5. 互いの思い

「へえ。それでそれで。その里美さんとはどうなったの? それよりノストラダムスの大予言って何?」

 僕は楽しくなってきて、叔父さんについそんなことを聞いていた。


 だが、さすがにこの喫茶店に長居しすぎたのだろう。


 とっくに食事は終わっており、お互い手持無沙汰になってきていた。ちなみに、つい数年前まで叔父さんはタバコを吸っていたが、価格の高騰と、喫煙所自体が大幅に減ったとかで、辞めていたから、暇そうにしていた。


「この続きはまた今度な」

 そう言っては、席を立ち、会計を済ませてしまった。

 叔父さんは、食事を奢ってくれるのだった。


 だが、その反面、駅まで僕を送る時に、

「くそっ。今月も厳しい」

 と財布を開けて、唸っていた。


「何で、そんなにいつも金欠なの? お金ないなら奢ってくれなくていいよ」

「ガキは黙ってろ。色々あるんだよ、大人には」

 そう言っては、遮って、教えてくれなかったが。

 僕が思うに、叔父さんは「無駄遣い」が多すぎるのだ。


 すでに年代物になったゲーム機を多数所有し、その上、今やほとんどがサブスクで見れる映像コンテンツを、形のあるDVDヤブルーレイとして、コレクションしている。

 そんなことをやるのは、今の若者にはいない。


 あるいは、就職氷河期から続く、給料の少なさというのもあるだろうけど、それにしては一人暮らしをしていて、家族がいない割には、この叔父さんはいつも金がなかった。


 叔父さんは、僕を駅まで送ってくれて、「兄貴によろしく言っておいてくれ」と言い残して、立ち去ろうとしたが、何を思ったか、振り返って、妙に真面目腐った顔で、告げるのだった。


「ちなみに、ノストラダムスの大予言はもちろん何も起こらなかった」

 まるで、そのことを「誇らしげに」伝えるように。


 もちろん、僕は帰りの電車の中で、スマホから検索した。「ノストラダムスの大予言」について。



 約1週間後の8月9日(日)。僕はまたも叔父さんの家に向かうのだった。今度は母、つまり叔父さんにとって「義理の姉」から「実家からもらったリンゴを届けてけろ」と言われて。母の実家は、青森県のリンゴ農家だった。


「叔父さん。いるんでしょ?」

 しかし、インターホンをいくら鳴らしても、携帯をいくら鳴らしても返事がなかった。


 マズい。これは独身の叔父さんが、絶望して自殺したか、それとも急病で意識不明になったか、と本気で心配したが。


 やがて、ゆっくりと内側からドアが開かれ、まるでゾンビのように白く、不健康そうな顔をした叔父さんが、だらしない白いTシャツに短パン姿で出てきた。


「何してたの、叔父さん」

「ああ。二日酔いでな。死にそうなくらい頭が痛い」


 とりあえず入れてもらったが、相変わらず部屋が汚い。というか、この間、掃除したばかりなのに、元に戻っていた。

 今度は、ビール缶が床に散乱し、食べかけのスナック菓子の袋が転がっている。


 これは「目も当てられない」状態だ。

 仕方がないから、またも僕が片付けて、死にそうな顔の叔父さんを椅子に座らせて、台所で水を汲んでコップを渡した。


「ああ。ありがとう」

「まったく。何してんのさ。母さんも心配してたよ」


幸子さちこさんか。兄貴にはもったいない嫁さんだ」

 幸子とは、僕の母の名前。昔ながらの、いかにも「昭和」風な名前とも言えるが、確か叔父さんと年齢的にはほぼ変わらないはずだ。


「まあ、大人になると色々あるんだよ。会社とか、会社とか、会社のクソ上司とかな」

「会社しかないじゃん!」

 突っ込んだところで、改めて叔父さんに聞いてみることにした。今回は、こんな状態の叔父さんを無理に外に誘おうとは思わないが。


「この間の話の続きだけど」

「ああ」

 水を一杯飲んだ叔父さんが、死にそうなゾンビから、顔色の悪いゴブリンくらいに回復したのを見届けた僕に、彼はおもむろに語り出したのだった。


「結局、どうなったの?」

「ああ」

 叔父さんの意識が、また1999年に戻る。



 1999年7月。ノストラダムスの大予言は何事もなく、世は平和に過ぎ去り、8月になっていた。


 結局、あの不思議な女、大門寺里美は、5月に知り合って連絡先を教えた割には、それから一度もファミレスに来ることがなく、5月、6月、7月は過ぎ去っていた。家電には、そもそも留守電機能すらついていなかったから、電話が来たかどうかもわからない。


 一体あれは、何だったのか。ただの「ガングロギャルの気まぐれ」かと思うくらい、何もなかった。


 俺は、就職活動の大事な時期に、普通にファミレスでバイトをしていた。大学の単位自体は、卒業できる規定を満たしており、後は卒業論文さえ出せば、簡単に卒業できるから、全く油断していた。

 というか、将来の展望について何も考えていなかった、が正しい。


 そして、ファミレスでいつも通り働いていた、8月の平日の夕方。

 その日は、夕方からシフトに入ると、いつもはいない珍しい人影が、バックヤードにあった。


「秋子」

 ショートカットの、男の子のような女性が、ファミレスの制服である、黄色いエプロンを巻いて、スカート姿で立っていた。身長160センチくらい。

 目が合うと、彼女は明るい笑顔を見せて、


「政志。久しぶりね」

 と言ってくる。


 彼女の名前は、高梨たかなし秋子。当時、俺の周りではまだ「秋子」や「陽子」みたいな昭和な名前の女子が同世代にたくさんいたが、彼女は俺と同い年の「幼なじみ」に近い存在だった。正確には、中学・高校と同じクラスで、実家が近く、大学も同じところで、さらにバイト先まで一緒だった。


 どちらかというと「兄妹」に近い。もっとも、向こうの方が俺より少し早生まれで、性格的にもしっかりしていたから、「姉弟」に近いが。男友達や家族のように気軽に話せるが、過去を知られているから、弱みを握られているような存在でもあった。


「お前。教育実習は?」

「やってたわよ。夏休み前に終わったけど」

 彼女は、どうも「教師」になりたいらしく、わざわざ教員免許試験にも合格していた。

 俺なんかより余程、しっかりと将来の展望について考えていた。しっかり者で、その性格からか、このファミレスでも店長を始め、同僚から最も頼りにされていた。


「そうか。で、何で久しぶりにここに?」

「ああ。夏休み中ずっと家庭教師のバイトしててね。ちょっと空いたから、来たの。ついでにあんたの様子を見に来た。どうせ、ロクな物食べてないんでしょ」

 そう言っては、まるで親戚のおばさんのように、俺の食生活にまで介入してこようとする。


(マズい)

 このままだと家に来そうな勢いだった。

 この当時、俺は世田谷代田駅近くのボロアパートを借りて、一人暮らしをしていたが、今以上に金欠だったから、常に食費を削り、冷暖房もほとんどつけずに光熱費を削って生活していた。


 さすがに、あの「惨状」をこいつには見られたくない。

 とも思ったが、その前に、


「後でカレー持っていくから」

「えっ」


「えっ、じゃないでしょ。あんたみたいな生活してたら、死ぬよ」

 マズいことに家に来るという。


 本格的にヤバい。この女は、ある意味、情け容赦がないので、徹底的に破壊するように、部屋を荒らして(片付けて)、終いには自分の部屋なのに、どこに何があるかわからなくなる。それが俺は嫌だった。


 断る口実を探すも、

「じゃあ、後でねー」

 あっさりとホールに出てしまっていた。


(面倒だな。帰るまでに断る口実を探そう)

 そう思いながらも、俺はその日の労働、バイトを続けた。


 深夜23時。ファミレスが閉まる時間まであと1時間。

 あと30分でラストオーダーだし、もう今日はさすがに忙しくならないだろう。


 そう予想していたら。

「いらっしゃいませ」

 バイトの誰かの声が、静かな店内に響いた。


 見ると、入口のドアを開けて入ってきたのは、ギターケースを背負った小柄な少女だった。

 しかも今日は、思いっきりガングロだった。間違いなくあの女、大門寺里美だった。


(ヤバい)

 と思い、咄嗟に隠れようと思ったが、それはそれで「負けた」気がするから、すぐに考え直した。

 彼女の元に接客に向かおうとする、バイトの同僚のウェイトレスを引き留め、俺が彼女の元に向かうことにした。


「いらっしゃいませ。メニューはこちらです」

 わざとらしく、知らない振りをした。普通に接客して、メニューをテーブルに置く。一人で席に着いて、ギターケースを降ろす彼女と視線が合った。


「おっはー、政志くん」

「おっはー、じゃねえよ。何時だと思ってる?」


「いやー。スタジオで練習してから、お酒飲んでてさ。今日の演奏は、チョベリグだったよ」

「チョベリグじゃねーよ、まったく」

 面倒臭いのに加えて、未成年のくせに息が酒臭かった。

 チョベリグ=超ベリーグッド、チョベリバ=超ベリーバッド。当時のコギャルの間で流行っていた言葉だ。


 ひそひそ声で会話をしていると、いつの間にか、バックヤードから出てきた、秋子が腕を組んでこちらをいぶかし気に見つめているのに気づいた。


 仕方がない。

「さっさと注文を頼め」

 と、投げやりに言ったら、


「ひどーい。お客さんにそれはないんじゃないかな。訴えるよ」

 と怒られた。


 バックヤードに戻ると、秋子が怖い顔で腕組みをしており、

「誰、あのコギャル? 知り合い?」

 と睨まれていた。


「いや、まあ。知り合いというか、成り行きで知り合ったというか」

「ふーん。あんた、あんな頭悪そうなコギャルが好みなの?」


「いや、別に好みじゃないけど」

「そうなんだ。あんな馬鹿っぽい子は辞めた方がいいよ」

 そう告げたまま、彼女は料理の準備のため、厨房へと消えていった。


 やがて、呼び鈴が鳴り、彼女の元へと向かう。

 注文は、

「コーヒー。ブラックで」

 と、彼女は手に持っていたウォークマンのイヤホンを片耳だけ外し、幼い少女に見える容姿に似つかわしくないようなものを頼んだが、またも俺の左手のてのひらに小さな紙片を渡してきた。


「かしこまりました」

 一応は、礼節を弁え、厨房に戻る途中、その紙片を開けてみた。


―バイトが終わったら、ちょっと付き合って。駐車場で待ってる―


 今回は、出逢った時と同じ格好の、ガングロ少女、里美から謎の「深夜デート」らしきものに誘われていた。


 人生とはわからないものだ。いや、もしかしたら、俺にとっての「モテ期」とはこの時が最初で最後だったのかもしれない。


 1996年リリースのZARDの名曲「マイフレンド」が、人気ひとけのほとんどいないファミレスの店内BGMとして流れていた。

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