31,糞便の置かれた酒場 ーチェイスー
「おい…!この人、起きたぞ…!」
ミルがその酔っ払いを慌てて指差す。
「…ゲップ。ヴー…気持ち悪ぃ~…。」
その酔っ払いは寝ぼけ眼で周りをキョロキョロと見回した。その後、目の前にいるアリス達に気づき、彼女達をぼーっと見つめだした。
「…なんだ?あれ…?」
「目が覚めたか、ジョン・ドゥー。」
腕組をして彼を見下ろしながら、アリスが彼に話しかける。
「ん…?おお…!もしかして、あんたが『大柄な男にハードな調教をされることを望んでいる、花の都に住む淫乱妖精』かい?」
「はぁ?…どんだけしょうもない夢見てたんだよ、お前。」
アリスは蔑んだ目で酔っ払いを睨む。
「あの、警察なんですが、お話を聞かせていただけますか?」
ミルが1歩、その酔っ払いに近づき問いかける。
「警察…?」
警察という言葉を聞いた瞬間、その酔っ払いは明らかに焦り出した。目が泳ぎ、額に汗が滲み出てくる。
その様子を見ていたアリス達は、彼がこの事件に関わっていることを確信した。
と、次の瞬間、その酔っ払いは勢いよく立ち上がった。
そして、その酔っ払いは目の前にいたミルを左手で払いのけ、大通りの方へと逃走を図った。
「…!?うわっ…!」
酔っ払いに手で払いのけられたミルは、成す術もなく、そのまま酔っ払いの左側にあったゴミ袋の山へと突っ込んでいった。
ドシャーン!っと盛大な音を立てながらゴミ袋へとダイブするミル。そんな彼女の方を見向きもせずに、酔っ払いは大通りの方へと無我夢中で走っていく。
「おい!待てっ!」
酔っ払いが走り出してから1秒ほど遅れて、アリスがその後を追いかける。そして、マスターもその後に続く。
酔っ払いは最初こそ勢いよく走り出したが、酔いが残っていたのか、途中からフラフラとし出した。
そして、ベルトが緩まっていたようで、酔っ払いのズボンは今にもずり落ちそうであった。
酔っ払いは、ズボンを両手で上げながら走り続ける。
「逃がすか!」
アリスは持っていた杖を酔っ払いの足に目掛けて投げつける。彼女から勢いよく投げ放たれた杖は、一直線に酔っ払いの足元に到達し、彼の足を引っかけた。
「…ぐわぁ!」
足が杖に引っかかり、元々フラフラだった酔っ払いは、そのままバランスを崩す。
バターン!という音を立てて、酔っ払いは地面に倒れ込んだ。その際、ズボンがずり落ち、酔っ払いのパンツが露わになった。
そのパンツは若干だが、薄茶色に汚れているように見えた。
「マスター!あいつのこと抑えてくれ!」
アリスは酔っ払いのことを指差しながら、マスターに大きな声で指示をする。
「おう!任せろ!」
マスターはアリスのことを追い越し、倒れている酔っ払いに向かって勢いよく飛びかかった。
そして、彼の両腕を掴むと、そのまま羽交い絞めにして逃げれないようにがっしりとホールドした。
しかし、酔っ払いも負けずに、マスターから逃れようと必死に抵抗を続ける。
「おい!観念しやがれ、糞変質者が!」
アリスが酔っ払いの目の前に立って、彼の胸に人差し指を立てながら言う。すると、その後ろからミルが遅れて駆けてきた。
「そこをどいてくれ、レッドメイン!暴れられないように手錠をかける!」
ミルは右手に持った手錠を掲げながら叫ぶ。
アリスはその声を聞くなり、サッと酔っ払いの目の前から退く。
空かさず、ミルが酔っ払いの前に立ち、その手に手錠を掛けようとした。
すると突然、それまでジタバタと抵抗していた酔っ払いが急に大人しくなった。
しかも、それだけではなく、顔色も悪くなり、目も虚ろな状態となった。
「…うぷっ!…気持ち悪ぃ!」
酔っ払いはそう言った後、頬をぷくっと膨らませた。
「…えっ?」
ミルは彼の様子を見て動きを止める。
いやな、予感がした。
「…オ、オエーッ!!」
次の瞬間、酔っ払いは盛大に己のゲロを放出した。
「いやー、とんだ災難だったな、カワウソ。」
酒場の店内にある木の椅子に腰かけ、机に頬杖をつきながらアリスが言う。
「…。」
ミルはそんな彼女の言葉に一切反応することなく、濡れた布で自分の顔を拭く。
「まさか、酔っ払いがお前の顔面にゲロをぶちまけるとは…。」
「…。」
「でも、よくやったよ、カワウソ。お前はゲロを被っても、酔っ払いの手に錠をかけることを止めなかった。」
アリスはそう言って、左手の親指で酒場の地面を指差す。彼女が指で示した先には、例の酔っ払いが床に横たわっていた。
先程、酔っ払いはミルに向かってゲロを放出した。
ミルはそのゲロを顔面でもろに受けた。
「うぎゃああああ!!!」と断末魔のような悲鳴を上げ、悶え苦しんだミルであったが、すぐさま彼女は自分の使命を思い出し、酔っ払いに手錠をかけるという任務を完遂した。
「まるで、業火に焼かれる魔女のようなリアクションでちょっと心配になったが…。おかげで、こいつを捕まえることが出来た。」
アリスは呆れた顔をしながら、ミルから酔っ払いの方に視線を向ける。
「おい、そろそろ話せるようになったか?」
アリスが酔っ払いに問いかけると、彼は苦しそうに答える。
「いや、まだ気持ちが悪くて…。」
「そうか。じゃあ、話は警察署で聞くことになるな。おい、カワウソ。こいつを連れていけ。ここで待ってても埒が明かねぇ。」
アリスは指をパチンと鳴らした後、その指で酔っ払いを指し示す。すると、警察署という言葉に焦ったのか、酔っ払いは膝をつき頭を下げて懇願した。
「待て…!待ってくれ!逮捕するのだけは勘弁してくれないか…?」
すると、マスターが酔っ払いの胸ぐらを掴んで強い口調で言った。
「逮捕しないでくれだと?ふざけるんじゃねぇ!こんな人類史上最大の悪行が許されると思うのか!?」
「いや、人類史上最大は言い過ぎだろ、誰がどう考えたって。」
アリスはマスターにツッコミを入れた後、酔っ払いに質問をする。
「酔っ払い、お前、名前は?」
「…お、おれはデイブだ。」
「そうか、デイブ。お前、昨日自分がどんな悪行をしでかしたか覚えてるか?」
アリスの問いかけに、デイブは必死な形相で答える。
「そ、それが、全く覚えていないんだっ!な、何か悪いことをしたんなら、謝るからよぉ!み、見逃してはくれないか!?」
デイブの返答を聞いたマスターは、彼の胸ぐらを掴んで前後に振る。
「覚えていない!?いい加減にしろよ、おめぇ!言い逃れできると思ってるのか!?」
「ほ、本当だ!本当に何も覚えていないんだ!」
「…。」
マスターとデイブのやり取りを余所に、アリスは部屋の中を見回し始めた。
「ん?どうしたんだ?」
ミルがアリスに問いかける。
「…ああ、ちょっとな。」
アリスはミルの方を見向きもせずに答え、その後酒場のカウンターに向かって歩き出した。
そのままカウンター席の1つに腰を掛け、酒棚を眺めるアリス。
「…。」
しばらく、その酒棚を観察した彼女は、赤ワインが並べてあるゾーンのとある違和感に気が付いた。
1つの棚に赤ワインが8本並べられていた。その8本の内、左4本は順にシャトー・マルゴー、シャトー・モン・ペラ、マルケージ・ディ・バローロ、シャトー・オー・ブリオンという銘柄のお酒だ。
そして、残りの右4本の赤ワインの銘柄は、どれも『ドメーヌ・~』という、名前の最初にドメーヌがつくものであった。
その規則性を発見したアリスは、再びミル達の下へと戻った。
一方、店の中央ではデイブによる命乞いが続いていた。
「頼む!許してくれないか…!?」
「許すわけがないだろ!?お前は、人の店を荒らして、おまけに糞便を垂れ流していったんだぞ!?酔っぱらって記憶がなくても、到底許される行為じゃねぇ!」
デイブの命乞いをマスターは全く聞き入れようとしなかった。
マスターはデイブの首根っこを掴みながら、ミルの方を見て言う。
「お嬢ちゃん、さっさとこいつを警察署に連れていこう。」
「えっ…。あっ、はい…!」
ミルは少し戸惑いながらも、マスターに対して返事をする。
すると、後ろの方から2人を引き留める声が聞こえた。
「ちょっと待て、2人共。」
マスターとミルは声がした方を振り返る。勿論、その声の主はアリスであった。
「どうしたんだ、アリス?まさか、記憶がねぇからこいつのこと許してやろうってんじゃねぇだろうな?」
マスターがアリスに問いかける。その問いかけに、アリスは首を左右に軽く振ってから答える。
「違う、そうじゃねぇ。だが、この結論が本当に正しいかどうか、再考する必要があるかもしれねぇ。」
「…?どういうことだ、レッドメイン?」
彼女はマスターとミルの元まで歩いてきた後、親指でデイブのことを指差して言った。
「こいつが犯人じゃない可能性があるってことだ。」
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