37,宇宙船の目撃情報 ー本日の依頼人ー

 レイラとエロイーズがジーニアス邸を発ってから少し経った頃。


 ここはアリス達の部屋。


「うーん……」


 コリンは机の上のチェス盤をじっと見つめながら、静かにうめいていた。


 その対面には、足を組んで得意げな表情を浮かべているアリスがいる。


「さぁ、どうするよ、コリン? キングを除けば、もうお前の陣営にはクイーンとポーンしかいねぇ。王様の首が刈られるのも時間の問題だ。その王様は戦々恐々だろうな~。恐怖のあまり小便漏らして、足元にテムズ川を作っててもおかしくねぇよ」


 彼女はコリンを煽るかのように、にやけ顔で言った。


「……おしっこで川を作れる人なんていないよ、アリス。」


 悔し紛れにコリンが反論する。


「物の例えだよ。つまらねぇ指摘してないでさっさと次の手を考えな、コリン」


 アリスはジトっとした目でコリンを睨んだ。


「うーん……何かいい手はないかい、ジョン? 」


 コリンは隣にいるジョンに尋ねた。ジョンは読んでいた雑誌から、コリンの方へチラッと視線をやり、その問いに答える。


「とりあえず、パンツを履き替えて雑巾で床を拭くしかないな」


「おしっこの方じゃないよ……。チェスで逆転する方法を聞いたんだ」


 ジョンは、手に持っていた雑誌を机の上に置いて、盤面に注目した。


 彼が読んでいた雑誌は、SFに関する雑誌であり、デイリー・ジーニアスの子会社が刊行している、街で唯一のSFマガジンだ。


「あー、なるほどな。……だが、この盤面じゃきつそうだな。俺にもいい手が全く思いつかんぜ、コリン」


 ジョンが両手の手のひらを上に向け、首を振ってみせる。


「情けないセコンドだな、ジョン。おい、コリン。対戦相手の私が、この状況を打開できる案を授けてやってもいいぞ? 」


 アリスがコリンに言う。それを聞いたコリンは嬉しそうに身を乗り出した。


「本当かい、アリス? 」


「ああ」


「どうすればいいんだい? 」


「小便にロンドン橋を掛けるんだ。そしたら、みんな本物のテムズ川と勘違いして、小便漏らしたことを隠蔽できるぞ」


「いや、だからそっちの解決策は求めてないよ……」


「フン。敵からまともなアドバイスを貰えると思ってるおこちゃまが、チェスで私に勝とうなんて到底無理な話ってことだ。……さぁ、そろそろ時間だぜ、コリン。別に降参でもいいぞ?駒を動かすか、平和へと動くか(move the piece or move to peace)だ」


 コリンは腕を組んで、逆転の一手を必死に考えた。


 しかし、遂にその一手を思いつくことはなく、彼は投了することを選択した。


「はぁ……降参だよ」


 コリンは大きく溜息を吐いた。


「……やっぱり、アリスには敵わないね。勝てる気が全くしないや」


 褒められたアリスは、意気揚々と自画自賛し始めた。


「はっ! 当たり前だろ、そんなの。年季が違うんだよ、お前らみたいな歴の浅い雛鳥チェスプレイヤーとはな。天地がひっくり返ったってお前らに負ける気なんかしねぇ。……いや、この街で私を倒せる奴なんていないね」


 それを聞いたジョンが納得したように言う。


「確かにな。それくらい強いぜ、お前は。どこかに、アリスを打ち負かせる奴はいないだろうか? 」


「諦めな、ジョン。どうしてもって言うんなら、『近代チェスの父』ヴィルヘルム・シュタイニッツでも連れてくるんだな。この『近代チェスの継母ままはは』である私を打ち負かしたきゃよ」


「『近代チェスの継母』って……。なんか異名として微妙じゃないかい? 」


 コリンが呆れた目でそう告げる。


 するとその直後、部屋の扉をコンコンとノックする音が聞こえてきた。


「誰か来たみたいだよ? 」


「きっと、依頼人だな。チェスをやったおかげで、私の脳味噌は今、フィギュアスケーター並みに高速回転してる。どんなに難しい依頼だって大歓迎だぜ」


 アリスはそう言いながら、扉の方へと歩いていく。


 やがて、扉の前にたどり着いたアリスは、ドアノブに手をかけ、ガチャリと捻って手前に引いた。


 扉が開いた瞬間、彼女は外にいる来訪者に対して愛想よく挨拶をした。


「どうもー! レッドメイン探偵事務所です〜。本日はどのようなご依頼……」


 と、アリスは途中で言葉を止めた。


 アリスの目に映ったのは、スーツを着た身長の低い黒人の女の子と、黒紫色のワンピースを着た長い黒髪の女性であった。


 そう、エロイーズとレイラである。


「……んだよ、お前らか」


「あら、随分とご挨拶じゃない」


 レイラが澄ました顔で言う。


「何の用だよ? 」


 アリスが訝しげな顔で問う。その問いにはエロイーズが答えた。


「本日は、レッドメイン探偵事務所の御三方に依頼があって参りました」


「は? 依頼? 」


「ええ、そうよ。お邪魔するわね」


 レイラはそう言って、アリスが許可を出すよりも早く、するりと部屋の中に侵入する。


「おい、勝手に入るんじゃねぇよ」


 アリスはレイラを睨みながら注意するが、彼女は言うことを聞かずズケズケと部屋の中に入って行く。


「失礼致します」


 レイラに続いてエロイーズも部屋の中へと足を踏み入れた。


 アリスは二人の背中を不本意そうな顔で眺めながら、扉をパタリと閉める。


「あっ、レイラさんとエロイーズさん。こんにちは」


 部屋の中に入ってきた二人に、コリンが挨拶をしながら歩み寄る。その後ろにジョンも続いた。


「ご機嫌よう、コリン君。それにミスター・オールドマン」


 レイラが二人に挨拶をする。


「お邪魔致します」


 その後、隣にいたエロイーズも頭を下げ挨拶をした。


「ほほう、来訪者はあなた方でしたか。今日は、どうなさいました? 」


 ジョンが顎を摩りながら問いかける。


「ええ、実は御三方に調査していただきたい事件がありまして」


「そうでしたか。では、奥で詳しくお話を……」


 ジョンはそう言って、部屋の中央にあるソファへとレイラ達を案内しようとした。


 しかし、それを邪魔するかのようにアリスが彼らの間に割り込んできた。


「おい、勝手に話進めてんじゃねぇよ、ジョン。私はこいつの依頼なんて受けねぇぞ」


 ジョンとレイラの間に割り込んだアリスは、レイラに手で払うような動作を見せながら、気怠そうに言う。


「しっし。お家に帰んな、野蛮人。私は、お前からの依頼を受けられるほど暇じゃないんだ」


 そう言われたレイラは、アリスの脇から部屋の中を覗き込み、わざと不思議そうな表情をして問う。


「机の上にチェス盤があるけど……チェスでもやっていたの? 忙しいのに? 」


 レイラに痛いところを突かれたアリスは、彼女から目を逸らしながら答える。


「……やってねーよ」

 

「……。本当かしら、コリン君? 」


 レイラは、正直に答えてくれそうなコリンに問いかけた。


 コリンは、苦笑いを浮かべながらその問いに答える。


「……やってたよ、レイラさん」


「おい」


 アリスがコリンを睨む。気まずくなったコリンは慌てて余所を向いた。


「そう。腕が格段に上がっていそうね。私もうかうかしていられないわ」


「あれ? レイラさんもアリスとチェスをしたことがあるの? 」


 コリンが意外そうな顔でレイラに聞いた。


「ええ、何度もね。勝ったり、負けたりを繰り返しているわ」


 レイラの言葉を聞いたコリンは、訝しげな顔をしながらアリスに問う。


「……アリス。この街に私を倒せる奴なんていないって言ってなかったかい? 」


 コリンにそう問われたアリスは、言いづらそうにしながらも答えた。


「……ああ、言ったさ。こいつとはチェスで何度もやり合ってるが、勝率は私の方が上だ。……たぶん」


「いえ、勝率は私の方が高いはずよ。チェスが終わった後、機嫌を悪くしているのは大体あなただもの」


「うっせぇーな! とにかく、お前の依頼なんて受けねぇ。どうせ、ろくでもないことに決まってるんだしよ」


 アリスが腕を組んでプイッと余所を向く。そんな彼女をジョンが明るい口調で諭した。


「まぁまぁ。話だけでも聞いてみようじゃないか、アリス。ミス・ジーニアスのことだ。きっと、報酬をたんまりと払ってくださるぞ? 彼女の新聞社が稼いだ、大量のペーパーマネーをな! HAHAHA! 」

※(新聞=paperと紙幣=paper moneyがかかっています)


 ジョークを言ってわざとらしく大笑いしているジョン。そんな彼をアリスは睨みつける。


「は? 面白くねーんだよ、お前は。口を閉じてな、ジョン」


「私は悪くないと思ったわ」


「うるせぇ、黙れ」


 割り込んできたレイラに、人差し指を差して黙らせるアリス。


 すると、その横にいたエロイーズが、真剣な顔をしてジョンにこう問いかけた。


「大量のペーパーマネーとはどれくらいのことを指すのでしょうか?金額によっては払いかねますが……」


「……えっ? えっと……」


 ジョークを真に受けたエロイーズにジョンは戸惑っていた。


 アリスは、レイラからエロイーズへと睨む対象を変更する。


「お前も黙りな、ちびっ子執事。話をややこしくするな」


 アリスはレイラとエロイーズを睨みながら言葉を続ける。


「おい。一応、話は聞いてやるけど、変な依頼だったら速攻帰ってもらうからな? 」


「ええ、構わないわ」


 レイラはすました顔でそう返した。

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