おじさんの青春

秋山如雪

【1】1999年

1. コロナ禍の夏休み

 これは、僕、葦山あしやま海斗かいとが、コロナ禍の夏休みに、父の弟、つまり叔父を訪れた時に聞いた物語であり、僕が知らなかった、「叔父さん」の過去の物語でもある。



 2020年(令和2年)8月。

 この年の1月から突如始まった「コロナ禍」。4月には、緊急事態宣言が出され、街から人がいなくなった。


 一旦は、その「第一波」が収まり、緊急事態宣言は5月に解除されるも、夏に向けて再び「第二波」が襲来した。


 7月後半の4連休には、政府主導の旅行支援策「Go Toトラベル」に東京が除外され、全体的な自粛ムードが広まり、夏休みやお盆休みの帰省の動きが鈍る。


 この時期の、東海道新幹線の利用客は、通常の75%も減っていたというデータがあるほどだ。

 おまけに、この年の夏は気候が悪かった。7月に長雨、8月に猛暑。


 マスク生活が当たり前になり、大勢での会合や飲み会なども自粛されていた。


 そんな中、大学2年生、20歳の僕は、暇な夏休みを持て余していた。その頃、まだ実家暮らしで、余裕があり、バイトもせずに自宅でゴロゴロしていたら、父に「叔父の様子を見て来い」と言われ、渋々ながらも、叔父が一人暮らしをしている、千葉県柏市に向かった。


 叔父さんは、1977年生まれの42歳、独身。

 もはや結婚は望めないという年齢だったが、未だに独身を貫いていた。


 この奇妙な叔父さんは、一応はIT系企業の会社員として働いているらしいが、どうもプライベートが全然見えない。

 容姿は、甥の僕が言うのも難だが、「冴えない」中年の風貌をしており、最近、頭に白い物が混じってきているし、腹も醜く出てきていた。

 趣味は、ゲームくらいしかないくせに、いつも金欠で、その上どこかやる気が感じられず、ダラダラと日々を生き抜いている、何とも「頼りない」中年男性だ。


 僕と趣味が合うことと言えば、「野球」の話題くらいだろう。叔父さんの兄、つまり僕の父が「野球好き」で、昔、実際に中学・高校時代に野球部にいたことと関連しているかもしれない。

 叔父さんには、妙に「野球」の知識があった。


 前置きが長くなったが、こうして僕は、叔父の元へと向かったのだ。



 2020年8月1日(土)

「はいよ」

 叔父さんが住んでいる、ワンルームの賃貸マンションの3階の一室のインターホンを鳴らしてみたら、特徴的なイケボが聞こえてきた。この叔父さん、声だけはカッコいいのだった。

 ここは築20年くらいの古いマンションで、オートロックもついていないから、ほぼ誰でも共有スペースに入れる。


「僕だよ。海斗」

「おお」


 出てきた叔父さんは、相変わらず「汚い」というか、だらしなかった。


 着古した白いTシャツに、薄汚れた黒いスウェットを履き、百均で買ったような、安物のスリッパを履いている。黒縁の古い眼鏡をかけていたし、髪もボサボサだった。

 髪自体は、一応は会社員だから、耳くらいまで切り揃えているが、顎髭が伸びており、どこかだらしなさを感じる風貌。背丈だけは高く、178センチくらいはあるが、食生活が乱れているのか、痩せていて、顔色が悪く、不健康そうに見える。


「久しぶりだな、海斗。大きくなったな。高校生くらいか?」

「もう大学生だよ。入っていい?」

 実際に叔父さんに会うのは、2年ぶりくらいだった。


 首肯する叔父に従って、部屋に入るが。

「うっわ」

 マジで、絶望の声が漏れていた。


 汚い。

 まず物、私物が多いのだ。もう使っていないと思われるような年代物のCDラジカセ、古いゲーム機、古いブルーレイやらDVDがそこかしこにあり、おまけに床にも物が散乱していた。


「叔父さん。片付けようよ」

 呆れて僕が声を上げても、彼は変わらない。


「ああ、面倒なんだよ。どうせ俺は一人で、ここに来る奴もいないし」

 心底、呆れていた僕。いくら「彼女」がいないとはいえ、昨今の「子供部屋おじさん」並みに、だらしがなかった。


 いわゆるZ世代の僕からすれば、結婚を「しない」のか「できない」のかはわからないが、結婚自体に「コスパが悪い」と感じる現代だから、別に叔父さんが結婚しないことを否定はしないが、それにしてもだらしない。


 僕は、この叔父さん、本名、葦山政志まさしという男にこう告げるのだった。


「とりあえず掃除しよう」

「えーっ」

 相変わらずというか、予想以上に不服そうな叔父に発破をかけて、とりあえず古ぼけた掃除機を押し入れから引っ張り出し、床に散乱した物を片付け、一通り、掃除機をかけた。


 その後、

「あー、疲れた」

 と、いかにもやる気がない叔父さんに、僕は、鬱屈としたこの部屋から離れることを提案するのだった。この空気が淀んだような空間にいたくなかったのかもしれない。


「喫茶店にでも行こう」

 と。


 ちょうど、昼時だった。

 8月の土曜日。クソ暑い猛暑の中だったから、叔父さんは、


「面倒。出たくない。クーラーがあるここにいたい」

 と言って、ごねていたが、強引に連れ出すように外に出た。叔父さんは渋々ながらも、Tシャツとスウェットを脱いで、薄い青色のTシャツと短パンに着替えて、サンダルを履き、出かけることにしたようだった。


 そして、柏駅前まで行くことにして、飯でも食おうと思ったのだ。

 その途上、僕は気になっていることを、彼にぶつけてみた。

「叔父さんさあ。最近、女の人と会話してる?」


「してるぞ」

 マジか。この「モテない」叔父さんがまさか、と思っていたら。


「誰?」

「コンビニの店員」

 僕は、ずっこけそうになっていた。


「いや、それ会話って言わないから」

「そうか?」


「他にもいるぞ」

「誰?」


「会社のトイレにいる、掃除のおばちゃん」

「いや、それ変わらないから!」


「そうか?」

「そうだよ!」

 何だか疲れてきた。この人、一体どんな生活を送ってるんだろう。相変わらず私生活が謎だった。


「ああ。それならもう一人いた。今度はちゃんと会話してる」

「マジで?」

 内心、もう期待はしないと思いつつも、促すと。


「クリーニング屋のお姉さん。Yシャツ出してるから、いつもありがとうございます、って笑顔で言ってくれる」

「いやいや、ただの営業トークでしょ!」

 もうダメだ。この叔父さんには何も期待しないし、出来ない。


 喫茶店にたどり着いた。

 ちょうど昼時ということもあって、店内は混んでいたが、たまたま席が空いたようで、僕と叔父さんはカウンターで、コーヒーとパンのセットを注文し、受け取って席についた。


「あのさあ、叔父さん」

「ん?」


「何で、そんなに女っ気がないの? モテたことないの?」

 この僕の一言が、そもそものきっかけだった。


 叔父さんは、この一言に、珍しく真剣な表情を眼鏡の奥から覗かせた。

 そして、一言、諭すようにこう告げたのだった。


「恋バナが聞きたいのか?」

「いや、別に……」

 咄嗟に否定はしていたが、僕は一応、そういう話に興味がある年頃だから、実際には気になってはいた。


 叔父さんは、一つ小さな溜め息を突いて、コーヒーを一口飲むと、コップを置いて、語り出した。

「そんなことはないさ。俺だって、40年以上生きていれば、色恋の一つや二つある」


「マジで。ちょっと聞かせてくれない?」

「いいぞ」

 こうして、政志叔父さんの「青春」が語られることになったのだ。


 それは、僕の想像のはるか斜め上を行く、叔父さんの「知られざる過去」だった。

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