第6話

 夏が来た。去年までは甲子園を目指し、挫折し、見事夢を掴んだ球児たちに羨望の視線を当て続ける季節だった。アサの部屋に毎日通う。発情期だともっと乱れるのかと思ったが、そう言うことはなく、いつもと同じようにセックスをした。

「今夜辺り、産卵しそう」

 崇正はにわかに緊張して固く頷く。アサは崇正の顔をそっと撫でる。

「一緒にいて欲しいけどそれが無理だってのは分かってる。だからせめて、私のことをときどき思い出して欲しい」

「当たり前だよ」

 抱き締めてから部屋を出る。

 次の日にアサを訪ねると、プールに卵が産み付けられていた。大ぶりの真珠みたいだ。アサはベッドでぐったりとしていた。

「アサ、お疲れ様」

「崇正のことを想いながら産んだよ」

「僕もずっとアサのことを想ってた。無事に産卵が終わるように祈ってた」

「ねぇ、ぎゅっとして」

 崇正はアサを抱き締める。産卵の後のせいなのか、アサからいつもよりずっと海の匂いがした。しばらくするとアサは眠ったので、そのままにして、部屋を出た。父親に産卵の報告をした。養殖のチーフと一緒にアサの部屋に向かう。卵の状態を確認して、運搬用の小さなプールと台車と共に再び部屋に行き、卵を回収した。アサは気配に目を覚ましたけれども何も言わず、ベッドの上から一部始終を見守っていた。崇正はアサを一度見たが、声をかけずに作業を進めた。

 養殖用のプールに沈められた卵はなかなか孵化しなかった。聞けば、例年こんなものなので、心配するには及ばないと言う。ひと月後に孵化が始まり、小さな半人魚がプールの中を泳ぎ始めた。崇正は孵化のことをアサに話したかったが、離れた子供のことを聞くのはしんどいだろうと考えて言葉にしなかった。半人魚達はすくすくと育った。チーフと半人魚を見ながら、崇正が質問する。

「この子達が肉になるのは何ヶ月からですか?」

「二年から三年の間だよ」

「そんなにかかるんですか」

「一番美味いときに肉にするのがいいからね」

 崇正は目の前の半人魚達がすぐには殺されないと知って、安堵した。待ち受けている未来は変わらない。それなのにほっとした。崇正は毎日半人魚達を見に行った。それは業務だからでもあったが、もう少し違う気持ちからの行動でもあった。

 週に一日はアサのところに通った。セックスをしなくても通った。セックスが出来るようになったら再開した。行く度に半人魚の話をしたいと思いながら、それがアサを傷付けると思って、やめた。料理人としての修行の中で起きる色々なこと、過去に愛した野球のこと、アサへの想いを語った。

「崇正は私の過去のことを訊かないよね」

「何百年前のことだって、嫉妬しそうだから」

「……そっか」

「変かな」

「なんか、私のことを大切にしてくれているんだなって思った」

「変なの」

 アサはがば、と崇正に覆い被さる。ぎゅっと抱き締める。

 崇正はこの生活がずっと続くことに一切の疑いを持っていなかった。


 二年後。

 その日、崇正とアサの子供である半人魚が、捌かれた。半人魚の捌きを見る機会は多くあって、そう言う生き物がいて、食べるために捌くのは普通のことになっていた。それでも自分の血を受け継ぐ半人魚だと別のことが心に起きるのではないか、崇正は危惧していた。それは杞憂に終わった。父親が捌くのを見ても、「いつものことだ」としか思わず、技術を盗むことに集中していた。

「『こんなもんだ』」

 崇正は完成した刺身を眺めながら口の中で、誰にも気取られないように呟いた。

 アサには子供が捌かれたことを言わなかった。だが、アサにも二人の半人魚が刺身になっていることは分かっている筈だ。二人は一度も刺身のことを口にしないまま、今後もずっとそうであることを共謀して守り続けた。毎年発情期は来るし、産卵もする。今料亭に並んでいるのは全て二人の半人魚だ。テレビで演説をしている首相もこの前食べていた。話題には事欠かなかったが、半人魚ともう一つだけ決して話に上らないものがあった。それは、二人の将来について。崇正はずっと通うつもりで、終わりが来る可能性を考えるのが嫌で話さなかった。アサは、自分は永遠の命を持っているからどうあっても崇正を見送ることになることが見えていて、そこから目を背けていた。蜜月は続いた。

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