35,糞便の置かれた酒場 ー終曲ー
糞便の置かれた酒場事件から数日後。
場所は、アリス達の部屋の中。
アリス、ジョン、コリンの3人は机を囲んで座っている。
「…よし、これでオッケーだね。」
コリンは小さくそう呟いた。
机の上には、白色のリボンが巻かれた赤ワインの瓶と、二つ折りのメッセージカードが置いてある。
これらは、ハスラー夫人の誕生日に渡すプレゼントとして、彼ら3人が用意したものだ。
コリンは結び付けたリボンから手を放し、アリスとジョンに笑顔で問いかける。
「どうかな?上手いこと結べているかい?」
「ああ、上出来だ、コリン。左右非対称で若干いびつなところが最高だ。年端のいかねぇガキが結んだって感じがして。」
「…それ、誉め言葉になってないよ?アリス。」
「当たり前だろ?皮肉なんだから。まぁ、取り敢えず準備は完了したな。あとは、今日の夜、彼女にこれを渡すだけだ。」
アリスは足を組み直し、ソファの背もたれにもたれ掛かる。
「しかし、生まれ年のワインを渡そうなんてアイデアをよく思いついたな、アリス。天才的なアイデアだ。」
ジョンがアリスにそう言うと、彼女は得意げに笑いながら言葉を返す。
「だろ?ある朝、唐突にこのアイデアが頭の中に降ってきたんだ。ハスラー夫人が好きな銘柄の生まれ年ワインを渡すのがいいんじゃねぇかってな。」
「うん、僕もいいアイデアだと思うよ。2人も誕生日に生まれ年のワインを貰ったら嬉しいかい?」
コリンは2人を交互に見ながら問いかける。
「いや、俺は無駄に増えた年齢を改めて認識させられるから嫌だな。」
ジョンが真顔で答える。
「私も同意見だ。」
アリスが呆れた表情で答える。
「…じゃあ、なんでプレゼントをこれにしたのさ…。」
コリンはうんざりとした様子で言った。
と、次の瞬間、部屋のドアをノックする音が聞こえ、間髪入れずにハスラー夫人の声が聞こえた。
「おい、アリス。あんたに来客だよ。」
ドア越しにそう言った後、ハスラー夫人はアリス達の許可を得ることなくドアを開けた。
「…?」
ドアを開けたハスラー夫人は奇妙な光景を目にした。
腕を大きく広げ、左側から駆け込むような形で、後ろの物を隠そうとしているアリス。
その後ろで、両腕を伸ばし、右側から飛び込むような形で、後ろの物を隠そうとしているジョン。
更にその後ろで、机の上にうずくまり、腹の中に何かを隠しているコリン。
まるで、ミュージカルを行っている最中に、時を止められたかのような3人がいた。
「…何やってんだい?あんたら。」
ハスラー夫人はジトっとした目で問う。3人を代表してアリスがあたふたしながら答える。
「ハ、ハスラー夫人…!私達、今…ミュージカルごっこをやってる最中で…。」
「へー。結構、前衛的なことやってんだね。なんていう演目だい?」
「え、えっと…ロミオとジュリエットです…。」
「…どのシーンだよ。」
ハスラー夫人は吐き捨てるようにツッコミを入れる。
「ところで、私に何か用ですか…?」
「さっき言ったろ?あんたに来客だよ、アリス。」
「来客?」
アリスは不思議そうな顔をしながら、ドアの方へと歩いていく。
やがて、ドアの前までたどり着いたアリスは外を覗いた。
そこには紙袋を持って佇んでいる、ミル・ベイカー巡査の姿があった。
私服の白いワンピースを着ている彼女は、少し緊張している様子であった。
「なんだ、お前か。…今、部屋の中が使えないから外で話を聞くよ。」
アリスは部屋の外に出て、ドアを閉めようとする。
「あの2人はまだ動かないのかい?」
ハスラー夫人はドアの隙間から、微動だにしないジョンとコリンを見て不思議に思った。
アリスは慌ててドアを閉める。
「し、知らせてくれてありがとうございます、ハスラー夫人…!もう行っていいですよ!…というか、行ってください!」
ハスラー夫人は懐疑的な表情を浮かべながらも、その場を去っていった。
彼女が階段を下りていくのを確認した後、アリスはミルと向かい合った。
「…で?何の用だ?」
「こ、この前は世話になったな…!」
「ん?何のことだ?」
「ほ、ほら、ハマード・ザ・キングの…」
「…ああ。お前が糞便の模写してたやつか。」
「どんな覚え方してるんだよ、お前!…それで、その時の礼を言いに来たんだ。お前がラドクリフ警部補を呼んでくれたんだろ?私に気を使って…。」
「はぁ?変な憶測でもの話すんじゃねぇよ。あいつが散歩中にたまたま通りかかったって言ってたろ?」
「…本人から聞いた。」
「…あいつ。言うなって言ったのによ。」
アリスは流し目をしながら、溜息を吐く。
「うまくいかなくて、焦って、私は自分のことばかり考えていた。情けない気持ちでいっぱいだ。申し訳ない。」
ミルはそう言った後、深く頭を下げた。
「…。」
アリスはそれを黙って見ていた。
やがて、頭を上げた彼女は、手に持っていた紙袋をアリスに差し出した。
「これ…近くのパン屋さんで買ってきた。美味しいって評判のパン屋さんなんだが、お店の名前が…」
「ブレイキング・ブレットだろ?知ってるよ。私は、お前がこの街に来るよりも、もっと前からここに住んでるんだぞ?知らないとでも思ったか?」
「そ、それもそうだな。」
アリスは、パンの入った紙袋を受け取った。
「この事件を解決できたのはお前のおかげだ、レッドメイン。感謝している。」
ミルはもう一度頭を下げて、そう言った。アリスはそれに対して、余所を見ながら気怠そうに答える。
「そりゃ、どうも。だが、私の推理は、お前の現場検証をもとにして行ったってことを忘れんな。厄介なことに、色々なことが噛み合わないと解決できないんだ、事件っていうのは。オーギュストやシャーロックでもない限りはな。」
アリスは少し間を置いた後、更に言葉を続けた。
「まぁ、でも、今回の件を貸しだと思ってんなら…たまたま運良く推理が当たって、調子に乗っているどっかの女探偵が、次の事件で困ってた時に助けてやってくれよ。お前のその、ゲロを顔面に食らっても折れない精神力でな。」
アリスはそう言って、少し口角を上げた。
それを聞いたミルは、呆気にとられたような顔をしていた。しかし、次第に彼女の顔には笑みが浮かんだ。
「そのパンじゃ、借りを返したことにはならないか?」
「ならねぇな。だが、有難く頂戴はしておくよ。」
アリスはそう言うと、扉を開き部屋の中へと戻ろうとした。
部屋の中に片足を踏み入れたところで、アリスは急に何かを思い出したように振り返った。
そして、得意げな顔でミルに対して言った。
「フォギーフロッグへようこそ、ミル・ベイカー巡査。ここは変な事件が頻発する、変人達の巣窟だ。…お前にはピッタリの街かもな。」
アリスは右手で銃の形を作り、ウインクをしてからドアの奥へと消えていった。
ミルはキョトンとした顔で、その閉まったドアを見つめていた。
やがて、ミルは微笑みを浮かべ、扉の前から去っていった。
部屋の中に入ったアリスは、中央の机へと目を向けた。
「…おい、まだその体勢だったのか。もう、ハスラー夫人は行ったぞ?」
アリスの視線の先には、未だに赤ワインの瓶を隠しているジョンとコリンがいた。
アリスの言葉を聞いた2人は、ホッとした様子で体勢を崩し、そのままソファに腰かけた。
「…ふぅー。何とかバレずに済んだな。」
「どうだかな。私らのディフェンス力が弱すぎて、ハスラー夫人はなんとなく察してそうだが。」
アリスはそう言いながら、コリンの横に腰かけ、パンの入った紙袋を机に置いた。
「このパン、お客さんに貰ったのかい?」
「ああ。この前、世話になったからっつって。お前らも食っていいぞ。」
「へー!一体、誰からの贈り物だい?」
コリンがそう尋ねると、アリスは斜め上に目をやり、少し考えてから言った。
「フォギーフロッグの…小さな巨人からだ。」
コリンに視線をやってアリスがにっと笑う。
最初は意味が分からず困惑していたコリンだったが、アリスの安堵したような笑顔を見たことで、彼も自然と笑みが零れた。
そんな2人を余所に、ジョンは紙袋からホットクロスバンズを1つ取り、既にそれを口に運んでいた。
「ジョン、そのパンは”貸し”だからな?」
「…!!?」
アリスがジトっとした目でそう言うと、ジョンはパンを咥えながら心底驚いた顔をしていた。
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