32,糞便の置かれた酒場 ー真相ー
「……!? こいつが犯人じゃない……!? 」
マスターはアリスの発言に驚き、大きな声を発する。アリスはマスター側の耳を片手で塞ぎながら、呆れた様子で言う。
「そういう可能性があるかもしれないって話だ」
すると、彼女の発言に対してミルが不安そうな様子で問う。
「でも、レッドメイン……。私が今の状況を見る限りでは、酔っぱらった彼が昨日の晩に犯行に及んだとしか思えない……」
その後、ミルは少し悲しげな声で続けた。
「私には見えない事件の真相が、お前には見えているということだな……」
ミルは、この事件の全容を把握できない自分に対して、情けなさを感じていた。
そんなミルに対して、アリスはそっぽを向きながら言う。
「まだ、わからねぇよ。私の考えが見当違いなだけかもしれねぇ。だからまぁ、取り敢えず私の話を聞いてくれ」
アリスは近くの椅子に浅く座り、腕と足を組んでから話を続けた。
「今までの話だと、窓を割り、鍵を開けて店の中に侵入した犯人が、椅子と机をひっくり返し、おまけに糞をして、最後には扉の鍵を開けて出ていったって話だったよな?そんで、その犯人だと思われるのが、そこにいる酔っ払いのデイブ」
アリスは顎でくいっとデイブのことを指す。
「ああ」
「でも、それだと少しおかしな点が出てくる」
「……おかしな点? 」
マスターが首を傾げながら聞き返す。アリスは静かに頷いてから再び話し出す。
「まず、初めに犯人の侵入経路である窓だ。この窓、現場検証の時は『ハンマーのようなもので割られた』と言っていたが、恐らくもっと違うものが用いられてる」
「違うもの? ハンマーか何かで叩き割ったんじゃないのか? 」
「ああ。そんなことしたら、大きな音が出て、店の二階にいるマスターに気づかれるかもしれないだろ?そのリスクを回避するために、犯人は静かに窓を割れる道具を使った。……たぶん、マイナスドライバーだ」
「マイナスドライバー……? 」
ミルが静かにアリスの言葉を繰り返す。
「まぁ、断言はできないが、それに準ずるもんだと思う。マイナスドライバーで窓ガラスと窓枠の境目を突くようにして、窓ガラスを割る。そうすれば、ハンマーで叩き割るより静かに割れる。犯人はそうやって二階で寝ていたマスターに、音が聞こえないようにして窓を割った。窓の枠に、それらしきもんで突かれたような跡があったから、たぶんそうだ。それに犯人は、窓の鍵を手で開ける為に、鍵のすぐ隣を正確に割っている。しかも、自分の手が通せるであろう、最低限の大きさの穴しか開けていない。これもなるべく大きな音を立てない為の配慮だろう」
アリスは、ミルとマスターを順に見ながら言った。
「私の推測が正しいのなら、犯人はとても繊細な作業をしているように思える。……果たして、酔っ払いにこれらの繊細な作業ができるだろうか? 」
「……」
アリスの話を聞いたミルは、顎に手を当て黙りこくる。
その隣のマスターがアリスに言う。
「確かに難しそうではあるが……。不可能ってことはないんじゃないか?それだけでこいつが犯人ではないというのは、まだ納得できないな……」
「まだあるぞ。次に、荒らされた椅子と机だ。この椅子と机が倒されまくった店内を見れば、犯人が店の中で暴れまわったという印象を受ける。実際私も、初見時はマスターへの嫌がらせとして、店の中で暴れまわったんだなと思った。でも、実際は違う可能性が高い」
アリスは倒れている椅子の一つに目をやって続ける。
「犯人はそういう印象を与える為に、わざと机と椅子を倒したんだ。それも音を立てないように慎重にな」
「音を立てないように……」
ミルはアリスに釣られて同じ椅子を見ながら呟く。
「そうだ。椅子と机を勢いよくひっくり返せば大きな音が出る。そうしたら、これも二階にいるマスターが気づくはずだろ? でも、マスターが気づかなかったってことは、犯人がそれだけ静かに机と椅子を倒したってことだ」
更に、アリスは店の奥にある酒棚に目をやる。
「あと、椅子と机が倒されてるのに、酒棚には全く手がつけられていないのも不自然だ。店に被害を出したいのなら、酒棚をひっくり返したりしてもよさそうなもんだが、そこにある酒瓶達は今も綺麗に並んでいる。恐らく瓶を割ると音が鳴るから手をつけられなかったんだろうな」
アリスは酒棚からミルとマスターへと視線を移す。
「犯人は明らかに計画的な行動を取っているように思える。酔っ払っていたら難しいと思わないか? 少なくとも、記憶がなくなり、路地裏で寝ちまうほど酔っていた奴には出来そうもない」
「そう言われればこいつが犯人じゃないような気もするが……。いやしかし、たまたま酒棚に手を出さなかっただけかもしれないだろ? 椅子と机だって、乱暴に倒して大きな音が鳴ったが、俺が寝ていて気づかなかっただけかもしれないし……」
「まぁ、デイブが犯人じゃないと完全に否定することはできないかもしれない。でも、こいつ以外が犯人である可能性の方が高いと私は思う」
アリスはそう言いながら、今度は糞便を指差した。
「そんでもって、このクソだ」
「一体、この糞便はなんなんだ? デイブがしたものじゃないのか? 」
ミルがアリスに問いかける。
「この糞便がなんなのかを知るには、まずこのクソの主を見つけることだ。そして、私の推測では、このクソの主はデイブだ。カワウソが手帳に書いていた糞便の特徴に、”色は真っ黒”と書かれていた。見ての通り、本体も真っ黒だ。……うぇ」
アリスは気持ち悪そうに糞便から目を逸らし続ける。
「赤ワインを大量に飲むと、便が真っ黒になる。タンニンって物質のせいだ。デイブを発見した時、赤ワインの匂いがした。近づかなくてもわかる程強烈にな。それに私達がデイブを見つけた時、デイブのベルトは緩んでいた。更に、ズボンがずり落ちた時に見たんだが、こいつのパンツは薄茶色に汚れていた。なんで、ベルトが緩んで、パンツが汚れていたのか?それは昨日の夜、デイブが野グソをしたからだ。野グソをした後、酔っぱらっていたデイブは、ケツを拭かずにパンツを上げ、ベルトを締めなかった」
「クソはこいつのもんなのか? なら、やっぱり犯人もこいつなんじゃ……」
マスターがデイブをチラッと見ながら言う。
すると、空かさずアリスがその問いに答える。
「それこそが犯人の狙いじゃねぇかと思うんだ、私は。犯人はこの一連の犯行を酔っ払いであるデイブがやったかのように仕立て上げたんだ。あたかも、酔っ払いが窓を割って侵入し、店の中で暴れまわって、床に糞をして、最後は店の扉から出ていったかのように見せかけた。これはあくまで想像なんだが……恐らく、デイブは路地裏で野グソをした。酔っぱらってるから何の恥じらいもなくな。その後、眠りについた。犯人はその糞便をハンカチかなんかで包んで回収し、店の中に置いた」
「な、なに……!? じゃあ、これらは全部計画的な犯行ってことか……? 」
マスターが驚きながら店内を見回す。
「たぶんな。最後に窓からではなく、扉の鍵を開けて出ていったのも、酔ってたせいで頭が回っていない、と見せかける為かもしれねぇ」
「なるほど……。では、マスターに恨みを持った犯人が、店へ嫌がらせをして、自らの犯行だとバレないように、デイブを犯人かのように仕立て上げた……。これがこの事件の全容か? 」
ミルが確認するかのようにアリスに問う。その問いに対して、アリスは首を横に振る。
「いや、犯人の真の目的は別にあるんじゃないかと私は考えている」
「真の目的……? 」
アリスは椅子から立ち上がり、酒棚の方に歩み寄り説明を続ける。
「ああ、そうだ。酒棚は綺麗なままで不自然だって言ったよな? さっき、その酒棚をよくよく観察してみたんだ。そうしたら、ちょっとした異変に気付いた」
アリスはマスターに問いかける。
「マスター。あの酒棚に並んである酒だが、規則的に並べてあるよな。私の考えだと、同じ種類の酒を一つのブロックに固めて置き、その後産地によって分けている。例えば、一つのブロックに赤ワインを八本並べて置き、左の四本はボルドー産、残りの四本はブルゴーニュ産、てな具合に」
「ああ。確かに、酒棚の酒は種類と産地によって分けている」
「だとすると、変なところがある。赤ワインのところだ。今言った通り、左四本はボルドー産のはずだ。でも、あそこに並べてある赤ワインの銘柄を左から見ていくと、シャトー・マルゴー、シャトー・モン・ペラ、マルケージ・ディ・バローロ、シャトー・オー・ブリオンだ。シャトーって名前がついてるのは、フランスのボルドーで作られた赤ワインだ。だから、その3つは産地が同じ。だが、バローロってついてるのはイタリアで作られた赤ワインだ。だから、左から三番目のワインだけ産地が違う」
「……本当だ。確かに、これだけ変だな」
「なぜ、こうなったのか。それはたぶん、犯人が元々ここにあった赤ワインを一本盗んで、代わりに他の赤ワインを置いたからだ。このバローロをな。犯人は赤ワインを盗んだことを悟られない為に、証拠を隠した。まぁ、焦っていたのか、規則に気づかなかったのか、違う産地のもんを置いちまったわけだが……。つまり、犯人の目的はここにあった一本の赤ワインを盗むことだったんじゃないか、と私は思っている」
アリスがそう言い切ると、マスターが懐疑的な表情を浮かべた。
「待て待て、アリス。じゃあ、犯人は赤ワインを1本盗む為に、わざわざこの店に侵入したっていうのか……? 」
「まぁ、そうなるな。他に盗まれたものはなかったんだろ?だったら、犯人の目的はその赤ワイン一本に他ならねぇだろ」
「いや……それはリスクに対して、あまりにも見返りが少なすぎるだろう。自分で言うのも何だが、この棚にはそんなに高い酒は置いてないぞ?せいぜい、二ポンド(十万)くらいだ。売るとしたらもっと安くなるだろう。それなのに、わざわざそれだけを盗みに入る理由なんてあるか? 」
「確かに、普通に売れば安いかもな。だがもし、その盗まれた赤ワインがある特定の人物にとっては物凄く価値のあるもので、その人が高く買い取ってくれるとしたら……どうだ? 」
アリスは赤ワインのブロックを指差しながらマスターに問いかける。
「ところで、マスター。盗まれた赤ワインの銘柄は覚えているか? 」
「ええっと……確か、シャトー……」
「もしかして、シャトー・ソレイユじゃないか? 」
「ああ! そうだ! シャトー・ソレイユだ! 少し珍しい酒だったから、表に置いていたんだった。だが、なぜわかったんだ? 」
「その赤ワイン、1870年に製造されたのものだったんじゃないか? 」
「……言われてみればそうだったかもしれない」
「実は、その赤ワインを高くで買おうって富豪が現れたんだ。今日のデイリー・ジーニアス新聞に記事が載っていた。『イングランド北東部、ラース領の領主、ケイド・ラース氏が、奥さんの誕生年である1870年に製造されたシャトー・ソレイユという赤ワインを探しています。同氏は、それを譲ってくれた者に十六ポンド(約八十万円)の報酬を払うことを確約しています』ってな。この情報は、数日前から新聞に載っていたらしい」
「十六ポンド……。確かに、それくらい高値で売れるなら盗みに入る理由になるかもしれない……」
「ああ、ちょうどいい小遣い稼ぎだ。それに、身代わりになってくれそうな都合のいい酔っ払いもいたしな」
アリスはチラッと横目でデイブを見る。
「昨日の深夜に、マスターと口論をした後、デイブはこの路地裏を通って帰ろうとした。しかし、途中で力尽き眠ってしまった。それを犯人が見つけて、デイブに罪を擦り付ける計画を思いついた。そんな流れだと思う」
アリスは腕を組み直してから続ける。
「犯人の行動をまとめると、犯人は新聞で1870年製造のシャトー・ソレイユが高く売れることを知った。そして、それがこの酒場の棚に置いてあることも知っていた。だから、盗み出そうと考えた。深夜、盗みに入ろうとこの店に来てみると、路地裏で酔っ払いが寝ているのを発見した。そして、そいつが垂れ流したであろう糞便が近くにあった。犯人は、自分の犯行を隠す計画を思いついた。糞便をハンカチかなんかで回収し、ドライバーで窓を静かに割って鍵を開けて侵入し、店の床に糞便を置いた。その後、椅子と机を静かに倒して、酒棚からシャトー・ソレイユを回収。代わりの赤ワインを棚に置き、店の扉から外に出た。こんなところだろう」
「なるほど……。事件の全容はよくわかった。でも、それを聞いても、私には一番重要なことがわからない。……教えてくれないか、レッドメイン。一体、犯人はどこの誰なんだ? 」
ミルがアリスに尋ねる。
「さぁな。それは私にもわからない。でも、マスターなら怪しい奴に目星をつけられるんじゃないか?昨日、シャトー・ソレイユについて尋ねてきたやつとかはいなかったか、マスター? 」
アリスがマスターにそう質問すると、マスターは手をポンと叩いて勢いよく喋り出した。
「そういえば、いたぞ! 昨日、店に来た客で、シャトー・ソレイユを瓶ごと買いたいっていうやつがいた! うちは瓶で売ることは基本してないし、何より面倒ごとが起きたら困るから断ったんだ! 」
「そいつがどこの誰かはわかるか? 」
「いやぁ~……そいつも名前がわからんな……。なんせ、新顔の客だったからなー……。見た目は覚えているぞ。身長は平均より少し高めくらいで細身な男だ。髪は茶色で黄土色のトレンチコートを着ていた。……あっ! あと、右頬に傷があったな」
「右頬に傷って……ピート・マニアじゃないか!? 」
いきなりデイブが大声を出す。三人はびっくりしてデイブの方を振り向いた。
「なんだ? そいつが誰か知ってるのか? 」
「あ、ああ。ここからそう遠くないところに住んでいる、工場勤めの男だ。前に、俺はそいつと同じ職場で働いていた。噂で聞いた話によると、そんなに高い額ではないが借金があるらしい…」
「生活の困窮か。動機はありそうだな。おい、デイブ。お前、その人がどこに住んでいるのか知ってるような口振りだな。教えてくれよ。お前の冤罪を晴らすためだ。ノーとは言わせないぞ? 」
「わ、わかった」
「相手は背の高い男だ。マスター、手を貸してくれないか? もし、その人が本当に犯人で、逃走を図った時、抑えられる奴がいねぇと」
「おう、任せろ! 俺の店にクソを放り込んでいったクソ野郎に報いを受けさせてやるぜ」
「よし。じゃあ、ミスター・ウィルキーの家に向かうぞ。カワウソ、それで構わないか? 」
アリスがミルに同意を求める。ミルは少し悲しそうな顔をしてその問いに答える。
「ああ、わかった……」
ミルは自身に不甲斐なさを感じていた。自分には、この事件を解決に導けるような推理力もなければ、犯人を取り押さえられるような力もない。
この中で、警察官である自分が一番役に立っていないことが情けなくて仕方なかった。
「……」
アリスはそんな彼女の表情を見て、かけるべき言葉を探したが、遂にそれが見つかることはなかった。
「……マスター、ちょっと電話を借りていいか? 」
アリスは小さな声でマスターに尋ねる。
「ああ、いいぞ」
マスターの了承を貰ったアリスは、ひっそりと店の奥へ向かった。
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