2,露出狂とセレナーデ ー本日の依頼人ー 

「え? 露出狂……? 」


「はい……! 露出狂を捕まえてほしいんです、探偵さん! 」


「え、えぇ……」


 アリスは彼女の言葉に困惑したような表情を浮かべる。


「……ねぇ、ジョン。露出狂(exhibitionist)って一体何? 」


 ベネット夫人の言葉を聞いていたコリンが、ひそひそ声でジョンに質問する。


「あー……露出狂って言うのはなー……えー……」


 その質問を聞いたジョンは少し迷ったあと立ち上がって、コリンを部屋の隅へと誘導し、耳元で答えを囁く。


 アリスはその様子を横目で見た後、ベネット夫人に笑顔で言った。


「申し訳ありません、何度も話の腰を折ってしまって。ベネット夫人、もう少し詳しく教えていただけますか? 」


 アリスがそう言うとベネット夫人は事件の詳細を話し出した。


「は、はい……。昨日の夜11時頃のことです。私は借りていた本を返すために、友人の家へと出向きました。夜の街はとても暗くて、街灯が道を照らしてはいましたが、それでもとても不穏な雰囲気を醸し出していました。私は不安でしたが、何とか友人の家の近くまで辿り着くことができました。しかし、そこで……露出狂と遭遇しました……」


 ベネット夫人は話しづらそうにしながらも続ける。


「友人宅が目前に迫った時、前の方から茶色いロングコートを着た人物が歩いて来ました。私は少しその人物を不審に思いましたが、そのまますれ違ってしまおうと歩き続けました。しかし、彼は私との距離が16フィート(約4.9メートル)くらいになった時、突然立ち止まりました。そして、仁王立ちをして、両腕をクロスさせてコートに手をかけました……。それから、こう……バッ! っと……」


 ベネット夫人はコートを広げるジェスチャーをした。


「彼がコートを広げると、彼の素肌が露わになりました。コートの下には何も身につけていませんでした。ですから、その……彼の"もの"も、全て丸見えでした……」


 ベネット夫人の言葉を聞いたアリスは同情するように彼女に言う。


「それは災難でしたね、ベネット夫人。同じ女性として非常に腹が立ちます。その露出狂の陰茎を引きちぎって、そいつの口に突っ込んだ後、その状態でバレエを踊らせるくらいのことはしてやりたいですね」


「えぇ……!? それはちょっと……。流石にやり過ぎでは……? 」


 アリスの発言にベネット夫人は若干引きながら答える。


 彼女の反応を見たアリスは、少し慌てて発言を訂正した。


「すいません、冗談です。……それでその後、露出狂は? 」


 アリスが尋ねると、ベネット夫人が再び口を開く。


「その人は私に裸体を見せつけた後、風のように走り去って行きました。突然の出来事だったので、しばらく私はその場を動けずにいました。しかし、冷静になると恐怖が込み上げてきて……。だから、私は急いで近くの友人宅へと駆け込みました。恐怖で震える私を、友人は優しく介抱してくれました」


 ベネット夫人から一連の流れを聞いたアリスは、腕を組み一度頷いてから口を開く。


「なるほど。事の経緯は大体わかりました。……では、ベネット夫人。私の方からいくつか質問をさせていただいてもよろしいですか?」


「質問ですか……? 」


 ベネット夫人が少し困ったような表情を見せる。


「ええ。今の話だけでは細かい部分が不透明ですので……」


 アリスがそう言うと、ベネット夫人は小さく頷き、その要求を了承した。


「はい……。わかる範囲でですが、頑張ってお答えします……」


「ありがとうございます。なるべく、不躾な質問はしないよう心掛けますので」


 アリスは一度座り直して、お尻のポジションを整えた後、テーブルの上に置いてあった紙とペンを手元に寄せた。


「じゃあ、まずその露出狂が現れた場所とベネット夫人の住所……あと、そのご友人の家がどこにあるかを教えていただけますか? 」


「はい。私はフォギーフロッグの南西部、グルービーストリート5に夫と2人で暮らしています。友人宅も同じく南西部にあります。自分の家から東側に10分ほど歩いた所です。露出狂には、友人宅から100ヤード程(約91m)でしょうか……それくらい離れた所で遭遇しました。クックストリートというところです」


「ふむ……。露出狂が出た時に、叫び声なんかは上げませんでしたか? 女性なら誰しも、ソプラノ歌手ばりの高音を夜の街に響かせそうなものですが……」


「叫び声……ですか? 上げてないですね……。驚きと恐怖で声が出なかったんです」


「じゃあ、周りには誰かいましたか? 」


「露出狂がいました」


「いや、そいつ以外でお願いします……」


「あっ、そうですよね……! 周りには誰もいませんでした。人は愚か、野良猫だっていなかったと思います」


「いないか。う〜ん……。ここに来る前に、警察には行かれましたか?」


「……」


 ベネット夫人が一瞬、困った顔をしたように見えた。アリスは少し不審に思ったが、また話の腰を折るのも悪いので取り敢えず流すことにした。


 二、三秒の沈黙の後、ベネット夫人が静かに問いに答えた。


「……行きました。でも、その……相手にしてもらえなかったんです…。裸を見せられただけなので……。暴行を加えられたとかなら、動いてくれたかもしれませんが……」


「『実害が出ないうちは動かない』は彼等の家訓なんですよ。脳みそと腰骨がコンクリートでできてるのが彼等です」


 アリスはそう言いながらも、内心では警察の判断が正しい様な気がしていた。


 露出狂は現行犯でなければ捕まえるのが難しい。他に目撃者でもいればそれが証拠になりうるのだが、今回の件ではそのような人物がいない。


 ましてや、ベネット夫人自身もハッキリとはその露出狂を見れていない。


 しかし、アリスは難航するこの相談の舵を諦めずにとろうとした。


「ベネット夫人、その露出狂の体型について教えて下さい」


「はい。えっと……身長は5フィート5インチ(約165cm)の私と、同じか少し高いくらいでしょうかね……。そして、ちょっとだけ太っていたと思います」


「なるほど、低身長で小太りの男……。あの、一応聞いときますけど、男ですよね? 」


「はい、恐らく……。彼のおぞましい陰茎を見ましたので……」


 ベネット夫人は下を向きながら答える。すると、その回答に対して、いつの間にか戻ってきていたジョンが質問を重ねた。


「おぞましい……。というと、デカかったんですか? 」


「おい」


 ジョンがその質問を口にした瞬間、アリスが彼の肩をバシッと叩いた。


「えぇ、まぁ……」


 ベネット夫人は答えにくそうにしながらも、彼の質問に頷いた。


「答えなくていいですよ、ベネット夫人」


 アリスは呆れた様子でそう言った後、質問を続ける。


「露出狂の身体的特徴は他にありませんでしたか? 」


「他ですか? ……すいません、ちょっとすぐには思いつきません」


 ベネット夫人は申し訳なさそうに言う。アリスは諦めずに彼女から有力な情報を引き出そうとした。


「何でもいいんですがね。例えば、髪の色なんかはわかりません?」


「髪の色ですか?辺りが暗くて色までは……」


「色まではということは、髪自体は見えたってことですか?」


「……ええ、まぁ。帽子から髪の毛がはみ出していましたので……」


「なるほど……」


 アリスは手元にメモをした後、尚も質問を続ける。


「では、その男に心当たりなんかはありますか? 」


「心当たり……ですか? 」


「はい。例えば、最近自分の後ろをつけてくる奴がいるとか、知り合いにすぐ服を脱ぎたがる奴がいるとか」


「いえ、特に思い当たりません。ですが……」


 ベネット夫人は少し間を置いてから言った。


「私と同じく被害にあった人がいるとは聞いています……。確か、ここ最近で2人程、夜の街で露出狂に遭遇したと……」


「えっ、本当ですか!? 」


 ベネット夫人の予想外の言葉を聞いたアリスは、驚いたような表情を浮かべ、机から身を乗り出す。


 その際、アリスとベネット夫人の物理的な距離が縮まった。


「……っ! 」


 ベネット夫人は少し恥ずかしそうにしながら、さり気なくアリスから顔を背ける。


 先程、アリスと握手をした時も、彼女は少し恥ずかしそうにしていた。


 アリスは、ベネット夫人の態度に疑問を抱いた。だが、それについて言及することはしなかった。


 やがて、落ち着いたのか、ベネット夫人が説明を再開した。


「ええ……。露出狂が現れた地域では少しだけ噂になっていたので……。でも、新聞や雑誌にも載らなかったので、知っている人はかなり限られていると思いますけど……」


「なるほど……。その被害者はベネット夫人のお知り合いですか? 」


「いえ、全く……。どこの誰が被害にあったかまではわからないです……」


 ベネット夫人が申し訳なさそうに答える。


 アリスはそんな彼女に明るい声で言った。


「わかりました、ベネット夫人。こちらで色々と調べてみます」


「……お願いします、探偵さん」


 ベネット夫人はそう言った後、深く頭を下げた。






「……で、どうやって露出狂の男を捕まえるんだ? アリス」


 ベネット夫人を部屋から送り出した後、ジョンがアリスに質問した。


 アリスは面倒臭そうにそれに答える。


「どうやってって、いつも通り泥臭く犯人を追ってくしかねぇだろ? 」


 アリスはそう言った後、コートラックに掛かっている黒いシルクハットと、傘立てに立ててある焦茶のステッキを手に取った。


「行くぞ、お前ら。まずは、街に繰り出して、露出狂の被害者2人に会いに行く。話はそれからだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る