2. 不思議な少女との邂逅

 政志叔父さんを訪れたことで、僕は叔父さんの青春時代を知ることになる。


 以降、叔父さんが自分の記憶を回想してくれることになった。



 1999年(平成11年)5月、東京。

 当時、俺、葦山政志は小田急線の沿線沿い、世田谷区代田だいた、つまり世田谷代田駅近くの築30年以上はする、木造のボロアパートに一人で住んでいた。


 21歳。ちょうど大学4年生の頃だ。誕生日は12月だから、まだ21歳の若造だった。


 現在と違い、まだネットが今ほど普及しておらず、携帯も今とは全然異なり、細長くて、画面が薄暗い物がかろうじてあるだけで、普及率も低く、「ツンデレ」という言葉も「メイド喫茶」もなかった時代。


 俺は、確かに「彼女」と出逢ったのだ。


 それは、偶然が産んだ産物だった。


 1999年5月中旬、新宿・歌舞伎町。

 今でこそ、だいぶ「浄化」されて綺麗になったが、当時の新宿の歌舞伎町は、ある意味非常に「カオス」な世界だった。


 あちこちで、怪しい風俗店の客引きが声をかけて、ぼったくりバーに客を誘導しようとしていたし、怪しい中国人か韓国人か、インド人か、よくわからない外国籍の男たちが我が物顔に闊歩かっぽしていた。


 まだ、コマ劇場もその横のミラノ座(新宿TOKYU MILANO)もあった時代。


 就職活動に後ろ向き、というか。イマイチやる気が起きなかった俺は、その日の夜にたまたま一人で飲み歩き、新宿駅を目指して、深夜23時頃に駅まで帰ろうと、若干、酒が残る千鳥足で歩いていた。


「お姉ちゃんさあ。付き合い悪いよ。ちょっとだけでいいからさあ」

 確か、さくら通りの辺りだったと思う。


 前方からいかにもホスト風というか、着飾ったスーツを着た、金髪の青年が歩いてきており、そのすぐ横に若い女性がいた。


 いたのだが、彼女が「若すぎる」ように見えた。

 高校生くらいか。いや、中学生にすら見える小柄な容姿で、身長も150センチと少しくらい。腕も足も華奢で細く、力を入れると、すぐに折れてしまいそうなほど。

 そして、顔が特徴的だった。


 濃い褐色の顔にオレンジからブロンド、「ハイ・ブリーチ」として知られるシルバー・グレーに染める組み合わせを用いている。さらに黒いインクをアイライナーとして、白のコンシーラーを口紅やアイシャドーとして用いている。おまけに、つけまつげやメイク用のラインストーン、パールパウダーなどをつけている。


 いわゆる「ガングロ」の女子高生で、ブレザーの制服姿に、ルーズソックスとローファーを履いている。その割には、背中にギターケースを背負っているのが特徴的だった。


 その一見、「怖そうに」見える外見とは裏腹に、少女はどこか「気弱そうに」目を泳がせており、まるで誰かに「助けを求めて」いるようにも俺には見えていた。


 そして、たまたまその少女と目が合ってしまう。

(助けて)

 そう訴えているようにも見えたが、俺は厄介事には関わりたくなかったし、そもそも喧嘩は苦手だ。


(悪いな。運が悪かったと思ってくれ。大体、こんな夜にここを一人で歩く方が悪い)

 立ち去ろうと、男と少女の脇をすれ違った。


 そして。

 咄嗟に自分の身体が動いていた。


 俺は、ホスト風の男の右肩からタックルをかけて、そいつを一瞬、ひるませた隙に、少女の右手を掴んで、そのまま駆けだしていた。


「てめえ! 待てや、コラ!」

 さすがに、物凄い形相を浮かべて、ホストが追ってきた。


 このままだと、体力に自信がない俺は、追いつかれるだろう。おまけに、酒が回ってきて、吐きそうになっていた。

 そこで、俺は考えを巡らすと、奇策に打って出ることにしたのだ。


 当時の歌舞伎町は、まさに「眠らない街」の様相を呈していて、特にメインストリートの歌舞伎町一番街と、大きな通りである靖国通りには、深夜でも常に人で溢れていたし、週末でさらに人が多かった。


 一方、怪しい風俗店が建ち並び、怪しい客引きが多い、さくら通りにはそれほど人通りはない。


 俺は走って、彼女を連れて、通りを抜け、歌舞伎町一番街に入ると、その雑踏の中に飛び込んだ。


 その小さくて、華奢な細い腕は、思った以上に頼りないものだったが、彼女は文句一つ言わずに黙ってついて来たのだった。


 そして、多くの雑踏の中をかき分けるようにして、一番街を突っ切り、ようやく靖国通りにたどり着く。


 運がいいことに、ちょうど信号機が「青」だった。


「待てや!」

 まだ追ってくる声が後ろから響いていたが、声は先程よりも遠くなり、雑踏に紛れている。


 俺は、真っ直ぐに横断歩道を渡り、新宿アルタ前に着く。信号機は「赤」だったが、ここまで来ると一安心になる。


 何しろ、ここからは信号機の向こう側、地下通路の脇に、交番が見えているから、いざとなればそこに飛び込めばいい。


 だが、男の声は聞こえなくなっていた。

 振り向くと、さすがに雑踏の中に紛れて、諦めたのか。追手が来る気配は消えていた。


 そこで、俺はいまだに少女の細腕を掴んでいることに気づき、

「ご、ごめん」

 慌てて、手を放していた。


 そのガングロ少女は、見た目こそ完全に、その時代に流行った「コギャル」風だったが、中身は別物のように穏やかに見えた。


「ありがとうございます」

 丁寧に頭を下げてきた。


 だが、改めて見ると、本当に小柄で、華奢な細い身体つきをしている。というか、こんな子がここにいてはいけない。

「君、いくつ? 中学生? 高校生? ダメだよ、こんな時間にあんな場所にいたら。さっさと家に帰りな」

 老婆心ながら、そう指摘したのだが。


「高校生だよ。ちょっと新宿に用事があっただけ」

 口を尖らせて、怒ったように反論してきた。どうでもいいが、最初のお礼以外は、完全にタメ口だった。舐め切った態度だ。


(まったく。ガキだな)

 当時、21歳の俺からすれば、高校生なんてのは、「ガキ」に見える。おまけにこの子は、通常の女子高生の平均身長よりも背丈が低いし、俺は当時でも178センチはあったから、身長差が30センチ近くはあるから見下ろす形になる。


「ま、とにかく帰んな。気をつけてな」

 そう告げて、立ち去ろうとしたら、左腕を彼女に捕まれていた。


「何だ?」

 振り返ると、彼女は俺の左手のてのひらに何かを押しつけるようにして、手渡してきた。


 妙に真剣な表情で、彼女は、俺を「試す」ようにこう告げたのだ。

「私、ここでライブしてんだけど。チケット、タダであげるから、今度見に来てよ」

「いや、タダってのはさすがに」

 言い淀む俺に、そのガングロ少女は、名前も告げずにこう言ってきたのだった。


「いいから! 今日のお礼だと思ってさ!」

 有無を言わせない強い口調で、そう告げると、彼女は再び歌舞伎町方面に走って行った。


「おい!」

 さすがに心配になって、その背に声をかけると、


「私、西武新宿線使うから。じゃあ!」

 そう叫んで、去ってしまった。


 そう。この先の歌舞伎町方面に行く途中に、西武新宿駅がある。

 それはいいが、左手の掌に握られたチケットを改めて見てみた。


 そこには、こう書いてあった。

「ノストラダムスの大予言を吹き飛ばせ! 世紀末ライブ開催、Amiアミ

 と。


「Ami? 聞いたことねえ。鈴木あみか?」

 ノストラダムスの大予言、そして鈴木あみ。

 世紀末を彩るキーワードがこんなところで聞けるとは思わなかったが、恐らくこれが彼女の本名だろう。


 漢字はわからなかったが。

 そして、そのライブは、それから3日後に、渋谷センター街付近にあるライブハウスで行われるということがわかった。


(センター街か。厄介だな)

 当時のセンター街を知る俺は、頭を悩ませるそのキーワードに「心が引っ掛かって」嫌な予感を感じていた。

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