30,糞便の置かれた酒場 ー現場検証2ー

「最後は店の扉だ。」


 3人は店の玄関扉の前へと歩み寄った。


「昨晩、マスターはちゃんと戸締りをしたはずなのに、朝確認したら鍵が開いていたらしい。つまり、窓から侵入した犯人はこの扉を使って出たことになる。」


「ふーん、なるほどな。」


 アリスはミルの説明を聞きながら、その扉を凝視する。その扉に変わった様子は特になく、至って普通の扉のように見受けられた。


「特に変なところはなさそうだな。外に出てみるか。」


 アリスはそう言って、その扉を開き外へと出ていく。ミルとマスターもそれに続いた。


 店の前の通りには、ちらほらと人が見受けられた。しかし、他の通りに比べるとその数は僅かであった。


「いつ見てもこの辺りは人通りが少ねぇよな。働き者のブギーマンでも現れたか?」


 アリスの問いかけにマスターが答える。


「そんな噂を聞いたことはないが、まぁこの辺りはフォギーフロッグ街の端っこにあたるからな。中心地より人が少なくて当然だろう。」


 マスターの返答を聞きながら、アリスは再び店の扉へと目を向ける。しかし、扉を外から観察しても、特におかしな点は見当たらなかった。


「…。特に変わったところはなさそうだな。」


「…私が行った現場検証は以上だ。今までの話から、マスターに恨みを持った酔っぱらいが、窓を割り鍵を開けて侵入し、椅子と机を荒らした後、ダメ押しと言わんばかりに床に糞便をして、店の扉の鍵を開けてそのまま出ていった、と考えている。」


「…恨みを持った人間がっていうのは分かるが、そいつが酔っぱらってたっていうのはどういう考えだ?」


 アリスが横目でミルを見ながら彼女に問う。ミルは同じく横目でアリスを見やり答える。


「わざわざ窓を割って侵入して、店の中に用を足そうなんて酔っぱらってないと考えないし、実行しないだろ?少なくても、まともな判断力を持った人間の仕業ではないと思う。」


「…うーん。」


 ミルの考えを聞きながら、アリスは腕を組み顔をしかめた。


「嫌がらせをしてくる相手に心当たりは?」


 アリスはマスターの方に視線を向けて質問する。


「心当たりと言えば…まぁ、言い争いになったことのある客とかだな。迷惑行為を働く客を追い出そうとして口論になったことが何回か…あっ!」


 マスターは何かを思い出したかのようにポンと手を叩いた。


「そういえば昨日も、閉店時間を数分超えてから店に入ろうとしてきた酔っ払いと少しもめたな。『閉店だから無理だ!』と強く言っても、なかなか引き下がらなかった。」


「なるほど。そいつがどこの誰かはわかるか?」


「いや、誰かはわからねぇ。でも、見た目は覚えてるぞ。俺と同じくらいの身長で、太ってて、ぼろい緑色のベストを着ていた。」


「その酔っ払いがこのクソの主である可能性は充分あるな。」


「その人を見つければ事件は一気に解決するかもしれないな…!現場検証も終わったし、今度はマスターの話をもとに街で聞き込みを…」


 アリスとマスターの会話を聞いていたミルが、若干興奮気味に2人に提案をしようとする。この事件は、ミルが初めて1人で受け持った事件である。彼女の頭の中には、何としてもこの事件を解決に導かなければ、という思いでいっぱいであった。


 そんな逸る気持ちを抑えられないミルのことを、アリスは宥めるように制止する。


「まぁ、落ち着け、ミス・オッター。まだ、店の外をよく見てないだろ?犯人が逃げる時に何かしらの証拠を残してるかもしれねぇ。逃げる時が一番気が緩むからな。取り敢えず、店の外をもうちょっと調べてみるぞ。聞き込みはその後だ。」

 

 アリスはそう言いながら右方向にくるりと90度回転して、そのまま歩きだした。


「でも、早くその酔っ払いを見つけないと、街の外に逃げられるかもしれないぞ…?」


 ミルがアリスの後を追いながら、不安そうに言う。


「犯人を特定できるものが、もしかしたら店の周りにあるかもしれねぇって話だ。むやみやたらと駆け回るより、そっちの方が効率がいいだろ?」


 アリスは斜め後ろにいるミルにそう言いながら、酒場とその隣の建物の間にある細い路地まで歩いてゆく。


 やがて、細い路地に差し掛かった彼女は、壁に手を当て顔を覗かせながら言った。


「まぁ、個人を特定できないにしろ、何か事件解決のヒントになりそうなもんが、まだ…」


 路地を覗き込んだアリスは、途中で喋るのをやめた。そして、彼女は路地を覗き込んだまま固まった。


「…ん?おい、どうしたんだ?」


 不思議に思ったミルが、アリスに問いかける。


「なぁ、カワウソ、マスター。…あれを見てくれ。」


 そう言って、アリスは路地の奥を指差す。


「…あれ?」


 ミルとマスターは、アリスに続いて路地を覗き込んだ。


 その細い路地の奥には、大型のゴミ箱が左側の壁に沿うように置いてある。アリスの指の先は、そのゴミ箱を指しているように見えた。しかし、よく見てみるとそのゴミ箱の後ろから何かがはみ出ており、彼女の指はそちらを示しているのだとわかった。


「あれは…人の足に見えるな。」


 ミルが顔をしかめながら呟く。


「…ああ、俺にもそう見える。」


 マスターも彼女の意見に同意する。


「奇遇だな。私にもそう見える。…行ってみようぜ。」


 アリスも2人の意見に同意し、路地の奥へと進んでいく。ミルとマスターも彼女の後に続いた。


 3人はゴミ箱の後ろから飛び出ていた人間の足らしきものへと歩み寄った。


 そして、その正体を確認する。


 やはり、その正体は人間の足であり、その足の持ち主である大柄の男が壁にもたれ掛かり、小さくいびきをかきながら熟睡していた。


 アリス達は、腕を組み、ジトっとした目でその男を見下ろしながら話し合う。 


「…まさか、物じゃなくて人間が落ちてるとはな。」


「この人は一体ここで何をしているんだ…?」


「さぁな。でも、酒くせーし酔っ払いっぽいな。この距離で赤ワインの匂いがプンプンするぜ。」


「…ん?あっ!こいつ…!」


 すると、マスターが何かに気づいたのか、突然声を上げた。アリスとミルはそれに反応して、マスターの方へと顔を向ける。


「どうしたんだ、マスター?」


「こいつ、昨日口論になった酔っ払いだ!見ろ、俺と同じ様な体格で、緑色のぼろいベストを着ているだろ?」


 マスターが男のことを指差す。それにつられて、アリスとミルは再びその男に目をやる。


 その男は、確かにマスターの言葉通りの外見をしていた。


「ま、まさか、この男が酒場に糞便をした犯人なのか…?」


「どうだろうな。まぁ、こいつのことを叩き起こして、直接聞いてみりゃわかるんじゃねぇか?」


「…た、確かに。それもそうだな…。」


 アリスとミルが話し合っていたその時、


「がー…がー…ガッ!…ヴぅ~…ん?」


 獣のような唸り声を上げながら、その酔っ払いが目を覚ました。

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