10,露出狂とセレナーデ ー犯人の特定ー

 フォギーフロッグの北東部にある、とある一軒の家。


 その家は、ジェフ・ゴードンという男の家である。彼はこの家に妻と2人で暮らしている。


 彼の職業は、フォギーフロッグにある建設会社のセクションチーフ。会社の中でも、責任を負うことが多いポジションだ。


 その為、給料は多く貰っており、高級住宅街であるフォギーフロッグの北東部に家を建てることが出来た。


 フォギーフロッグのセレブ達が集まるこの住宅街では、彼の家は少々見劣りするが、それでも一般的なものと比べれば充分立派である。


 そんな立派な家の玄関に、ゴードンはいた。


 黒色の革靴を履き、玄関扉の前に立つ。


「あんた、どっか出かけるの?」


 ゴードンの後ろから気怠そうな女性の声が聞こえてきた。彼の妻である。


 ゴードンはその声に驚き、身体をビクッとさせた。


「…あ、ああ。友人とゲートボールをしに行くんだよ。」


 ゴードンは引き攣った笑いを見せながら答える。すると、妻は訝しげな表情で言う。


「ふーん。夜までには帰ってくるんでしょうね?」


「ああ、もちろん…。明日は仕事だからね…。」


「…あれ?今日はシルクハットとロングコートは着ないの?」


 妻はゴードンをジロジロと見ながら問う。


「いや…あれは夜に着るやつだから…。」


「あの恰好さぁ…顔とか隠しやすいし、浮気とかするには最適な服装だよね?」


 それを聞いた瞬間、ゴードンは慌ててそれを否定する。


「浮気なんてしないよ…!夜は遅くならないようにいつも帰っているだろう…?平日は出かけないようにしてるし…。それに出かける時も行き先は伝えてある…。」


「今日は出かけるなんて言ってなかったわよね?」


「…。」


 ゴードンは押し黙ってしまう。そんな彼を見た妻は溜息を吐いてから言った。


「こっちは貴方を信用してるのに、そんな勝手にふらっと出かけられたら困るのよ。…まぁ、いいや。夜遅くならないでね。」


 妻はそう言うとリビングの方へと捌けていった。


 その背中を見送った後、ゴードンは湧き上がってくる怒りを抑えて、玄関扉に手を伸ばした。


 いつもより重く感じる扉を開くと、そこにはいつも通りのフォギーフロッグの住宅街が広がっていた。


 先程も述べた通り、ここは高級住宅街である。だから、一般的なものよりも豪華な家が並んでいるし、通りを歩いている人達は皆華やかな服を身に纏っている。


 それらを見る度に、自分が成功者の側だと実感できるので、ゴードンはそれを心のよりどころにしていた。


 家を出たゴードンは、通りを歩く人達の流れに沿って歩き出した。


 すると、数歩歩いた所でとある人物達がゴードンに話しかけてきた。


「どうも。ジェフ・ゴードンさんですね。スコットランドヤード警察です。少々、お時間いただけますでしょうか?」


 ゴードンは話しかけてきた人物達の方を見やる。


 そこには、スコットランドヤードの制服を着た2人の男性警官が立っていた。


 そう、オーランド・ラドクリフ警部補とレイク・ラー巡査部長である。


「け、警察…!?」


 ゴードンは驚き、一歩後退りした。


「はい。昨晩、この街の南西部で、女性が突き飛ばされて怪我を負うという事件が発生しました。その事件の容疑者としてあなたの名前が挙がりました。…ご同行願えますか?」


 オーランドがそう言って、ゴードンに一歩近づく。


「え、えっと…。それは…ちょっと…。すいません、これから友人に会うので…。」


 ゴードンはそう言ってオーランドの横をするりと通り抜けようとする。


「いえ、あなたに容疑がかかっている以上、ご同行して頂きます。」


 しかし、オーランドがサッと腕を伸ばし、彼を引き留める。


「ほ、ほんとに無理ですから…!!ゆ、友人が待ってるんで!!」


 ゴードンは額に大量の汗を浮かべながら、大声で言う。かなり焦っているようだった。


 ゴードンは無理矢理オーランドを押しのけて速足でこの場を去ろうとした。


 体を押しのけられたオーランドは、ゴードンを逃がすまいとすぐさま彼の左腕を掴もうと右手を伸ばす。


 オーランドは後ろからゴードンの左腕を掴まえ、彼の逃走を阻止した。


 腕を掴まれて焦ったゴードンはパニック状態に陥る。


 この警察官達は、昨日の傷害事件の犯人が自分だと気づいていると悟ったからだ。


 なんとしてでもこの場から逃げなければ…!そう思った彼は、身を翻し、掴まれていない方の腕を振り上げた。


「は、離せぇえええ!!」


 ゴードンはそう叫んでオーランドに殴りかかる。


 勢いよく放たれたゴードンの右ストレートが、オーランドに向かってくる。


 しかし、オーランドは左側に回り込むようにして、それを軽く避ける。


 続けて、オーランドは右足でゴードンの足元をサッと払う。


 すると、バランスを崩したゴードンはそのまま地面に倒れ込んだ。


 最後に、オーランドは掴んでいたゴードンの左腕に関節技を極め、動けないよう拘束する。


 ゴードンは拘束されても尚、抵抗を続ける。


 だが、最終的には逃げられないと判断したのか大人しくなった。そして、彼は弱弱しい声で言った。


「怪我をさせるつもりなんてなかったんです…!」


 その言葉に対してオーランドが返す。


「そうだったのかもしれませんが、あなたは相手に怪我を負わせてしまいました。そうなった以上、どうにもなりません。」

 






 その後、ジェフ・ゴードンは連行されていった。


 彼は傷害罪の罪と、街で露出したことによる猥褻の罪を認めた。


 アリスは、彼が連行されていく様を、その向かい側にある赤レンガの壁にもたれ掛かりながら眺めていた。


「犯人を特定できてよかったな、アリス。お手柄じゃないか。」


 アリスの左側にいるジョンが、明るい口調で言った。それに対してアリスは、腕組みをして彼を睨み、少し怒ったような口調で言葉を返す。


「いいわけねぇだろ?偶然聞いたバカみてぇな噂話を警察に伝えただけだぞ、私がしたことは。これじゃあ、探偵じゃなくて伝書鳩じゃねぇか。なんの手柄でもねぇよ。」


 アリスはつまらなそうな顔でゴードンの家の方を見た。


 ゴードンの家の前にはゴードンの妻が立っている。彼女は警察官から話を聞いているところであった。


 恐らく、ゴードンが逮捕されたという旨の話を聞いているのだろう。


 彼女は話が聞こえているのかも怪しいほど呆然としていた。


「ゴードンさんの奥さんはどうなっちゃうんだろう?」


 アリスの隣でしゃがみ込んでいるコリンが、少し悲しげに問いかける。


 アリスは彼の方をチラッとみた後、毅然とした態度で答える。


「さぁな。傷害罪っつっても大怪我負わせたわけじゃねぇし、野外の露出もそんな重い罰則にはならねぇだろうから、ゴードンはすぐに戻ってくるだろ。まぁ、これまで通りの生活を送るってわけにはいかんだろが。」


「…そっか。」


 アリスの返答を聞いたコリンは、それだけ呟き口を閉じた。


「何はともあれ、これで一件落着か?」


 ジョンがやれやれといった様子で、アリスに問いかける。


 すると、アリスは面倒臭そうにそれを否定する。


「いや、まだ確かめたいことがある。」


 アリスが言葉を言い終えた瞬間、彼女達3人の前にとある人物が姿を現した。


 アリスはその女性を見るなり、壁にもたれかかるのをやめ、彼女の方へと向き直った。


「どうも、ベネット夫人。すみません、こんな所までわざわざ来ていただいて。」


 アリス達の前に現れた女性とは、露出狂の被害者であり、その露出狂の確保を依頼してきた張本人、ベネット夫人であった。


「露出狂の正体がわかりました。あの向かいの家に住んでいるジェフ・ゴードンという男性です。昨晩、彼は犯行に及んだ際、被害女性と揉み合いになり、彼女に怪我を負わせました。捕まった際、彼は露出狂の件も犯行を認めたそうです。」


 アリスがベネット夫人に説明する。それを聞いたベネット夫人は、ゴードンの家を見やった。


 丁度、ゴードンの奥さんが貧血でも起こしたかのように、ふらふらと地面にしゃがみ込む様子が見えた。


 ベネット夫人は再びアリスの方を向き、彼女にお辞儀をする。


「…ありがとうございます、探偵さん。」


 ベネット夫人にお礼を言われたアリスだったが、どこか腑に落ちない様子であった。


 少しの沈黙の後、アリスは口を開いた。


「いえ、私は殆ど何もしていません。犯人を特定しようと奔走しましたが無理でした。それは私の探偵としての能力が低いからに他なりません。しかし…」


 アリスは言い淀んだ後、言葉を続ける。


「仮に、私がホームズのような聡明な人物であったとしても、貴方の証言によって、犯人の特定は少なからず難航したと思うんです。」


「…。」


 ベネット夫人は俯きながらアリスの話を聞いていた。


 そんなベネット夫人を見ながらアリスは言う。


「貴方の話には所々変な箇所がありました。…なぜ、証言に噓を混ぜたんですか?」


 ベネット夫人は押し黙ったままである。


 アリスは更に一歩踏み込んだ。


「…っていうか、貴方は露出狂の被害になんて遭ってないですよね、ベネット夫人?」

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