露出狂とセレナーデ

1,露出狂とセレナーデ ー序曲ー

 1930年のイギリス。


 フォギーフロッグという街で探偵事務所を構えている女探偵アリスは、同居人のジョンとコリンの2人と共に、テーブルに広げられた新聞を神妙な面持ちで眺めていた。


「…お前ら、人生で一番無駄な時間はいつだと思う?」


「…さあ?」


「わからないか?じゃあ、教えてやる…。クロスワードパズルが解けなくて、ただ新聞と見つめ合ってるだけの、この時間だよ!」


 アリスはそう言うと、激昂したゴリラの如く、両手でテーブルを思いっきり叩いた。


 その振動で、テーブルの上に置いてあるコーヒーの入ったカップと、スコッチウイスキーが入った金属製のグラスがカタカタと小刻みに揺れた。


 アリスは座っていたソファから勢いよく立ち上がり、目の前にいるおっさんと少年にビシッ!と人差し指を向ける。


「なんでこんなクソみたいなパズルが解けないんだよ、お前らは!ケツからでもなんでもいいから、さっさと答えを捻り出しやがれ!」


 すると、彼女の言葉におっさんのジョンが返答する。


「まぁ、そうイラつくなよ、アリス。そんなにイライラしてたら、パズルの答えだけじゃなくて、将来のフィアンセまで遠くに逃げていっちまうかもしれないぜ〜HAHAHA!」


 ジョンはそう言って大口を開けて笑った。


 アリスは、そんな彼に冷ややかな視線を送る。

 

「…はぁ?なんだ、それ?つまんねぇーんだよ、お前のジョークは。そのレベルのことしか言えねぇのに、昼間からウイスキー飲んでんじゃねぇよ。」


からこそ飲んでんだぜ、アリス。お前も飲むか?酔えば俺のジョークで笑えるようになるかもしれないぜ〜?」


「酔っても笑えねぇよ。素面でアリの群れでも見てる方がまだ笑える。」


 アリスはジョンとの会話で更にイライラを募らせた。コリンはそんな彼女を宥めようと、穏やかな口調で説得を試みる。


「アリス、ジョンの言う通りだよ。一旦、落ち着こう。じっくり考えればきっとわかるよ。」


「けっ。じっくり考えただけで全てわかるんなら、探偵なんて泥臭い職は生まれてねぇよ。大体誰だよ、こんなくだらねぇもんやろうって言い出したのは?」


 アリスがそう問うと、コリンは上を向いてこれまでの経緯を思い返した。


「えっと…確か…。」




------ 30 minutes ago (30分前) ------


 


 アリスはソファに座って、暇そうに新聞を読んでいた。


 そしてテーブルを挟んだその反対側には、推理小説を黙々と読んでいるコリンと、雑誌を眺めているジョンがいた。


 アリスは記事を流し読みして、ペラペラと順調にページをめくっていく。


 やがて、彼女は最後のページに載っているクロスワードパズルを見つけた。


 それを見つけたアリスはニヤリと笑ってから、向かいにいるコリンに話しかけた。


「おい、コリン。お前、この問題解けるか?」

 

「えっ?なに?」


「これだよ、これ。13の縦のやつ。」


 アリスは新聞を机の上に置いて、その後問題文を指差した。コリンは読んでいた小説から目を離し、彼女の指の先が示している文を読み上げる。


「えっと…『秘密結社、10文字』?う〜ん…。」


「わからねぇか?私はわかるぞ。答えはな『イルミナティ(Illuminati)』だ。」

 

 アリスは得意げな顔でコリンに言った。答えを聞いたコリンは感心して、彼女のことを褒め称えた。


「あっ!それ聞いたことあるよ!ほんとだ、すごい!よくわかったね、アリス!」


「まぁな!こんなもん、私にとっては朝飯前。マーマイトをパンに塗るくらいの気持ちで解けちまうのさ!」


 そう言って高らかに笑うアリス。そして、褒められて調子に乗った彼女は、また別の問題を指し示してコリンに言った。


「じゃあ、こっちはわかるか?15の縦『標本の作製、8文字』だ。」


「うーん…。知ってる気がするんだけどなぁ…。出てこないや。アリスはわかるの?」


「当たり前だろ?答えは『ホルマリン(formalin)』さ。」


「ほんとだ!それ聞いたことあるよ!すごいね、アリスは!何でも知ってるんだね!」


「なーっはっはっはっ!まぁな〜!」


 アリスはそう言うと、机の上に置いてあったコーヒーカップを手に取り、大量のミルクで薄められた薄茶色のコーヒーを啜った。


 彼女は至極ご満悦の様子である。


「クロスワードパズルか。そういえば久しくやってないな〜。」


 アリスとコリンの会話を横で聞いていたジョンが、唐突に話の輪の中に入ってきた。彼の言葉に、アリスはコーヒーカップを置いてから返答した。


「私も久々さ。でも、腕は落ちてねぇみたいだ。こんな貧弱なクロスワードじゃ、私の相手にならないね。」


「おっ!言うじゃねぇか、アリス。その新聞『デイリー・ジーニアス』のクロスワードは難しいって評判だぜ〜?ロンドン中の紳士達の脳味噌をパンクさせて回ってるらしい。」


「はっ!そこらの飲んだくれの紳士ジェントルマンと私を比較すんなよ、ジョン。私の名前の後にvsを付けるんなら、その後はシャーロックとか、エルキュールとかの名探偵で埋めなきゃ成り立たねぇぜ!」


 アリスは自信に満ちた表情のまま前のめりになり、机の上の新聞を自分の方へと引き寄せた。

 

「まぁ、見てな。3分もありゃ、全ての白マスの中に適切なアルファベットをぶち込んでやるよ。お前らはその間、自分の親指をキャンディにでも見立てて、むしゃぶりつきながら私の勇姿を見てな!」


 アリスはそう言うと、意気揚々とクロスワードパズルを解き始めたのだった。




------ back to the present (現在に戻る) ------




「アリスが解き始めたんじゃなかった?結局、半分くらいしか解けなくて、僕とジョンに『黙って見てないでちょっとは手伝え!』って怒ってきたんだ。」


「ああ、俺もそう記憶してるぜ、コリン。俺達は、勝手に泥沼の中に入っていった愚かな人間に、服の裾を引っ張られた哀れな被害者だ。」


 コリンとジョンはそう言ってアリスの方を見た。2人から冷ややかな視線を向けられたアリスは、目を逸らして腕組みをし、頬を膨らませた。


「なんだよ、私のせいにすんのか?お前らも意気揚々と解いてただろうが。大体、誰が発端とか一々気にしてんじゃねぇよ。犯人探しなんかして楽しいのか?この陰湿人間どもめ。」


「仮にも探偵やってる人間のセリフとは思えないな。」


「とにかく、私を責める暇があったらクロスワードを解けよ。ほら、わからねぇのか、この問題とか。3の縦『1世紀前の考え、11文字』。」


 アリスに問われたジョンとコリンは、互いに顔を見合わせてから再び彼女の方を向いた。


「さぁ、さっぱりだ。」


「なら、本棚から百科事典でも持ってこい!ブリタニカ大先生に聞けば分かる問題もあるかも知れねぇ。」


「おいおい、いいのか、アリス?そりゃ、負けを認めるようなもんだぜ?勝てないからって、ツール・ド・フランスにベントレーのスポーツカーで参加するようなもんだ。」


「仕方ねぇだろうが、一向に進まねぇんだから。このままだと私達は『クロスワードを解くミイラ』として、数百年後の考古学者に世紀の大発見をさせることになるぞ。それよかマシだ。」


 アリスが口調を荒げながらそう言った瞬間。


 コンコン。


 部屋の扉をノックする音が聞こえた。


 3人は一斉に扉の方を向いた。そして、その後アリスが一番に口を開いた。


「なんだ?誰だよ、こんな忙しい時に。」


「いや、寧ろ究極に暇だったんじゃないのか?俺達は。」


「開いてますよ!勝手に入って下さーい!」


 アリスが扉の向こうの人間にそう叫んだ瞬間、ドアノブがガチャっとひねられた。


 扉が開くとそこには、茶色みがかった金髪を後ろで結び、カーキ色のラフなドレスを身に纏った女性が、煙草を咥えながら眠たそうな目をして立っていた。


 彼女の名前は、オードリー・ハスラー。通称、ハスラー夫人。


 アリス達が住んでいる、フォギーフロッグ街23の1階の住人で、アリス達に2階と3階の部屋を安くで借してくれている女主人だ。


 アリスはハスラー夫人に問いかけた。


「ハスラー夫人、何か御用ですか?私達は今、結構忙しいんですけど。」


「…どう見たって暇してるようにしか見えねぇけどな、私には。なぁ、アリス?あんたにとっちゃ、その白マスを埋めることが、他の何よりも大事なことなのかい?」


「ええ、大事ですよ、ハスラー夫人。」


「ふーん、そうか。じゃあ、あんたを訪ねてきたお客さんにはお帰り願った方がいいかねぇ?」


「えっ、お客さん?」


 アリスはキョトンとした顔でハスラー夫人に聞き返した。


「ああ、あんたに相談事があるって人がたった今来たんだが、忙しいなら出直してもらわないとなぁ〜?」


 ハスラー夫人は煙草を吹かしながらニヤニヤと笑って、ドア枠にもたれ掛かった。


 アリスは、すぐさまハスラー夫人の方に向き直り言った。


「新聞は便所に流します。今すぐお客さんをここへ連れて来て下さい、ハスラー夫人。」


「…。入っていいらしいですよー。どうぞー。」


 ハスラー夫人は呆れた顔をしながら、外に向かって呼びかけた。


 すると、彼女の呼びかけに応じて、1人の女性が部屋の中に入って来た。


 そのお客さんは、赤紫色の鮮やかなドレスを身に纏い、靴は天然革があしらわれたハイヒールを履いていた。そして、首元には控えめながらも綺麗に輝くダイヤのネックレスをつけていた。


 アリスはその女性の元へと歩いていき、微笑みながら自分の右手をサッと差し出す。


「どうも、こんにちは。アリス・レッドメインと申します。以後、お見知り置きを。」

 

 女性は少し恥ずかしそうにしながら、差し出されたアリスの手を握って言った。


「ソフィア・ベネットです。よろしくお願い致します。」


「よろしくお願い致します、ベネット…夫人で宜しいですよね?もしかして、ここにいらっしゃったのは、失くしてしまった結婚指輪を私に探して欲しいから…ですか?」


「えっ…?どうしてですか…?」


 ベネット夫人は少し驚いた顔をしてアリスに問いかけた。それに対して、アリスは愛想良く笑いながら得意げに答えた。


「なぁに、簡単な推理ですよ!今、あなたは左手の薬指に指輪をつけてはいません。しかし、その指には指輪の跡がついています。これは、普段は結婚指輪をつけているけど、今日だけつけ忘れた、若しくは何かしらの理由でつけられなかったことを示しています。さらに、あなたのスカートの裾の部分には、何処かに擦ってしまったような跡があります。しかも、かなり真新しい。これは、あなたが焦ってここに来たことを表しています。要は、それだけ急ぎの相談ってことです。そして、あなたは沢山の高級品で身を包んでいます。靴とか、そのネックレスとかね。これは、旦那さんの稼ぎが良いことを表しています。恐らく、婚約指輪もとても高価なものなのでしょう。それらの点を繋ぎ合わせて考えてみたら、ピンと来たんですよ。あなたは高価な結婚指輪を失くしてしまって、それを見つけて貰おうと慌てて私のところへ訪ねて来たんだな…ってね。フフッ、当たってますか?」


「あっ、いえ…。結婚指輪は、今日たまたまつけ忘れてしまっただけで、ちゃんと家にあると思います…。相談したいことも別の要件でして…。」


 ベネット夫人は気まずそうな顔をしながらアリスに言った。


 ベネット夫人に披露した推理を否定されたアリスは、途端に顔が真っ赤に染まり、全身に大量の汗をかいた。


「えっ…?あっ…そ、そうですか…!は、はずれてましたか…!あはは…!…な、なんかすいません…。」


 アリスは声を震わせながら、恥ずかしさのあまり下を向いてしまった。


 そんなアリスを前にしたベネット夫人は、慌てて彼女をフォローしようとする。


「え、えっと…あっ!で、でも…慌てて来たっていうのは当たってましたよ!慌ててたから、家の扉の縁にスカートを擦っちゃって…。」


「あっ…そうだったんですね〜…。…あ、あの…立ち話もなんなんで…中へどうぞ…。」


「…は、はい。し、失礼します〜…。」


 ベネット夫人は申し訳なさそうにしながら、部屋の奥へと進んでいった。


「こちらです、ミセス・ベネット。」


 ジョンがベネット夫人を導きながら、アリスから遠ざかっていった。


 1人で立ち尽くすアリスの下へ、コリンが静かに歩み寄って来た。


「アリス…元気出して。…そういう時もあるよ。」


「…完全に出鼻を挫かれた。ここから巻き返せる気がしねぇ…。…はぁ。」


 アリスはがっくりと項垂れた。


 コリンはそんな彼女に優しく微笑みかけた。


「大丈夫だよ、アリス。依頼はこれからでしょ?それを解決すれば、名誉は挽回できるさ!だから、さっきのことは忘れて…ん?」


 話の途中でコリンは急に黙ってしまった。


 アリスはそんな彼の様子を不思議に思った。


「どうしたんだよ、コリン?小便でも漏らしたのか?人を励ましてる最中に。」


「ち、違うよ!…なんだか、匂いに違和感があるなって思って…。」


「匂い?」


 アリスはクンクンと、その場で匂いを嗅いでみた。


「別に何も感じないけどな。まぁ、私はコリンほど鼻がよくないからわからないだけかも知れねぇけど…。ジョンの加齢臭とかじゃねぇか?あいつの加齢臭は日に日に強さを増してる。その成長スピードは、産業革命時のイギリスの技術力とどっこいだ。」


「うーん…。でも、別に臭いってわけじゃないんだよ…。それに、ベネット夫人の匂いが違和感の原因な気がするんだよね…。なんか2種類のいい匂いがするんだ。2つ香水を付けてるのかな?」


「…ふ〜ん。まぁ、取り敢えず話を聞いてみようぜ、ベネット夫人から。行くぞ、コリン。私の名誉を回復する為に、お前の力を貸してくれ。」


 アリスは元気な声でコリンに呼びかけた。アリスに元気が戻ったことを知ったコリンは、嬉しそうな表情を浮かべた。


「うん、もちろんさ!」








 アリスは、ベネット夫人を部屋の奥側のソファに座らせ、自らはその対面のソファに腰かけた。


「では、取り敢えず私に相談したいこと、その内容を教えていただけますか?」


 そして、彼女は早速本題に入ろうとした。


「はい…。あの…実は…。」


 ベネット夫人は何やら言いにくそうな様子だった。すると、その様子を見たジョンがにこやかな笑顔を彼女に向けて言った。


「話しにくいことですか?でしたら、紅茶の代わりにテキーラでも持ってきましょうか?飲めば、話しにくいことも、なんなら話しちゃいけないことまで簡単に話せるようになりますよ!例えば、旦那さんへの愚痴とかね~HAHAHA!」


 ジョンがジョークを飛ばした瞬間、そこはオイミャコンへと早変わりした。アリスはジトっとした目をジョンに向け、同時にベネット夫人に言った。


「気にしないでください、ベネット夫人。彼は持っていたデリカシーを全て質屋に出してしまったのです。」


「はぁ…そうなんですか…。」


「邪魔してすいません。では、改めてお話を聞かせていただけますか?」


「はい…。実は…」


 ベネット夫人は相変わらず言い難そうにしていた。しかし、遂に決心したのか、一度大きく息を吸ってから、彼女に似つかわしくない大きな声で言った。


「露出狂を捕まえてほしいんですっ!」

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