33,糞便の置かれた酒場 ー犯人ー
犯人が絞れたアリス達は、ハマード・ザ・キングから北へ進んだところにある、とあるフラット(アパート)の前にいた。
そのフラットは2階建てで、1階の中央に玄関扉がある。茶色いレンガの壁に縦長の窓が等間隔についており、その窓から少しだけ部屋の中を覗けそうであった。
アリス達はフラットの反対側の通路で作戦会議をしていた。
「あそこがピート・マニアの住処で間違いないのか、デイブ?」
アリスがデイブに問いかける。デイブは首を縦に振り肯定した。
「ああ、間違いねぇ。あのフラットの2階にピートは住んでる。」
デイブの言葉を聞いたアリスは、フラットの2階へと視線を向ける。
すると、アリスの後ろにいるマスターが意気揚々と言う。
「よし、じゃあ早速捕まえに行くか!野郎、ぶちのめしてやる。」
マスターはそう言って腕まくりをする。そんな血気盛んなマスターを、アリスは手のひらを向け制止した。
「落ち着け、マスター。そいつを捕まえるには、証拠であるワインを押さえなきゃならねぇ。…おい、ミス・オッター。警察の権限で犯人の家を捜索することはできねぇか?」
アリスがミルに問いかける。それに対して、ミルは暗い声で答える。
「…令状がなければ、捜索はできない。私1人の判断ではどうにも…。」
彼女はそう言った後、アリスから目を逸らし、俯いてしまった。
「すまん…。」
ミルは静かに呟いた。
やはり、彼女は警察として上手く立ち回れていないことを、気負っているようだった。
アリスはそんな彼女から再びピートの住むフラットへと目をやる。
「んー…どうすっかなー。」
顎に手をやり、難しい顔で考え込むアリス。
すると、次の瞬間、通りすがりの男性が、いきなり彼女に話しかけてきた。
「…アリス、ここで何をしているんだ?」
「…!?」
アリスはびっくりして、その男性の方を見やる。
彼女は、慌てて彼の顔を確認した。
いきなり話しかけてきた男性は、知らない人ではなく、良く顔の見知った人物であった。
「びっくりした…。お前かよ…オーランド。」
アリスはほっと胸を撫で下ろす。
アリスに話しかけてきた人物、それはスコットランドヤードの警官、オーランド・ラドクリフ警部補であった。
彼は制服ではなく、白いカッターシャツとベージュ色のズボンという、とてもラフな格好をしていた。
「オ、オーランド警部補…!?ど、どうしてここへ…!?休暇中のはずでは…?」
アリスの陰から出てきたミルが、驚きながら問いかける。
部下であるミル・ベイカー巡査を見た彼であったが、一切戸惑うことなくその問いに答える。
「ああ、暇だから散歩をしていたんだ。折角の休暇だから有意義に時間を使いたくてね。…だが、不運なことに、その途中でアリスを見つけてしまった。路地裏から顔を覗かせて、向かいのフラットをジロジロと眺めている彼女を。」
彼は残念そうにしながら、アリスをジトっとした目で見る。
それに対してアリスは、頬を膨らませながら腕組みをして反論した。
「私に会いたくなかったんなら無視すりゃよかっただろ?」
「そうもいかない。君がこそこそと怪しい行動をとるのは、事件を追っている時だ。そうだろう?例え休暇中でも、警察としてスルーはできないな。」
オーランドはそう言って、アリスに微笑みかける。
そんな彼を見たアリスは、不服そうな顔をしながらも、今の状況について話した。
「…なるほど。つまり、犯人はあのフラットに住んでいるピート・マニアという人物である可能性が高いと。」
アリスから一通りの説明を聞いたオーランドは、腕を組み、そう呟く。
「ああ。でも、証拠がないから捕まえられねぇ。盗まれたワインでも押さえない限り、逮捕はできねぇだろうよ。」
アリスは面倒臭そうにオーランドに言う。
オーランドは少し考えた後、こう回答した。
「取り敢えず、君のお兄さん、レッドメイン警視に連絡してみるといい。この事件は単なる嫌がらせではなく、窃盗事件だ。然るべき捜査に切り替わるだろう。」
そう言った後、オーランドはフラットの方へと目を向けて話を続けた。
「そして、その窃盗事件の容疑者がこのフラットにいるのなら、話を聞きに行くべきだな。私とベイカー巡査の2人が、警察として彼に話を聞きに行く。もし、彼がその聴取でミスを犯せば、犯人と断定できるかもしれない。」
「ミス?」
「ああ。ミスだ。」
オーランドは軽く頷いた後、ミルの方を見て言った。
「行くぞ、ベイカー巡査。これは、我々警察官の仕事だ。」
オーランドはそう言った後、フラットに向かって歩き出した。
ミルは慌てて「はい…!」と返事をして、彼の背中を追いかけた。
数歩歩いてから、オーランドはアリス達の方を振り返り言った。
「君達はフラットの前で待機していてくれ。犯人が逃げた時、すぐに追えるように。」
オーランドがフラットの玄関扉をノックすると、大家がそれに対応した。
オーランドとミルがピート・マニアに用があると告げると、その大家は2人をフラットの中へと入れてくれた。
中へ入った2人は、木の手すりが取り付けられた階段を上り、ピートが住んでいる部屋を目指す。
やがて、2人は彼が住む部屋の前へと到着した。
部屋に到着するなり、オーランドが扉をノックする。
すると、部屋の中から男の声が聞こえてきた。
「…どちら様ですか?」
その声色から察するに、彼はこちらを警戒している様子であった。
「スコットランドヤード警察です。ピート・マニアさんに話をお伺いしたく参りました。…扉を開けていただけませんか?」
「…今、忙しいのですが。」
ピートはオーランドの要求を拒否した。しかし、オーランドは諦めずに食い下がる。
「ご協力していただけませんかね?実は、昨晩、ここから南に進んだところにある、ハマード・ザ・キングという酒場が、酔っ払いに店内を荒らされるという被害に遭ったんです。そして、その犯人の候補にデイブ・スモークという男が挙がりました。あなたは昔、彼と同じ職場で働いていたそうですね。彼についてお聞かせ願えませんか?」
「…。」
オーランドの言葉を扉の向こうにいるピートは確実に聞いているはずであったが、しばらく彼からの反応が返ってこなかった。
どうやら、彼は考え事をしているようだった。
数秒後、オーランドとミルの目の前にある木戸がゆっくりと開いた。
扉の奥には、瘦せていて身長が高い男性が立っていた。彼の頬には一生傷があった。
「ご協力感謝致します、ピート・マニアさん。私は、オーランド・ラドクリフと申します。私服姿ですが、歴とした警察官です。隣にいるのは、ベイカー巡査。」
オーランドは彼が出てくるなり、ポケットから警察手帳を取り出し、彼に見せる。それに遅れてミルも警察手帳を取り出し、自らが警察であることを示した。
「…ええ、もちろんですとも、刑事さん。私もこの街の市民として、犯人の逮捕に協力する義務がありますから。」
ピートは、オーランドとミルを見ながらにこやかに言った。
「事件についてはご存じですか?ピートさん。」
「いえ、今初めて聞きましたね。どんな事件だったんですか?」
「それが、とても凄惨な事件でして…。南にある酒場が嫌がらせにあったのですが、犯人は店内の椅子や机をひっくり返した後、そこで糞便を垂れ流し、逃走したそうです。」
「糞便…。それは酷い嫌がらせですね。」
「そうなんですよ。私も長いこと警察をやっていますが、こんな事件は初めてです。酒場の扉を開け、視界に糞便が映った時はひっくり返りそうになりました。」
「ははっ。そりゃあ、そんなものが床に落ちていたらねぇ。」
「全く、参りましたよ。それでデイブ・スモークという男についてなのですが、彼はどういう人物ですか?」
「デイブですか?だらしのない男ですよ。仕事はしょっちゅうサボってましたし、酒癖は悪いし、誰かと口論になることも多かった。」
「ほう。なら、彼が犯人である可能性は高そうですね。」
「充分に有り得ると思います。」
「我々も彼が犯人だと思っています。ですが、1つ問題がありまして…」
「問題?」
「彼は大柄らしいですね。だから、その…巨体がつっかえて店の中に侵入できないのでは?という疑いが我々の中で浮上しまして。まぁ、実際にデイブ・スモークを見たことがないので、本当に侵入が不可能かどうかは、まだわからないわけですが…。」
「いやいや、刑事さん…。確かにデイブは大柄ですが、店に侵入できないなんてことはないと思いますよ?それに、あの店の窓を見たことがありますが、比較的大きいですよね?通り抜けられない人なんていないと思いますが?」
「…えっ?」
ピートの言葉に、ミルは少しだけ引っ掛かりを覚えた。
しかし、オーランドは彼女に構うことなく話を続ける。
「更にもう1つ、彼の行動に謎な部分がありまして……」
「謎な部分?」
「はい。犯人の目的は店への嫌がらせだと思われるのですが…酒が1本盗まれていたそうなんです。」
「…。」
オーランドの言葉を聞いたピートは黙り込んだ。赤ワインを盗んだ痕跡はちゃんと隠したはずなのに、それがバレてしまっていたからだ。
「…盗まれていたんですか?」
「ええ。ですが、彼は代わりの酒を置いて行ったみたいで、店長もしばらく盗まれたことに気がつかなかったそうです。変だと思いませんか?」
「ええ、まぁ…。」
「デイブ・スモークがどうしてそんなことをしたのか、我々は考えたのですが…」
「…。」
「盗まれた酒は、彼の大好物だったのではないかという結論に達しました。店内に侵入した彼は嫌がらせをした後、大好物の酒を見つけた。しかし、それを盗むと罪が重くなってしまう。だから、代わりの酒を置いて、盗んだことを隠したんです。」
オーランドは自信満々にピートに告げる。オーランドが見当違いな推理をしていたことに安心したピートは、再び先程の明るい口調に戻った。
「なるほど!確かに、デイブならやり兼ねませんね。彼は赤ワインが大好物でしたから、盗むのも無理はないでしょう!」
「…。」
ピートの言葉を聞いたオーランドは無言のまま彼を見つめる。
「ん…?ど、どうしたんですか?」
ピートはただ無言で見つめてくるオーランドに困惑していた。
「ピートさん、随分とこの事件について詳しいですね?」
オーランドがピートに尋ねる。ピートは戸惑いながらそれに答える。
「えっ…?別に詳しくなんか…」
すると、ピートの言葉を遮るようにオーランドが質問をした。
「どうして、糞便が置いてあった場所が床だとわかったのですか?私は床にあったとは言ってませんが。」
「いや、それは…。」
「では、なぜ犯人の侵入経路が窓だと知っていたのですか?これも私は言わなかったはずです。」
「け、今朝、知人に事件のことを聞いて…」
「事件のことは知らなかったと仰っていましたよね?」
「…。」
「それに、なぜ盗まれた酒が赤ワインだとわかったんですか?」
ピートは押し黙ったままである。オーランドは、彼が犯人であることを確信した。
「詳しい話を署でお聞かせ願えますか?」
「くっ…!」
オーランドにそう問われた瞬間、ピートは逃走を図った。
ピートから見て、廊下を右側に進むと、1階に降りる為の階段がある。彼はそちらに向かって走り出そうとした。
しかし、彼は目の前にはミル・ベイカー巡査が立っていた。
ピートは邪魔な彼女を押し退けようと左手を勢いよく突き出す。
だが、彼の左手はミルに辿り着く前に、オーランドの右手に制止された。
オーランドはピートの左腕を掴むと、次に彼の足を払いバランスを崩した。
そのままピートは床に倒れ込む。オーランドは彼の左腕を背中に回させ、動けないように拘束した。
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