炊事。何でもやります」

 妙に下手に出て、敬語を使ってくるあたり、抜け目がないというか。


「わかった」

「マジで! 超助かる!」

 全身で喜びを表現していたが、俺は改めて釘を刺しておく。


「ただし!」

「はい?」


「12月24日には、何があっても出ていってもらうからな。ここは一応、単身アパートで、2人生活は禁止なんだ」

「わかってるよ」

 こうして、付き合ってもいない、俺と彼女の「奇妙すぎる」同棲生活が始まったのだった。

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